「才能」考

「ビリギャル」ご本人による「元々頭がよい」という意見に対する反論。私はこうした意見に賛成。安易に才能があるだのないだの人は言うけれど、才能のあるなしを事前に見破る科学的な方法は今のところない。そのことはまず押さえたいところ。
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私が昔主宰した塾には、公立中学校で学年最下位クラスの子が4人来た。4人全員とも割り算や分数があやしく、中学校の内容なんかとても手をつけられる状態ではなかった。しかし小学校の内容から地道にやり直した結果、中学校の内容をマスター、その後は高校で真ん中以上の成績をおさめた。

学年最下位クラスと言えば、先天的に学習能力が欠如していることを疑われても仕方のないレベルだろう。しかし私は、その子らが自分より頭が悪いと感じたことはなかったし、事実、成績を大幅にアップさせた。私もどれだけ伸びるかは事前には確信が持てなかった。だから目覚ましい成長に驚かされた。

私は特別な指導をしたわけではない。その子が確実にできるのは、算数ではどの内容まで遡ればよいのかを調べ、「この内容は間違えずに解ける」という「地面」が見えたら、そこから少し背伸びすればできそうなものに取り組み、それが確実にできるようになったらそれを新たな「地面」とし、次へ。

それを繰り返したに過ぎない。学年最下位クラスだと、分数でつまづいていることが多い。そもそも分数って何?という状態。体験的直感的な理解になっていない。なんか横棒の上と下に数字があるのを分数と呼んでるらしい、程度の認識。それ以上のことはよくわかっていない。

とある高校生が興味深いことを言った。「ピザの三分の一とか四分の一とか、みんなマルの真ん中から切ればよいのか!」と、「大発見」をした。その子は一人っ子で、ケーキを等分に分けるという体験がなく、中心から切り分けると等分に分けられるということを、高校生になってから「発見」した。

分数の理解できない子は、ともかく粘土や紙を使って、何分の一とかニとかを体感させる。それをたくさんたくさん体感させると、だんだん分数が何をしたいものなのか、何を示したいものなのかが見えてくる。

私の見るところ、分数など小学生の問題ができないのは「才能がないから」ではない子がほとんど。しかしその内容を理解するには、それを習った年齢の時に体験ネットワークが不足していて、そのために「分数わからん」「速度の計算わからん」になってしまっている様子。

でもさすがに中高生になると、クラスを6人ずつのグループに分けて、とか、おやつを友達と分け合って、という体験が積み重なってきてるので、何度も分数を理解するための「体験」を増やしてやると、それらの体験と結びついて「そういうことだったのか」になっていく。

こうして小学校の内容をしっかり押さえると、中学校の内容も理解できる。中学校の内容をもれなく押さえると、高校の内容にもついていける。それを地道にやったら、どこの塾もサジを投げて引き受けようとしなかった学年最下位クラスの子でも、真ん中以上の成績にまで上げることができた。

私の見るところ、小中学校の内容を先天的に理解できない子どもは、公立学校に通う子どもの百人のうち三~四人くらいではないかと思う。ひどく言葉少なでも、言葉でのコミュニケーションをふつうに取れるのであれば、小中学校の内容を理解する力はあるように思う。

そして、小中学校の内容を完璧に仕上げられるなら、旧帝大に合格することも可能だと思う。意外に思われるかもしれないが、小中学校の内容を完璧に理解し使いこなせるのは、旧帝大に合格するレベルに限られる。これは最近の話ではなく、昔も今も。小中学校の内容があいまいなままな人は非常に多い。

たとえば、球の面積や体積の求め方は(私の世代では)小学校で習うけど、スッと答えられる人は半分以下だと思う。「10%の塩水100mlと20%の塩水200mlを混ぜると何%の塩水になるか」という計算も小学校で習うが6割以上の人が解けないだろう。中学校の内容ともなればなおさら。

どの教科も80点以上だけどイマイチ成績が伸び悩み、頑張ってるのに旧帝大にはなかなか手が届かない、という若者は、小中学校の内容のどこかで理解があいまいなところがある。それが解けたり解けなかったりして、なんとなくできてしまうものだから、分かった気になって放置してる人が優等生でも多い。

私は中2の終わりまで勉強ができず、小学校の内容もあいまいな自覚があったから、中3になってから小学校の教科書を何度かやり直した。高校に入っても、中学校の内容で理解の及んでないものがたくさんある自覚があったから、何度もやり直した。

私は自分で頭がよいとは今でも思えないが、「まだこれは理解があいまい」と思ったら、小学校の内容まで遡って何度もやり直したのが功を奏したのだろう。9割以上の人が、小中学校の内容のどこかで理解があいまいなところがある。それをしっかりやり直せば、旧帝大に合格する確率がグンと上がる。

自分の理解のアヤフヤな部分をシラミ潰しに潰していく、という地道な作業を怠る人がほとんど。そして成績が伸び悩んでるほとんどの原因は、躓いた部分をそのままにして次に進もうとしてきたのが原因、と私は考えている。いわゆる学歴の差は、ほぼそこだけではないか、と私は思う。

で、そこまでする必要があるかというと、これがまた別の話で。うちの研究室には、大学を出ていないスタッフも複数。けれど、問題なく研究業務を担当してもらっている。できないことがあれば、少しずつ「できる」に変えていけばよいだけ。高校を出る学力があるなら、別に一流校とかでなくても構わない。

さすがに数学者になるほどの数学ができるようになるかと言えば、私はお手上げだし、それは無理なヒトが多いと思う。けれど、小中学校の内容を理解することはほとんどの人が可能だし、高校の内容も、根気さえ続くなら可能。そこまでする気力とか動機が続くかは別として。

「そこまでする気力と動機が続くかどうか」がポイントだと思う。本来、学ぶことはとても楽しいこと。なのにそれをつまらないものにしてしまう幾多の原因が積み重なってしまう。私はたまたま、中2の終わり頃、その動機を見つけたから学び続けることができた。それだけのこと。

オリンピックの陸上で優勝するには、身体的に恵まれたものが必要だろうから、才能は必要かもしれない。しかし小中学校の内容を習得するのに、才能という概念を持ち出す必要があるとは考えにくい。高校の内容に至っては、根気とやる気が続くかどうかが決め手な気がする。才能云々ではなく。

多くの子どもたちのやる気と根気を育むには、「楽しむ」にしくはないように思う。楽しいことはのめり込む。のめり込めばやる気を出せとか言われなくてもやる気満々だし、根気強く取り組むことになる。「楽しむ」ことができるように学習をデザインすることが大切。

ビリギャルご本人は、そうした指導者に巡り会うことができたのだろう。自分がメキメキと成長していくことが実感できたら、ますます楽しくなる。そんな学習デザインが重要なのだと思う。小中高で習う内容で、才能を云々する必要はない。社会で学ぶことと比べたら、実は基礎でしかないのだから。

ただ、私はどうやら高校物理を理解する才能は欠如していたらしいことをここに告白しておく。大学に入ってから、悔しくて高校物理をやり直したけど、どうもわからん。生物化学に逃げて正解だったと思う。
まあ、得意不得意、好き嫌いはあるなあ、とは思う。

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