日本の男性がコミュ障に陥った歴史的経緯(仮説)

昨日まとめたツイート、年配の男性が比較的コミュニケーション苦手、という事例をいくつか並べたけれど。私は結構、後天的、社会的な学習によって口下手になったのではないか、という仮説を持っている。実際、江戸時代の「東海道中膝栗毛」なんかを読んでいると。
https://note.com/shinshinohara/n/na646f2174880

いわゆる弥次喜多が繰り出す軽妙なやりとり。こんなの見ていると、男性が口下手、社交下手だったとはちょっと考えにくくて。船に乗ったら「どこのお国ですか?」とか聞いて、すぐ打ち解けたりしている作品は、江戸時代の作品なんか見ていると非常に多い。武士も結構饒舌だし。

外国人が見た幕末の日本人を描いた諸作品を読んでも、当時の日本人がいかに人懐こかったかがよくわかる。男性もいろいろ好奇心を持って語り掛け、面白がっている様子がよく描かれている。ということは、男性が社交下手、口下手なのは生物学的である、とするのはちょっと早計だと思う。

イタリア人なんかは、女性と話すときにはデートに誘うのが礼儀、なんて、本当かどうか知らんけどそう考えている、というイタリア語講座の人がいたけれど。そういう人は当然、男性であっても社交的だしおしゃべりもうまくなると思う。

男性は口下手である、という反例は、亡くなった父が典型。電車に乗って向かい合う形になった人がいたら、必ず話しかける。そして降りるまでずっとしゃべっている。見知らぬ人によくそれだけ話せるね、と母が聞いたら。

「向かい合っているのに沈黙している方が耐えられん」と答えていた。父は、まったく見知らぬ人とおしゃべりを話し、気心知れた仲になるのが実にうまかった。私はその反動なのか、見知らぬ人と話すのは苦手だし、黙って本でも読んでいた方が楽なんだけど。

つまり、後天的学習でいくらでも男性だって社交的になれると思う。ただ、これだけ多くの男性が社交下手になっているのは、どうやら事実。祖母がお世話になっていたデイケアに時々行ったけど、女の人たちは仲良くおしゃべりしているのに、男性は一人だけムスッとしている人が多かった。

男性が口下手になった原因。あくまで仮説だけれど、戦前の徴兵制、特に軍国主義が広がってからではないか、と考えている。
明治維新を実現した雄藩、薩摩藩の武士は、ペチャクチャしゃべる男性を軽蔑する文化があった。たとえば維新後しばらくして起きた西南戦争前夜。

西郷隆盛の側近の薩摩武士、篠原国幹は、当時の日本政府と戦争することに反対していた。その理由を述べようとしたとき、「議を言うな!」という声が。それで篠原は黙ってしまった。薩摩では、グチャグチャ言わずに男は実行、という文化があり、「議を言う」は最大の侮辱語でもあった。

薩摩藩出身の武士は明治維新以後、陸軍の上層部を占めるようになり、陸軍の文化は薩摩武士の「男だったらペチャクチャしゃべるな、みっともない」というのが、どうも浸透していった様子。一つには、大山巌など、魅力的な人物が寡黙だったということも原因しているかも。

江戸時代の庶民は、男性も相当人懐こく、社交的な人が多かったようだが、明治維新以後、庶民も兵役で軍隊体験するようになる。それでもしばらくは、庶民は庶民らしかったようだ。大きく変化するのが、どうも日露戦争あたり。

日露戦争では前線から逃げてしまう兵もいたりした。たとえば大阪からの兵隊は弱兵として知られ、「戦で死ぬのはバカバカしい」とすぐ逃げてしまうことで有名だった。陸軍上層部は、逃亡兵が出ないように兵を叩き上げる必要を感じたらしい。それで始まったのが鉄拳制裁。

