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知恵とツテが大半を占めるかもね

私は「人が密集しすぎて内臓が圧迫される」状態を経験したことがある。

学生時代の通学電車内だ。

そのレベルに到達したのは年に1回か2回程度で、年末に起こりがちだった記憶がある。


そこから1つレベルを落とした状態の、揺れる電車内でも足や膝で踏ん張らなくても良いレベルの満員電車の日は月に数回あった。

前後左右隣り合わせの人間が私の身体を支えているからだ。

これは内臓が圧迫されるほどではない。

当時は朝の眠い頭で、こいつは非常に楽だと周りに身体を預けて呑気に立ち二度寝をしているレベルだった。今思えば本当に呑気だ。


ただ、冒頭に述べた年に1〜2回の超満員の日は、呑気ではいられないくらいの恐怖感に襲われていた。

肋骨が押されて、内臓が全体的に窮屈に感じ、身体全体の血の巡りも悪くなる感覚があった。

 背中を丸めて息を吐くと、肺がしぼむような感覚があり、そうなると他の内臓の圧迫が多少回避されて身体が楽になるのでしばらくこのままでいようと放置する。

だが当然、次は息を吸わなければ呼吸ができない。しかし、肺を膨らませている余裕はない。

小さい呼吸を繰り返すだけなので、どんどん頭に酸素が行かなくなる感覚があった。

朝イチで寝ぼけているのもあり、あの時自分が気絶していたのか二度寝していたのかは分からない。

駅に着いたら人の出入りがあるので、その間に肩を使って深呼吸をし、ドアが閉まり再び超満員状態になる約2分間は肺を縮めて小さな呼吸。

きっと、停車するごとに呼吸ができていたからこそ死に至ることはなかった、のかもしれない。

今思えばあれは異常だった。

報道の映像にある通り、「自分の意思で移動できない、身体が勝手に流される」あの光景は、まさに自分の経験と重なり、見ていてつらくなる。

しかもあの状態がノンストップで十数分続くとなれば、それは私にとっては未知の領域で、どれだけ苦しかったかは想像がつかない。

もしくは、あの時の私のように、恐怖心はありつつも、頭に酸素が行かずに眠いような感覚のまま苦しむことすらなかったのかもしれない。




私は都会で生まれ、都会でずっと暮らしている。

常にあちこちで更なる都市開発が進み、高層マンションが新たに建てられ、街の人口は増える一方だ。

密集はまだしも、こんなに町民がいる中で大きな災害があった時、支援の手が行き届かずに犠牲者が出る二次災害はきっと起こるだろうと危惧している。


地方で暮らす知恵もツテもない私だが、密度の高い都会に居続ける気が全くない。

海岸からは多少離れ、河川が氾濫しても被害を受けない標高、虫がいる森林を避け、人口密集地を避け、買い物や手続きごとに便利な土地、なおかつ首都圏に用事があれば交通の便が良い場所。

いつかはそんな安全に生きられそうな場所を見つけて、楽に呼吸をして生きていきたい。

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