子どもが数学好きになったメカニズム(仮説)

息子(小5)は今のところ、算数(数学)が大好きで得意。では、得意だから好きになったかというと、好きだから得意になった順なのかな、と思う。
ではなぜ好きになったかというと、私をはじめとする大人が驚いていたからのように思う。

私も実は先回りして教えようとしたことが何度かある。ところがまだ2歳というのに教えられるとすごく不快そうな顔、やる気をなくした顔、戸惑う顔をするのに気がついて、教えるのをやめるようになった。次第に、息子が数に関して何か発見するたびに驚くことだけに徹することにしてみた。

すると、私が驚くものだから張り合いがあるらしく、数に関する発見があったら私に話してくれるように。私は「へえ!それによく気がついたな!」と驚くと嬉しそう。すると、意識のどこかで「数に関する発見をまたしてやろう」と思うらしく、数へのアンテナが普段から立つようになった。

誕生日プレゼントに算数大図鑑をもらったら、まさに擦り切れるほど読みこなし、私にその知識を披露してくれた。実際知らないことばかりで驚かされた。息子の算数好き、数学好きは、「大人を驚かせたい」というのが大きな動機の一つになっているらしい。

息子は暗号も大好きで、ベニー・ワーナー「暗号クラブ」を全巻読んだ。ナントカ暗号とか、私の知らない話をしてくれる。私はホウ、ホウと驚き、感心するのみ。

「好きこそものの上手なれ」は、本当のことのように思う。娘(小2)はお兄ちゃんの算数好きを見て、「この分野では大人を驚かすことができない」と感じていたのか、算数に興味を持たずにいた。そのため数に関する能力はあまり伸びてるとは言えなかった。

でも幼稚園の年長のとき、友達とそろばん教室に行くことにして、九九の二ノ段を暗唱した。するとお兄ちゃんも含め、家族全員が驚き、大拍手!それで娘は「お兄ちゃんがすでに開拓した分野でも、私のできなかったことができるようになれば、みんなを驚かせるのか」と気づいて、それ以来、数好きに。

お兄ちゃんと数学談義をして、11の倍数が100以上になると、110,121,132・・・というように、10の位の数字が1の位の数字より数が一つ大きくなることを発見した。好きだと数のことを考えることが苦にならず、むしろずっと考えたくなるらしい。

息子も娘も、算数や数学の知識はどこからか仕入れてくる。私はそれに驚くだけ。でもそうすることで、息子も娘も数に関することが大好きになり、関心が湧いて、自然と注意深く観察するようになり、観察するから発見が多くなり、発見すると大人を驚かすことができる。そうした好循環が生まれるらしい。

私は近頃、「教える」よりなにより、「好き」「楽しい」になることの方が大切なように考えている。そして子どもが好きになり、楽しむようになる大きなきっかけが、親の驚く様子なのかな、と思う。
ところがこの「驚く」、難しいという方が少なくない。

子どもが足し算に成功しても「そんなの当たり前、次は10を超える足し算が待ってるぞ」と、先回りしてしまう。先回りできる大人としては、そんな程度のことに驚くことなんてできない、ということらしい。
でも考えてみると不思議なことだ。ではなぜ、赤ちゃんが初めて立った時、言葉を発した時。

手放しで驚き、手を叩いて喜んだのか。「今、立った!」「今、言葉をしゃべったよね?」と、心から驚くのはなぜか?それは、子どもを普段から観察し、立つことがまだできないこと、言葉をまだ話せないことを知っていたから。そして「どうか立てますように」「言葉を話せますように」と祈ってたから。

祈っていても、どこかしら不安。果たしてその日がいつ来るのかわからない。そんな気持ちでいた時、それが訪れたから驚いたのだろう。そう、立つことも話すことも決して当たり前ではない。それは奇跡。奇跡と思うから驚く。

私は子どもが自発的能動的にどこかから知識を仕入れてくること、普段の生活から数に関する発見をしてくることを奇跡のように思っている。だって、それは私にはどうしようもないこと。子どもの中から自発性能動性が生まれることは祈るしかない。それが発生したら奇跡。奇跡には驚くしかない。

子どもが何かしら能動的につかみに行ったとき、その奇跡に驚く。すると子どもはますます能動的にそれをつかみにいくようになるらしい。教えなくても、驚いていれば子どもは勝手に学び出す。大人は、子どもの能動性の誕生に、その成長に驚いていれば、子どもはのびのびと成長していくのではないか。

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