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未発表掌編 『fatalism(甘い運命)』(2023.12)

 年末にふるい友人と食事をした。忘年会、と普通はいうのだろうが、俺と彼とは年イチで会うかどうかの距離感だから、感覚としてはただの会食ないしはサシ飲み、、、、だ。ともあれ、これはそのときの話である。何の気なしに俺は言った。それにしても、今年は本当にたくさんの人が死んだよな、と。
「まあ、単に俺らも歳を食ったって話なんだろうが。無数の巨星がちた、という感覚が俺にはあるけど、若い連中からすれば『誰?』って感じだろうしな」
 人死に、、、。俺の念頭にあったのは著名人ばかりではなかったが、旧交を温める場には不適当だと考え直し、話題を狭めた。つもりだったが、そこで久々に思い出した。彼の持つ特殊な能力────あるいは彼にかけられた呪い、、のことを。
 それで、珍しく俺は直裁ちょくせつに訊いた。
「というか、遠野とおの。お前は知っていた、、、、、のか? つまり、彼らが亡くなることを」
 いいや、と彼はかぶりを振った。「映像や写真ではわからないんだよ、國近くにちか。俺は、その顔と姿をじかにこの目で捉える必要がある」
 ああ、と俺は浅くうなずいた。
「────そうか。そういう話だったよな」

 彼と俺が出会ったのは大学の写真部だ。同じ部の同期。はじめはそれだけの関係だったが、夏合宿で深酔いした彼を介抱した折、出し抜けに秘密を打ち明けられた。自分には他人の将来的な死因、、、、、、、、、が見えるのだ、と。
 へえ、そうなのか。適当に流した俺に、遠野は三年の先輩の名をポツリと告げた。あの人は近いうちに死ぬ。不運にも交通事故で。そして──ほんの二週間後にその通りになった。
「確定してるわけじゃないんだよ」
 秘密を洩らしたことを悔いている、といった態度もあらわに、後日こうじつ彼は言った。狭い暗室の中でため息をつき、説明した。
「現時点からこのまま進んだら、、、、、、、、こういう死に方をする、というのが、わかるんだ。遠い未来のことまではわからない。知れるのはせいぜい一年以内のことで、だけど、一年以内に死ぬとしたら必ず、、その死に方をする。時期もだいたいは掴める」
 このまま進んだらというのは? 混乱しながらも俺がたずねると、「そこが問題なんだ」と彼は目頭を揉んだ。「つまり、回避が可能なケース、、、、、、、、、もあるんだよ。行動の変化で死を遠のけることができる場合も、ある。だから、先輩には車に気をつけるようそれとなく伝えはした。でも…………やっぱりダメだったな」
 自嘲じちょう諦念ていねんい交ぜに彼は語った。基本的にはどうにもできない。まずは信じさせることから困難であるし、行動の変化で死が回避された場合、自分のことばは嘘になってしまう。信じて貰えるのは予言、、が当たったあとだけで、それでは何の意味もない。試行錯誤していた子供の頃には不気味がられもした。これは口にすべきことじゃないんだ、と中学生の頃にはなかば己を納得させていた。
「とはいえ、当時はしんどかったよ。声をかければ死なずに済むかもしれない人を見殺しにしてるみたいで。けど、はっきり言ってキリがないし、実際にできることも少ないから、努めて割り切ることにしたんだ。俺が助言するのは面識ある人間だけ。それも、警戒されない程度の内容にとどめる。機会があれば肝臓の検査はすべきかも。雪の日には外出を避けた方がいいかも。そのレベルの助言が意識のどこかに引っかかったらよしとするスタンスに落ち着いた」そこまでを言うと、遠野はわずかに視線を落とした。「……まあ、どのみち十中八九、結果は変わらないから。ごくまれに変わることもある、と俺が知っちゃってるのが厄介なだけで」
「…………それは」なんと言ったものかわからず、俺はことばを探した。「すまん。正直、理解が追いつかないんだが、キツいだろうな。だって、その──運命論者になろうにもなりきれない、ってことだろう?」
 十分すぎるぐらい理解が早いよ、と彼は微かに笑った。それから、やや表情を硬くして言った。「……たぶん、俺は周りに壁を作っているように見えるよな?」
「まあ、多少は」そう答えた。「俺もとっつきやすいタイプじゃないから、他人のことは言えないが」
「確かにな」今度は明瞭に笑って、遠野は肩の力を抜いた。「親しくなりすぎないように、という防衛機制的なものが俺には働いてるんだと思う。親しい人間に死の兆候が見えてしまったら、何がなんでも阻止したくなるから」そして俺を正視して、こう重ねた。「ここまでのことを打ち明けたのは久しぶり──というか、ほとんど初めてだよ」
 その改まった口調と静かな眼差しに、少しの不安を誘われた。
「もしや、俺にも兆候が見えるとか言わないよな」
「少なくとも一年以内に死ぬことはなさそうだ」
「そうか」安堵し、少しだけ考えてから俺は訊いた。「もし、俺に死相、、が見えたら教えてくれるか?」
「────回避が可能そうな場合には、ということ?」
「いや、そうでなくても」
 ふうん。興味深そうに俺を眺めると、「少し変わってるんだな、國近は」と彼は言った。「わかった。具体的な死因までは話さないが、助言はするよ」
 俺と遠野は、そんな奇妙なきっかけで親しくなった。

