体罰も長時間労働も「それでなりあがった人」がいるからこそ存置され、問題になるー「みんな一緒」ではない

某所で児童関係の仕事の人が、体罰について

「体罰で伸びる人なんかいない」

という記事を書かれていました。
たしかに、ほとんどの人がそうだと思います。

でも、筆者はこう考えています。

「99%は確かにそうだが、1%程度は体罰で伸びる人がいる。
だからこそ問題。」

少数だと思った方が多いと思います。でも…

ごく少数でも影響力が大きい場合はある

体罰で成り上がった人が少数いて、その人が影響力を持つ。
そして、自分が伸びたからという経験で体罰を行う。

この「少数」とは1%いれば十分だし、実際にその程度の割合なのではないかと思っています。
でも、その1%がそこそこの選手になり、引退して指導者になることによって、1%以上の影響力を持ってしまう。
(アスリートとして成功できるのは0.1%程度でしょう。それの10倍はいるということ)
指導者になった後、自身が平気だった体罰を生徒に行って問題になる。

教育界よりスポーツ界で体罰がなくなりにくい原因の一つは、
教師よりもスポーツ指導者のほうが体罰への耐性が高い割合が多いからだと考えられます。

スポーツの場合は「親御さんも体罰指導を暗に望んでいる」というケースもあったり。参加自体は自由なので、体罰を嫌うタイプはスポーツに近づかない傾向がある。だから表に出ないし、改善しにくい。
普通の学校の場合は体罰を嫌う層も一定数いて、そういう人が訴える流れがあるので減りやすい。

長時間労働も同じ

長時間労働についても同じことが言えます。

大多数の人は長時間労働をすると体を壊します。
でも、頑丈な人が少数いて、そういう人ほど出世したり起業したりする。

頑丈な人は長時間労働しても平気だから、偉くなった後にほかの人もそうだと思って同じようにさせようとする。

でも大多数の人にとってはきついから、体を壊す人が多発する。
頑丈な偉い人はそれに対して「たるんどる」「修行が足りん」などと思っていたりする。わりとガチで。

自分が大丈夫だから他者も大丈夫、ではない

生まれ持った条件は人それぞれ違います。
自分が成功しても、それが他者に合わない場合がある。

*自分が大丈夫だから「みんな」も同じようにできるだろう、と思い込む。
*「みんな」がそれをやってるから、自分も何も考えずにやる

そういった、「みんな」と「自分」を区別できないことが体罰にしても長時間労働にしても問題の根本にあります。
どうしても部活だとみんなを主体にされがちで、連帯責任を問われるような場合もあるから。見せしめで殴るケースもあるでしょう。

個人差を考慮しないのが問題。
個人にあったスポーツのやり方や働き方の手段が少ないのが問題
なのではないか。

なので、長時間労働や体罰でつぶれる人が出てくる。
個々の事情を見ようともせず、「みんな」に合わせることを強要されるから。
もしくはそれをやらされる側も内面化している。

みんな一緒で、みんな耐えられているから、それが当たり前と思ってしまう。

日本では「みんながやっているから」という考えがはびこっています。
たしかに、基本的なことに関してはそれも大事でしょう
(例えば義務教育など)
でも、なんでもかんでもみんなを前面に押し出すのはいかがなものか。

みんなが大学に行っているから行く
みんなが共働きしているからする
みんなが出生前診断で異常が出たら中絶するからする

2つ目、3つ目は某ネットメディアのタイトルだったはずです。
みんな関係ないやん、自分のことなのに
と思ってしまったのでよく覚えています。

2つ目は、周りが共働きなのに自分が専業主婦なのは後ろめたい的な理由で掲載されていた。(夫に共働きを要求されたわけではない。小学生の母)
自分たちがそれで生活できていて満足しているならそれでいいじゃん。
なぜまわりが働いているからだけで決めるの?
むしろ保育園の枠を開けることで共働き勢に貢献しているし、世間に対して後ろめたい気持ちになる必要なんて1㎜もない。

3つ目はさすがにひどすぎる。なんで自分で考えないで周りがしてるかしてないかでそんな大事なことを決めるの?
みんなじゃなくて自分がどうしたいのかを考えようよ。
(この新聞に対して、「倫理」の問題で批判されている方がいて知りましたが、それ以前に理由がどうなの?と思ってしまった)

と思います。

また、ブラック企業に関しては

みんなが頑張っているから自分もやめられない

といった発想もある。
金の面ではなく、そういった理由であればやめてしまってもいいと思う。
ほかの人が辞めていないことと、自分が辞めるかどうかは全く関係ない。

余談

筆者は、
「大卒で稼げるかどうかはその人の能力による」
「学歴だけあっても企業の需要がなければ稼げない」

という持論を持っています。
多くの人が成功したからと言って、それが自分の成功する道とは限らない。
だから自分がそこで成功できるかは見極めないといけない。

https://shinro10.net/daisotumtakai/

高学歴者ほど、「大学に行けば必ず高卒よりも稼げる」と思っています。
しかし、実際は約3割の大卒は高卒の中央値に届きません。(男性正社員のみでの比較)
大学中退して専業になるブロガーなどの話につくリプを見れば一目瞭然です。大学を卒業さえすればみんないい立場になれると思い込んでいて、その立場を捨てることを批判するリプが多い。
彼らの周りはみんなそうだったから。
実際はそんなに甘くないけどね。能力は当然みられるし。

とある大学中退者は
おそらく民間就職では需要がない(もしくは紛れ込んでも続かない)だろう特徴を持っていました。
(理由はともあれ)大学に金がかかる以上、早く損切りして正解だったと思います。
しかし、その人が大学中退するという話についたリプも、上記のものとほとんど変わりませんでした。
(その特徴が就職に与える影響について触れたリプもない。)
リプした人たちは、仮に高い金をかけて卒業して、就職できなかったとしても、責任は取ってくれないでしょうね。

「進路最適化」は
人に言われたから、みんなやっているからで進路を決めるのではなく、
自分に最適な進路を考えて、自分の意志で決めようよ

ということを言うために作られています。
別に大学進学を否定しているのではなく、それが適した進路ではない人もいるといいたいだけ。
既存の進路指導には、そういう発想が足りなさすぎるので。

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