なんで性犯罪者の名前を看板に残すねん

ジャニーズ事務所、少なくとも芸能活動においては社名を変えるべきだったのではないか。大いなる判断ミスのように思う。性犯罪者であることが明らかとなった人物の名前を冠した会社のタレントを起用したら、それは性犯罪を容認したことにつながりかねない。なぜそういうことになるかというと。

もし「タレントに罪はないから」とタレントを起用し続け、それが当たり前になってしまったら、いつしかジャニーズ事務所は「許された、少なくとも悪いイメージは薄れた」と考えるだろう。そうした時間が10年、20年経って、記憶がすっかり薄れた時、「なんでジャニーズなんて名前なの?」と聞かれた時。

性犯罪のことはおくびにも出さずに「スターをたくさん生みだす天才がいてね」と、ジャニー氏を持ち上げる言説を出しても構わない、と判断する輩が出てきかねない。社名を変えないということは、時間をかけてジャニー氏の名誉回復を図ろうとしている意図が隠れているように思われて仕方ない。

「タレントに罪はない、だから起用し続ける」というのは、社名を変えようとしないジャニーズ事務所に対して甘すぎやしないか。それではまるで、「特攻隊で死んだ人間は尊い死だった。だから特攻隊を企画し、それを命じた軍幹部も悪くない」みたいな感じがする。

今回ジャニーズ事務所が社名を変えずに済ませたのは、「タレントに罪はない」という言葉を盾に取った、卑怯な態度ではないか。昔、尾崎行雄氏が「天皇のイスの後ろから銃で撃つようなものだ」と、軍部が天皇を盾に取って卑怯な真似をするのを批判したことがある。ジャニーズの今回の行動はそれに似る。

タレントに罪はない。私もそう思う。ならばなおのこと、「ジャニーズ」という、性犯罪者を冠にした名前を続ける神経がわからない。「性犯罪者事務所」という名称の事務所からタレントを派遣することを考えたら、そのひどさをイメージできるだろうか。

ある人が書いていたけれど、ジャニーズ事務所の名称を残す方法はあると思う。被害者救済に特化した事業をする会社としての名称。それなら構わないと思う。ただしタレントを派遣する会社としては、別の名称に変え、気持ちよくタレントを起用できるようにすべきではないか。

アフラックは櫻井翔氏を起用するにあたり、ジャニーズ事務所と切り離し、個人として契約できないか模索するという。これ、yahooコメントなんかでは「ありえない」という反応が多いようだけれど、「性犯罪者事務所」から派遣してもらおうという方が、世界標準ではありえないのではないか。

私には、ジャニーズ事務所の認識は甘いように思われる。そしてタレント人気を盾にして、ジャニーという性犯罪者の名前を表看板として残そうというさもしい根性をしているように思われる。それってずいぶん卑怯な態度ではないか。私は、ジャニーという名前をお天道様のあたる場所で聞きたくない。

テレビ局は、「性犯罪者事務所からタレントを起用するのは難しい、社名を変えてほしい」と要望を出すべきではないか。それをしないテレビ局は、結局、性犯罪者であるジャニー氏の犯罪に今も加担しているのと同義だと思う。

公的機関も、「性犯罪者の名前を冠したままではタレントを起用できない」くらいは言ってやるべきだと思う。そうでなければ性犯罪を容認したことにつながってしまう。そのくらいの認識を持つべきだと思う。

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