思い込みがあると子どもが見えなくなる

キリスト教が支配した中世という時代は、西欧の人々に甚大な影響を与えた。なにせ、目の前の「子ども」が見えなくなるほどだったのだから。
ゲルマン人の大移動が起こり、西ローマ帝国は崩壊した。この大事件は、新約聖書のヨハネ黙示録にあるハルマゲドンを思わせたらしい。

僧侶たちは「悔い改めよ、来たる『神の国』で生まれ変わるために」と説いた。人間は生まれついて罪を背負っており、それを自覚し、悔い改めなければ「神の国」で生まれ変わることができず、地獄に落ちることになると警告した。こうした考え方が、「子ども」を見失わせたらしい。

子どもは無邪気で楽しそう。自らの罪深さにも気づかずに。子どもの無邪気さは、許しがたい姿に見えたようだ。早く罪を自覚した大人になるように指導しなければ。そうした教育観が影響したのか、中世の絵画では、子どもはただ大人を小さくしただけの姿で描かれている。「子ども」が見えなくなっていた。

子どもが「再発見」されるのは、なんと、1000年以上も経ったルソーまで待たなければならなかった。ルソーは、子どもは大人とはまるで違う特質を持った存在であり、その特質を活かした接し方が必要だと説いた。これは西欧人の人々には、目からウロコの話であったらしい。

ルソーが登場するまでは、子育てはムチで行うものだと思われていた。自らの罪深さの自覚もない無邪気な子どもに、ムチで自分の愚かさ、罪深さを教えなければならない、と考えていた。だからルソーが、子どもの発達に応じて、ムチを用いずに指導できるとした提案に驚愕したらしい。

ルソーはまた、中世キリスト教が染み込ませた人間観とはまるで逆の人間観を提案した。「生まれた時点で罪深き存在」としてきたそれまでの人間観とは正反対に、「人間は生まれたときは無垢であり、最も肯定できる存在」と捉えた。しかし文明が人間を汚染するのだ、と。

こうした人間観も、西欧人にとっては目からウロコだったらしい。ルソーの前の時代に生きたホッブズは、人間を欲深い存在として描いた(リヴァイアサン)。しかしルソーは、文明におかされる前の人間は善良だと考えた。それまでのキリスト教が示してきた人間観とまるで正反対から人間を見つめた。

だからこそ「子どもの発見」が可能だったのだろう。「罪深き存在」という空想を通してしか子どもを見ることができず、そのために子どもが見えなくなっていた西欧の人々は、ルソーの提案でようやく、目の前に可愛い、愛すべき子どもがいることを、素直に受けとめられるようになったらしい。

子どもをそのまま虚心坦懐に観察する。そこから指導法を導き出す、という画期的なアイディアは、ルソーから始まる。教育学はルソーから始まると言ってよい。ルソーが登場するまでは、まだ中世キリスト教の呪縛から逃れることができていなかったのだろう。

「韓非子」に次のようなエピソードがある。とある美少年を愛した王様がいて、その少年が勝手に王様の馬に乗ったが、振り落とされてケガをした。王様は「お前のお陰で暴れ馬でケガせずに済んだ」と喜んだ。少年が王様より先に菓子を食べたが、ふと止めて食べかけの菓子を王様に差し出した。王様は。

「全部食べたかったろうに、我慢して私にくれるのか、優しい子だ」とほめた。
やがて少年が成長し、オッサンになってくると、王様は「昔、あいつはオレの馬に勝手に乗った。食いかけの菓子をよこしやがった」と言って、処罰した。

人間は、思い込みがあると物事が見えなくなってしまうらしい。見ているのに見えない。自分の頭の中にあるイメージ、空想だけを見つめて、目の前の対象が見えなくなる。ルソー以前の西欧の人々が、子どもを目の前にしながら子どもが見えなかったのは、キリスト教から来た思い込みがあったのだろう。

日本はその点(かつては)、子どもを子どもとして見る文化があった。子どもは無邪気なもので、愛すべき存在だと考え、可愛がった。その姿は、西欧人からすると驚きであったらしい。明治維新前後で日本を訪れた西欧人は、日本人が子どもをこよなく可愛がる様子に驚いている(逝きし日の面影)。

それだけ可愛がっているにも関わらず、子どもたちは大人を深く尊敬し、礼儀正しく、やがて立派な大人に育つことに驚愕していた。ルソーが新たな教育観を提案してから100年近く経っていたが、西欧人はまだ子育てはムチで厳しく指導するもの、という習慣を変えることができていなかったかららしい。

今や西欧人も、子どもを深く愛し、子どもを虚心坦懐に観察し、その様子からどんな指導法が適切かを導き出すようになっている。かたや、まるでルソーによる最新の教育法を地でいくようだった日本は、まるで中世西欧のような教育観に染まってしまった。

子どもは怠惰で勉強しようとしない罪深き存在、だから大人が厳しく指導しなければ、という教育観を、戦前あたりから持つようになってしまった。子どもが見えなくなり、空想の子どもを目の前の子どもにあてはめて考えるようになってしまった。

恐らく、ルソーが登場したとはいえ、古くから続く教育観に西欧はなかなか抜けることかできずにいるその時代の教育観を、明治以降の日本は輸入してしまったのだろう。そのために、もとはできていた子育てができなくなってしまった面があるように思う。

思い込みを捨てて目の前の子どもを虚心坦懐に観察し、そこから指導法を導き出す。幕末にはできていたことを、ルソーが再発見した方法を、もう一度思い出す必要がある。私達まで、中世キリスト教の影響を受ける必要はないのだから。

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