日露戦争までは、兵隊を殴って教育する、という記事がどうも見当たらない。武士は殴られたらその恥辱をそそがねばならない、という文化がかなり生き残っていたから、下手に殴ったら恨まれて切り殺される恐れがあったから、殴ることはためらわれたのだと思う。しかし維新からかなり時がたって。

日露戦争後になると、大の男を殴って教育する、というのが途端に目立ち始める。上官の命令は絶対、殴られても文句は言えない、腕立て伏せをしろと言ったらしなきゃいけない。絶対逆らえないという軍隊での教育が、日露戦争後、始まったらしい。

その時、薩摩武士の文化である「男がペチャクチャしゃべるな!」が、陸軍文化として浸透し、やがて庶民に至るまで共有されるようになった気がする。寡黙で余計なことを言わないのがかっこいい、というのが、男性社会の中に浸透、共有されたのかな、と。

第二次大戦が終わり、敗戦しても、挙国一致体制で軍隊的体験しかもたない世代が分厚く育っており、戦後の社会も軍隊をロールモデルとした組織運営が行われた。いわゆる「1940年体制」。このため、戦後も「男がペチャクチャしゃべるな!」と、寡黙を良しとする文化が男性に根付いてしまったのかも。

それでも人懐こい庶民文化は長らく生き残ってはいて。「3年A組金八先生」が始まったころでも、自営業を営む人たちが多く、サラリーマンはむしろエリート、というイメージだった。自営業の人たちは当然地域のコミュニティに濃密なコミュニケーションが必要だったので、人懐こい人が多かった。

けれど。共通一次試験が始まり、中学校に至るまで偏差値で序列化されるようになると、優秀な成績を収めて大学に行き、サラリーマンになる、というのがエリートコースとして認識され、親たちもそれを応援するように。自営業がどんどん減り、多くの人たちがサラリーマン化。

サラリーマンを雇う会社は、大企業をはじめとして軍隊をロールモデルにして組織を構築していたので、大企業に憧れる中小企業も似たような組織作りになってしまう。こうなると、サラリーマンは軍隊チックな文化に染まらざるを得なくなる。すると。

薩摩武士の文化が陸軍に浸透し、日露戦争後、兵役にとられた庶民もその文化を浴び、第二次大戦後も「1940年体制」の軍隊式を採用してしまった会社組織が、サラリーマンたちを染めていく、という形で、「男はペチャクチャしゃべるな!」が、変に浸透してしまったのではないか、というのが私の仮説。

まあ、そうはいっても本当にしゃべらなければ商売にならない。だから営業トークとか、会社の中での仕事の話は饒舌だけれど、仕事に関係のない話題についてはしゃべるのはみっともない、という風に変質したのかな、と思う。特に決定的だったのは、バブルかもしれない。

私が子どものころ(1970年代)までは、銀行と完了を除けば、サラリーマンは定時で帰れるのが普通だった記憶がある。中小企業の工場などは納期に間に合わせるために必死で働かねばならなかったのに。余計に自営業の人からしたら、サラリーマンは定時で上がれていいなあ、となったのかも。

テレビ番組「サザエさん」で、残業を言い渡されたら「ええー!」と露骨に嫌がるノリスケさんとかがよく描かれていた。ちょっと一杯、のシーンも多かったけれど、定時で帰宅、家族一緒に夕飯を食べるシーンがごく普通だった。それは団地に住む実際のサラリーマンもそうだった。

ところがバブル経済の時。あまりの好景気で、働けば働くほどあぶく銭が入るものだから、「24時間働けますか」というCMが普通に受け入れられるほど、みんな長時間働くようになった。家に帰らず、「飲むのも仕事」と、夜遅くまで飲んで。

バブルのころに「企業戦士」という言葉がよく聞かれるようになった記憶がある。両親は自営業だけれど自分はサラリーマン、というように、若い世代は実家の自営業を継がず、サラリーマンになり、サラリーマンの文化に染まり。家に帰らず。この時の「文化」が、男性を口下手にした気がする。

