失われたバイオマス

和歌山県のすさみの海に初めて行ったとき、生き物の豊富さに驚いた。岩にはでかいフナムシが群れをなして動く!近づくと巨大な黒い影が動くので面白くて追いかけた。
岩礁の水たまりには小エビがたくさん!網を沈めて持ち上げれば、たくさんの小エビが採れた。小魚もたくさん!

少し大きなハゼがいて、それを捕まえるには空き缶を沈めておけばよかった。必ずそこに入ってくるのがいて、簡単に捕まえられた。
水たまりのそばを歩くと巻き貝と思っていたのがコロコロと底に転がっていく。ヤドカリ。一つの水たまりに100匹ほどはいようかという数の多さ。

釣りエサは買う必要はなかった。岩礁には巻き貝が大量に引っ付いており、それを石で割って針につければいくらでも魚が釣れた。
釣りエサといえば、道中の釣具店に寄ると床が真っ黒。足を踏み入れると、足の形に白いコンクリートが現れた。黒いのはフナムシだった。床にビッシリ。

海に近づくずっと前、まだ1キロ以上あるはずなのに、磯の香りが鼻をついた。この臭いをかぐと「海だ!」と感じ、ワクワクした。こうした海のありさまは、私が大学生になる頃まで続いた。
しかし、大学生になった頃から急激に姿を変えていった。釣具店の床にビッシリだったフナムシが消えた。

すさみの岩礁でも、フナムシは小さく、群れも少なくなった。やがてエビや小魚がめっきり減り、水たまりに数匹見る程度に。ハゼは比較的長く見ることができたが、それも最近は姿を見なくなった。
コロコロ転がり落ちたヤドカリも、水たまりに数匹見る程度。

最後まで数多く見られた小さな巻き貝も、前に百見られたところに数個程度。
そして20年ほど前になると、磯の臭いが消えた。海辺に立ってようやくかすかに臭う程度。砂浜には、ほとんど海草が打ち上げられていない。以前は大量に打ち上げられていたのに。

私が二十歳になる頃から三十歳になる10年間に、すさみの海は激変した。生き物の数、量が1〜数%に落ち込んだ。原因はよくわからない。すさみの海の近辺には人家も大してなく、人工物も増えたとは感じない。都市からもかなりの距離があり、湾の外は黒潮。なぜそんなにもバイオマスが減ったのか?

地元の人によると、上の方でゴルフ場ができてから生き物が減り、小川に鮎が遡上しなくなったという。しかしバブル崩壊でやがてそのゴルフ場も閉鎖になったのに、すさみの生き物は回復する兆しを見ない。なぜなのか?

地元の人は、磯の香りがしなくなっていることに気がついていなかった。無理もない。毎日嗅いでると磯の臭いは感じなくなってしまう。私のようなよそ者がほぼ同じ頃に定点観測のように遊びに来るからこそ、磯の臭いが消えたことに気がつくのだろう。私の中では、磯の臭いが消えたことは恐怖だった。

父によると、大阪の海でも昔は大量のシオマネキというカニがハサミを一斉に動かす光景を見ることができたという。
祖母によると、赤トンボは、ヒッチコックの「鳥」のように、空一面、大量に飛んでいたものだという。大げさな話ではないことは、大学生になるまでのすさみの姿から感じられた。

磯の臭いは、海草・海藻が腐敗することによりジメチルスルホキシドが発生するかららしい。つまり海草等が減ったことで磯の臭いが消えたらしい。海辺に打ち上げられた海草等は極端に減っていた。海草等の激減が、磯の香りを消したのだろう。

水産関係の方に聞くと、和歌山のそのあたりの海も「磯焼け」が起きていたという。海草が失われてしまう現象。もしかしたら海草が減り、それを食べる魚やエビ、貝、フナムシ等が減った、ということなのか。
しかし、なぜ磯焼けが起きたのかは不明。

一つ言えることは、私が大人になる頃までは存在したバイオマスが、わずか10年ほどで急速に失われ、回復しなかったということ。そしてこれは伝聞だから確信を持てないが、私が生まれる前の日本では、信じられないほど大量の生き物たちが存在していたようだ。

