「驚く」を提供する

「俺は前の業界ではちょいと知られた人間なんだ」という自慢をしてしまう人に出会うことがある。人に認められようとして。ほめられようとして。しかし残念ながら、逆の作用をしてしまうことが多い。人が遠ざかり、煙たがられる。人に認めてもらえるどころか、逆にバカにされることが多い。

もしこうしたマウンティングに対して「すごいですね」とか、肯定的な表現をすると「そうだ、すごいのだ、お前は私を見習え」と上下関係を作り、自分をあがめろ、という関係性を固定化しようとする人がいる。これではたまらないので、「はいはい、えらいですね、さようなら」とされてしまう。

人間はいくつになっても、他人に驚いてほしい生き物であるらしい。幼児が「ねえ見て見て!ぼく、こんなこともできるよ!」と言ってアピールするのと同じで、自分のすごさで他人を驚かせたい、という気持ちが、トシをとっても残るらしい。

私もトシを取ったらネジが外れて、そういう態度をとるようになるのだろうか、と心配している。自分をたたえてもらおうとして自慢し、嫌がられて人が遠ざかる老人に。
でも他方、トシをとっても若い人にモテモテの人がいる。そうした人たちはいったいどうしているのだろう?

その人は他人の工夫、努力、苦労に驚いていた。「わ!面白いことするねえ」「粘り強く取り組んでいるねえ」「しんどいだろうに、よく頑張っているねえ」。他人の工夫、努力、苦労に驚き、それを面白がっていた。そうした人の周りには若い人も群がり、慕われていた。

その人が驚いてくれるから、「最近、こんなことがあって」と報告しに行く。するとまた驚いてくれ、さらなる工夫、努力、苦労を重ねようとする。そしてまた驚いてもらおうとする。こうして、人が群がるようになるらしい。

人と良好な関係を築こうとするなら、自分のすごさで他人を驚かそうとするのではなく、他者の工夫や発見、努力や苦労に驚くほうがよいように思う。人間は、どうやら自分の成長で驚いてほしい生き物。ならば、「驚く」を提供する側になればよいように思う。

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