仕事以外のことは話すことができない。家に帰っても寝るだけ。子育ては妻任せ。そんな仕事の仕方をバブルのころのサラリーマンは身に着けてしまい、バブルが崩壊して以降も、「バブルよもう一度」とばかり、長時間働くスタイルが当たり前になってしまった。

かつては、サラリーマンで長時間労働と言えば官僚と銀行員くらいだったのに、バブル以降は、企業の大小にかかわらず、サラリーマンは長時間労働が当たり前になり、家庭を顧みる余裕を失ってしまった。地域のお祭りなどの活動に参加する余裕もない。ただひたすら、仕事のみ。

そうした世代が定年退職しだしたのが、1990年代後半あたり。「ぬれ落ち葉」という流行語が出た。定年退職し仕事を失うとやることがなく、地域に友達もおらず、ともかく奥さんにひっついて離れなくなり、その様子が濡れた落ち葉とそっくりだ、ということでできた言葉。

すっかり会社人間になってしまった男性は、仕事以外話すことがない。別の会社と出会ったときは、その会社の規模と役職から「俺の方が上だ」「俺の方が下だ」と判断する文化が強かった。阪神淡路大震災が起きるまでは。ところが、震災が起きてから、様子が変わり始めた。

阪神淡路大震災が起きるまでは、「社会階層」がものすごく厳密に出来上がっている感じがしていた。真綿で首を絞められたようなその息苦しさは、村上春樹の作品によく表れている。物質的に豊かなのに、社会階層の中にがっちり固定されてどうしようもない感。

阪神淡路大震災は、多くのボランティアが現地で出会い、交流することになった、私は、愛知県で暴走族のリーダーたちをまとめるリーダーと親しくなるという、震災前ならありえなかった出会いがあった。大学教授に物資支援をお願いするなど、震災前の社会階層をぶっ壊す活動が一気に起きた。

震災後は、会社以外の世界がある、という風穴が開いた感がある。その翌年からインターネットが急激に普及し、以前ならありえなかったほど、他大学の学生、あるいは社会人と交流する手段が現れた(メーリングリストなど)。

いまやフェイスブックやツイッターなど、社会階層なんか無関係につながれるツールが目白押し。会社以外の世界を持てるようになった。私の知人の多くも会社以外の世界を持つようになった。純粋会社人、というのは、男性でも減りつつあるように思う。

それでも日本人男性の場合、日露戦争後の鉄拳制裁からはじまる数十年の「教育」のため、社交術を相当喪失しているのは事実だと思う。これを再構築するには、まだまだ時間がかかるかもしれない。

東海道中膝栗毛の弥次喜多のような社交術を、日本人男性は再び再構成できるのか。それには、いろいろ乗り越えなければならない壁がある。
かつて自営業が多い時代なら、地域の祭りが交流のきっかけになっていた。消防団とかもそう。けれど、多くの人間がサラリーマンになった現代では。

地域の活動は面倒くさいものになっている。もし会社になじめなかった人間は、会社以外のコミュニティが崩壊していることが多いために、孤立しやすい。「社会に出る」ことができなくなった人がひきこもりせざるを得ないのは、会社以外の装置が社会にないためだといえる。

つまり、日本社会という仕組みそのもののコミュニケーション能力が低下している、と言ったほうが良いかもしれない。組織として、仕組みとして、機能が大幅に低下している。孤立しがちな人たちを結び付ける装置が、大人の場合、会社以外にない、という困った状態。

ツイッターやフェイスブックがその代用とされるのは、そのためだと思う。ただ、装置としてはまだ機能が弱い。社会的装置としてどんなものを用意すれば、多くの人が孤立せずに済むのか、考えていく必要があるように思う。

なお、今回のつぶやきは、多くの仮説で成り立っており、十分な証拠が示されていないといわれれば、その通り。それでも、理解するガイドにはなるかと思い、ちょっとまとめてみた次第。

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