恐らく、私達が押さえておかなくてはいけないのは、私達の世代では想像がつかないほどのバイオマスがかつて日本の海や陸を覆っており、巨大な物質循環を行っていたらしい、ということ。昭和30年代くらいまでは、私の想像を超えるバイオマスが大量に海へ、陸へと動いていたようだ。

しかしその巨大なバイオマスを定量的に調べる研究は当時、あまり行われていなかったらしく、お年寄りの昔話に痕跡を留めるだけになっている。バイオマスが激減していることは年配の研究者も認めるが、どのくらい減ったのかは、減ってしまった今では調べようもないようだ。

生き物がすっかり減ってしまった現代に、赤トンボが数十匹も群れをなして飛んでるのを見ると「生き物がいっぱい!自然がいっぱい!」と感じる感性になっている。これは研究者でも昭和三十年代を知らない人なら無理もない。私もその時代を知らないから想像しようもない。

私はかろうじてすさみの海の80年代の豊かさを知ることができた。だから古老のいうバイオマスの豊かさも、誇張ではないと思うことができた。しかしすさみの90年代以降の貧弱さしか知らず、今の日本のバイオマスの貧弱さしか経験していない人には、もはや夢物語でしかない。

研究者といえど、自分の生活体験から類推することが標準。古老が語るバイオマスの量は、「誇張もいいところ」と相手にせず、数値も残っていない話は科学的ではない、と否定したくなる気持ちになっても仕方ない。大人になり、研究者になった私でさえ、すさみのバイオマスを数値で示すことはできない。

しかし、フナムシを例にとれば、間違いなくかつての1%を切っている。恐らく1000分の1の単位で考えた方がよいほど減っている。バイオマスの減少の仕方は、90年代に入ってからは普通ではない。いや、フナムシの減少は特に早く、80年代には起きていたか・・・。その他の生き物は遅れて減った。

バイオマスの極端な減少が日本の国土にもたらす影響は、小さくないもののように思う。今の貧弱なバイオマスから、生物の影響を過小評価するのは不適切に思う。しかし残念なことに、豊かなバイオマスを誇っていたときの生物量を知るすべはもはやない。

デイビッド・モンゴメリー「土の文明史」によると、古代ローマは年間1ミリよりもはるかに遅い速度で土壌をやせさせたという。しかしそれにより、数百年の時をかけて土壌を失い、生産力を低下させた。そのあまりの変化の遅さに、その世代は「昔からこんなもの」と感じていただろう、という。

日本の国土を覆っていたバイオマスの減少は、それよりもはるかに急速に起きたことだが、「お年寄りの好きな誇張した話」として受けとめられがち。私のすさみの経験さえ、地元の若い世代からは「大げさな」と笑われることだろう。私達は、かほどに貧弱なバイオマスしか知らなくなっている。

私達が失ったものは何か、気づくことさえ難しい。ないものに気がつくことは難しい。数字の記録に残っていないことは研究者も相手にできない。私達は、失ったものの大きさを感じ取ることさえ難しい時代に突入しているのかもしれない。

まだ80代の世代がお元気なうちに聞き取り調査を行い、かつてのバイオマス量を推定するという研究を開始したら、貴重な研究になるように思う。恐らく赤トンボの数は今の千倍以上はあるだろう。ドジョウや鳥の数などもケタが違うことだろう。

かつてのバイオマス量を古老からの聞き取り調査から類推する研究、どなたかやってみてほしい。あと10年もすると、昭和四十年代以降の、虫も魚もすっかり減ってしまった時代しか知らない世代に押し流されてしまう。貴重な研究資料になると思われるので、ぜひやってみて頂きたい。

先日バズったこのまとめでは、「土からの方が供給は大きい、生物からは誤差の範囲で無視できる」というご意見も複数あった。確かに今の生き物の数は貧弱で、無視できるかもしれない。しかしお年寄りの語るバイオマスが本当だとすると、その循環量は莫大だった可能性。 https://note.com/shinshinohara/n/n0122b9f3766d

かつてのバイオマス量を知らない私達が、自分たちの体験から「バイオマスの貢献は無視できる」と考えるのは早計なように思う。ここは慎重に、真剣に考えてみた方がよいように思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?