人は「驚かせたい」生き物

人間には名誉欲とか出世欲とか金銭欲とかがあると言われる。ヘーゲルは「優越感」が様々な行動の動機になると言う。しかし人から優越したいという欲望は、遠心力がある。いつも自慢話ばかりする人間の話はつまらなく、商売上の付き合いでもない限り近づきたくないもの。

それでも自慢話をしてしまう人は多い。自分がいかに重要な人物かをわかってもらえれば認めてもらえるのではないか、と勘違いして。でもそれは幼児的欲求なのかもしれない。子どもの頃は「ねえ、見て見て」と言い、大人は「すごいねえ」と驚いてくれる。その思い出が忘れられないのかも。

この幼児的欲求を強化するのが、受験戦争なのだろう。成績が悪ければ「そんなことでは社会でやっていけないぞ」と言われ、成績さえよければ親も先生も認めてくれる。パフォーマンスの高ささえ示せば人は認めてくれる、という「学習」をしてしまうのだろう。

しかし、いくらパフォーマンスが高くても、いろんな知識があっても、能力が高くても、人間関係がうまくやれないと嫌われる。「ええ、ええ、スゴイですね、あなたにはかないません、それでいいので私に近づかないで下さい」になってしまう。能力の高さがアダになって人を遠ざけてしまう。

「能力の高い人間は妬まれ、疎まれるものだ」と、孤独は自分の能力の高さゆえだと慰める論理も用意されてるので、そこに逃げ込む有能者も多い。しかし、本来能力というのは多くの人を助けるための力。それが他者を不愉快にする力に変じるとは皮肉な話。

能力の高さ(あるいは学歴の高さ、経歴の高さ)を示せば敬遠され、嫌われることが経験上わかっているのに、それをせずにいられず、そして案の定嫌われたら「有能な人間は妬まれ、嫌われるものだ」と、独り、自分に酔うことで自分を慰める。こうした状態に陥る人は、世の中少なくない。

私は、人間関係の欲望を「驚かす」というキーワードで整理したほうがわかりやすいのではないか、と考えている。出世欲も金銭欲も名誉欲も、ひっくるめた優越感も、全て人を驚かしたい、という欲望から生まれたものではないか、と考えている。

本当は、人を驚かすにはいろんな方法がある。出世や社会的地位やお金持ちであること以外にもいろんな方法がある。なのに人に優越する形でしか人を驚かすことができないと思いこんでいるところに、不幸の始まりがあるのかもしれない。

劉邦や光武帝、劉備らは、人には「驚かす」ことに強い欲求があることをよく知っていたようだ。劉備は関羽、張飛、趙雲といった豪傑らの活躍に驚き、孔明の智謀に驚いた。すると彼らは劉備のためにますますハッスルし、さらに役立とうと努力を重ねた。

「驚く」ことは、多くの人が持っている「驚かしたい」という欲求を満たす「プレゼント」なのだということを知っていたのだろう。そして自分の活躍に驚いてくれる劉備のために多くの豪傑や智者たちが孔明のために働こうとしたのだろう。

ところが「驚く」ポイント次第で相手を増長させてしまうことがある。たとえばキャバレーなどで使われる「さしすせそ」もそう。「さすが!」「すごい!」と驚くポイントが社会的地位だったり学歴だったり、外面的な飾りに驚くと、驚かれた側はますます外側を飾ろうとしてしまう。

結果に驚くのも増長を招く。たとえば「百点なんてすごいね!」とか「あんな大口案件決めるなんてすごいね!」と結果をほめると、面白いことに頑張らなくなることが少なくない。ほめて動かそうとしても「やる気になればいつでもできる」という論理に逃げて動かなくなってしまう。

なぜ結果に驚くとそうなるのか?「今回はたまたま百点とれたけど、とり続けるのは難しいし、しんどい」「あんな案件はたまたま、それを続けるなんてとても不可能」と不安になり、再び同じ結果を出せないことを恐怖し、意欲が失われてしまうのだろう。

