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仏道修行、インドの聖地訪問

 第一級無線技術士に合格して会社から20万円の報奨金をもらい、仕事が暇になったので、仏教を学び修行をしようとネットで調べ、2006年4月に東京国際仏教塾に入塾した。
 というのも、ヨハネスブルグでの環境サミットに参加するにあたり、永平寺の三泊四日の参禅コースに参加したことに端を発する。地球環境問題の解決策を知るために、日本思想史上最高の知性である道元の知に接近したいと、僕は永平寺へ行ったのだ。2000年から3年間過ごした越中富山は、越前福井の永平寺に近かった。永平寺の名付け親である道元は、1243年7月から1253年8月まで、途中半年ほど鎌倉に出かけたほかは、深山幽谷である越前に滞在して、『正法眼蔵七十五巻』と『道元和尚廣録』を完成させた日本史上最高の思想家である。

  初日の顔合わせで参加目的を聞かれた。僕が「地球環境問題の解決策を求めている」というと、永平寺の僧は即座に「ここには答はありません」と返してきた。地球環境問題で思い悩んだことなどないであろうに、どうして断言できるのかといぶかしく思った。僕はこの参禅のあと、人間がこれ以上環境破壊・海洋汚染をしないよう教育し、意識を変えるしかないという答を得たのだった。仏教をもっと学べば、人間と自然の関係が明らかになるのではないかと期待した。 
 

東京国際仏教塾

  この塾は、前期課程で、宗派を超えた仏教の講義(座学)と2回の合宿修行をして、後期は、宗派を選択しての専攻過程だ。千葉県茂原市にある長福寿寺で2泊3日の修行を月に一回、5回参加した。朝の勤行だけでなく、檀家の法要に参加したこともある。
 合宿や座学の都度、レポート提出が求められたため、合計10本の小論文を書いた。そのための資料を探しに、自宅近くの目黒区立八雲図書館にいくと、書棚にアンベードカルの「ブッダとそのダンマ」を見つけた。なつかしい友人に再会したような気分で、実に嬉しかった。大学1年の上原ゼミで、先生に紹介されて読んだ荒松雄「三人のインド人」のなかで、僕が一番興味をもった人物だった。

 アンベードカルによる仏教復興50年のインドに行ってみようと思いネットを検索したら、南インドのティルパティにある研究所で開かれる学会を発見した。弘前大学の林明さんに電話して、その学会に価値があるかと聞いたところ、ティルパティはインド最大の聖地で、行く価値ありと太鼓判をおしてくれた。そこで「アンベードカルとアパルトヘイト」という講演を用意して、2007年2月末にインドに向かった。

 学会2日前にティルパティに到着したところ、前日は山上の聖地ティルマラを散策するようにと言われた。ここは世界一参拝者数が多く、世界一お賽銭の額が多いお寺であり、山上にある神殿に入るためには丸一日行列する必要があるというので、僕は神殿の回りのお堂や小川を散策したところ、とても気持ちよかった。海岸線と並行に走る山地は降水を生み、豊かな緑と湧水が聖地を生み出していた。山と緑と水が聖地であるなら、日本列島はまるごと聖地だと思いながら、山を下りた。

 講演では、地球上のすべての人種や民族は7万年前に、南アフリカの洞窟で言語を獲得した人々の末裔であることから話し始めた。すると会場にいたイギリス人が、「いいかげんなことを言うな」と言わんばかりの苦い顔をした。その時、自分の目で南アフリカの洞窟を確かめる必要があると思った。

  

 

★オマケ★ 
 アンベードカルが仏教に集団改宗をしたのは、インド亜大陸のど真ん中のナグプールだった。ティルパティから夜行列車でハイデラバードに移動し、そこから飛行機を使ってナグプールに向かった。精舎で朝のお勤めに出ると、「日本人か。佐々井上人に会うか」と信者が上の階に案内してくれ、日本人僧侶佐々井秀嶺上人にお目にかかることができた。佐々井上人は、ここで全インド人仏教徒を導いておられた。その日の午後、アンベードカルが改宗した寺、ディークシャブホミにもご一緒させていただき、宿泊までさせていただいた。トップ画像はその時のもの。



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