遺伝的要因しか検出できてない

安藤寿康氏は自分の研究の解釈を思い切り間違っているように思う。別々の家庭環境で育った一卵性の双子を研究したら、環境の影響は小さく、遺伝の影響が大きかった、というのだけれど、「遺伝の影響しか検出できない」条件だから当たり前。
そのことについて、解説を試みる。

安藤寿康「「親ガチャ」を過小評価してはいけない…双子研究が解き明かした"教育は遺伝に勝てるか"の最終結論」
https://president.jp/articles/-/73154

双子(一卵性、同じ遺伝子)を別々の家庭に預けて、それぞれの環境要因(叱る、ほめる、注意する、放置する、お金持ち、など)を調べつつ、成績などの結果がどうなるか調べたら、そりゃ遺伝子の影響が強く出るだろう。なぜなら、どの環境要因も子どもの成長に役立たないものばかりだから。

「叱る」一つとっても、子どもの心に響く叱り方、むしろ反発し、やる気を損なう叱り方、いろいろある。有害も有効もゴチャ混ぜの、解像度が無茶苦茶悪いパラメーター。「ほめる」だって、やる気を促すこともあれば、増長してむしろやる気を失うこともしばしば。環境要因がどれもこれも子どもの成長に役立たないパラメーターばかり。

そうした環境要因をいくら並べ立て、調査したところで、それらの環境要因は自ら潰し合う(有害な「叱る」と有効な「叱る」の潰し合い)ので、子どもの成長になんら役に立ったとは見えない。その結果、どうなるかというと、きっちり条件をそろえた遺伝的要因だけが検出されることになる。安藤氏の研究は、遺伝的要因しか検出できない実験系になっているように思う。

遺伝的要因しか検出できない研究、環境要因は全部無駄になるように設計されている研究。そうした設計の研究では、遺伝的要因だけが影響力を示すのは当然。だって、環境要因が軽視・無視されるようにデザインされているのだから。

これは安藤氏が古い世代の人であることも影響しているように思う。昔、子育てに関して「厳しく育てる」「愛情深く育てる」「放任主義」など、今となっては解像度の悪すぎる教育観しかない時代があった。厳しく育ててグレる子もいれば成績上がる子もいる。つまり厳しさは成長と関係のないパラメーター。

2匹のライオンに「同じ遺伝子」のリンゴを預け、どちらが先に腐るか実験したとする。ライオンの性格「おとなしい」「気性が荒い」「動きが活発」などの「環境要因」を調べても、おそらくリンゴは似たような時期に腐り、ライオンの性質という「環境要因」の影響は受けないだろう。

でも、知識のある人間が、リンゴに適した低温で保管すれば、そのリンゴははるかに日持ちするだろう。環境要因を選ぶなら、こうした「真に役立つ環境的アプローチ」を選択する必要がある。それが安藤氏の研究ではできていないようだ。ならば、環境要因が低評価となり、遺伝的要因だけが検出されるの当たり前。

ただ、安藤氏にも同情すべき点はある。なんと、子どもの成長に役立つ環境的アプローチは、まだはっきりしていない、という点。これも時代的な原因がある。安藤氏の生きた時代からつい最近まで(なんなら現在も)、「教える」ことが子どもの成長に有効だと信じられていた、という深刻な問題がある。

「教える」という環境要因も、実は非常に雑で解像度の荒いアプローチで、教える人間によって、子どもはやる気を示すこともあればゲッソリしてその教科が大嫌いになったりする。つまり、「教える」というパラメーターは、有効も有害も混ざった、実に雑なもの。こんなの測定しても役に立たない。

近年、ようやく子どもの成長に役に立つ環境要因が明らかになりつつある。「子どもが興味を示していることに先回りして教えたりしない」「子どもが熱中している最中に声をかけて邪魔したりしない」「マンガなんか読んでいないで勉強しなさいと言ったりしない」など、成長に相関の高いパラメーター。

もしきちんと研究するなら、「あなたはどんなことをいわれたとき・されたときにやる気をなくしましたか?」ということを調査し、その中で意見の多かったものを選択し、親がそれをやりがちか、そうでないかを調査したらよいだろう。すると。

そうした環境要因で優れた数値を示す家庭は、双子と言えど、もう片方とは違う伸びを示すように思う。実際、安藤氏の研究でも、環境要因は事実上ランダムで遺伝子の影響しか検出されないはずなのに、遺伝子の影響100%じゃない。環境が大きく作用する突出事例があるためだろう。

課題は、まだまだ教育学が、子どもにどうアプローチすると子どもの成長に有効なのかを、きちんと整理できていないということ。まだまだ教育学は「教える」ことを当然視する「呪い」が解けていない。真に有効なアプローチは何か、整理できていない。

真に子どもに有効なアプローチが明らかでない時代に行った安藤氏の研究は、残念ながら遺伝要因しか検出されない実験系だと言わねばならない。その研究をもってして、環境要因は子どもの成長にあまり役に立たない、と結論づけるのは、ご自身の研究の解釈を誤っている、と言わざるを得ない。

後進の行動遺伝学の研究者は、適切な環境パラメーターの選択をするよう、お願いしたい。しかしそもそも、子どもの成長に有効な環境パラメーターが研究途上ではっきりしていない、という問題があるから、まずはそこから明らかにする必要があるだろう。

吹奏楽の強豪校の指導者が別の学校に異動になると、異動先が強豪校になるという。こうした事例は、安藤氏の主張の反証になっているように思う。指導のうまい指導者が指導する、という環境要因は結果を大きく左右し、子どもの遺伝子で決まるものではないことを示す、興味深い現象だと思う。

さて問題は、指導のうまい指導者のマネを、他の人ができるのか、という点。これは、子どもにどうアプローチするのが有効なのか、言語化できていないのが原因のように思う。

でも、着実に変化は起きているように思う。これまでの指導法は、「指導者が」と、指導者を主語にして考えてきた。しかし近年、指導法が激変している。コーチングの登場が大きいだろう。「生徒が」何につまづき、本人がどうしたらそれを乗り越えられるのか、を考える、生徒が主語の指導法。

生徒が主語になるから、生徒一人一人、アプローチが違う。生徒もそれぞれ、自分に合った解決法を探すことになる。指導者は、生徒が自発的に能動的に課題に取り組み、解決することを楽しむマインドになるよう、アプローチを工夫する。

こうした、コーチングを前提とした「環境要因」は何か、を考えれば、「生徒が自発的に取り組める環境か」「課題が見えたら生徒は工夫するか、それを関係する空気となっているか」「答えは言わないが問いかけ、考えるヒントを提供する人がいるか」「解決できた時にそれに驚き、喜んでくれる人がそばにいるか」などがよいかもしれない。

そうした環境要因をパラメーターとして選び、研究し直したら、私は安藤氏の結論とはかなり様子の違った結果が出てくるように思う。安藤氏の研究は、有効な環境要因が見出されていなかった時代ゆえの、誤った結論を導いているように思う。

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