そこで、相手が自分のことをすごいと言ったそれを言質にとり、「そうさ俺は本気になればすごいのさ、今は本気出さないだけ」という論理に逃げ込み、なんとか過去の栄光で自分の心を守ろうとする。つまり増長という反応は、実は同じ結果を出せないかもという恐怖の反応であり、逃避反応なのかも。

私は、驚くポイントとして工夫、努力、苦労を推している。中でも工夫が最もよいと考えている。工夫をもう少し詳しく書くと、試行錯誤、挑戦、発見になる。これらに驚くようにすると、増長することもなく、ますます新たな工夫を重ね、能力を伸ばし、問題解決力を身に着けていくように思う。

工夫に驚くようにすると、当然ながら同じ工夫では驚けないということが暗黙のメッセージとして伝わる。だから、驚かそうと企む人は、新たな工夫を考えることになる。新たな工夫をするには観察しなければならない。考えなければならない。常に新鮮な経験へと突入し、挑戦し続けることになる。

そして、常に新たな工夫で挑戦し続けると、新しい発見が次々に起きる。それが楽しいから、人が驚くかどうかは別として、一人でも楽しい。だから工夫・挑戦・発見は、クセがつくと一人でも続けることになる。それでも、一緒に驚いてくれる人がいるとなお楽しい。

工夫・挑戦・発見で驚くことは、相手を増長させることがない。常に新たな工夫を考えなければ驚いてもらえないから、増長してるヒマがない。それに、増長していい気になってるより、新たな工夫を考える方がどんな発見ができるかとワクワクする。それ自体が楽しいから、増長という逃避をする必要を感じなくなるらしい。

そして、人間関係を良好にするコツこそ、「驚く」ことではないか、と考えている。工夫(試行錯誤、挑戦、発見)、努力、苦労に驚くポイントを絞り、特に工夫に驚くようにすると、相手を変に増長させることもなく、とても気持ちよく関係を築けるようになるように思う。

たとえば「私との会話をなんとか弾ませようと、こんな質問をしてくれたんだ!」と驚き、喜ぶと、その驚きは相手に伝わり、「こんなことで驚き、喜んでくれるなら」と、ますます工夫し、驚かせ、喜ばせようとしてくれる。

YouMeさんは子どもを連れて公園に行くと、そこにいる子どもたちの様子に驚きの声を上げる。すると子どもたちはますますハッスルし、「ねえ、見て見て!」と、新たな技を見せて驚かせようとする。それにさらに驚いてると、「この子、おばちゃんの子?」と子どもたちが言い出す。

「そうなの、一緒に遊んでくれる?」というと、「いいよ!」と引き受けてくれる。我が子がよその子を世話するなんて珍しい、と母親が近づいてきて、YouMeさんは「うちの子面倒見てくれて、優しいお子さんですねえ!」と驚くと、心開いてくれて、地域のいろんな情報教えてくれたり。

YouMeさんのこうした様子を見てると、「相手の能動性に驚く」のでもよいのかもしれない。しかも自分のために能動性を示してくれるという「奇跡」に驚くと、もっとこの人のために能動的に動こうとしたくなるらしい。それに驚くと、ますます能動的に喜ばせようとしてくれる。

以前、ツイッターで流れてきた4コママンガで、自分が能動的に動く様子に驚きと喜びの声を上げるおじいさんが登場してて、オチは「この人のヨメになりたい」だった。自分がちょっとした相手のためになることに驚きの声を上げてくれると、嬉しくてならなくなるらしい。

人と良好な関係を作るコツ、それは自分のために何かをしてくれた、その能動性が生まれた奇跡に驚きの声を上げ、喜ぶことなのかもしれない。そして相手の意欲を高め、さらに良好な関係を結ぶには、相手の工夫や努力、苦労に驚き、面白がることなのかもしれない。

自分が相手を驚かそうとするのではなく、自分が相手に驚く。そして驚くポイントは社会的地位とか金銭とか名誉とかなどの外面的なものではなく、相手の能動性や工夫に驚く。すると、もっと人間関係は作りやすくなり、しかも気持ちよく付き合えるようになるのかもしれない。

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