「映像や写真ではわからない。あのあと、確かにお前はそう言ってたな」
 俺はビールを飲んだ。鏡像の類でも駄目なのだ、と詳しく教えて貰ったことまで思い出す。直にその顔を見ないことにはわからない。だから、遠野は自分の死期と死因だけは絶対に知り得ない、、、、、、、、、、、、、、、、、、、だろうと語っていた。
 それは幸いだな、と当時の俺は思ったのだが、彼としては不本意なようだった。他人の死が見えるのに、自分のそれだけは見えない、というのはたいへん理不尽に感じられるらしい。その話を聞いて俺は思ったものだ。なんだ、俺を変人扱いしたくせ、こいつだって自分の死期を知れるのなら知りたい側なんじゃないか。
 ともあれ、俺は彼の力をなるべく意識せずに付き合ってきた。明らかに彼はそれを持て余していたから、彼から持ち出さない限りは触れまいと決めていた。ときどき彼は、自殺が辛い、、、、、のだと言った。ことに同世代に死相が見える場合、その多くはどうしても自殺になる。確定してはいない死、、、、、、、、、、介入によって防げる可能性のある死の代表格が自殺であるのに、実際にそれを阻止するのは困難だ。自殺を止めるには徹底的に関わる、、、、、、、必要がある。が、多くの人間は残念ながら他人で、結局のところ自分には何もできない。酷く酒に酔うたびに、遠野は自棄気味にくだを巻いていた。
 ────努めて割り切ることにしたんだ。
 それが基本姿勢でも、心に引っかかりがあるのだろう。たとえ笑顔を見せていても、彼には常に陰があった。俺からすれば、そんなかげりこそが彼の死相に思えて、いつかこいつは自死を選ぶのではないかと気がかりだった────
 と、そんな過去へと思いを巡らせるに至って、愚かにも俺はようやく気づいた。
 今日の遠野は、何かが違う。
 例の陰が消えたわけではないが、表情がひとまわり明るい。それに、いつもなら酩酊を求めて酒をあおるのに、今日は俺と変わらぬペースでゆっくりと飲んでいる。
「…………遠野。もしかして、何かあったか?」
 曖昧に俺が問うと、彼はピタリと静止し、やがて曖昧にうなずいた。
「一ヶ月ほど前に、空港を見に行ったんだ」
 話の繋がりが見えず、俺は右の眉を上げた。「──空港?」
「そうだ。それ以来、俺はいくらか変わったかもしれない」
 はあ。間抜けな音で返した俺を正面から見つめ、そこで遠野は物思わしげな長い沈黙を作った。なんだ、と俺が身構えたとき、意を決したように言った。
「────なあ、お前の一番の悩みは変わっていないか?」
 ああ、と即答した。悩みという表現が妥当であるかはともかく、遠野の意図するところは、すぐにわかったからだ。
「國近、お前は息子の未来を心配している。正確には、自分がいなくなったあとに残される彼のことを、強く気にかけている」
 うなずいた。十歳の一人息子だ。重度の自閉スペクトラム症と知的障害があり、特別支援学校に通っている。今夜は俺の母に預けているが、基本的にはシングルファーザーの俺が見守り、放課後にはデイサービスの世話にもなっている。療育や福祉に支えられているがゆえ、現場の人々には深い感謝と信頼があるが、この国の行く末や、この国が進んでいる方向には大きな不安がある。この国は、この社会は決して俺の息子を守ろうとはしない────いや、むしろその逆、、、だろう。
 息子を失うこと。俺が最も恐れているのはそれだが、それ以上に怖いのが息子をひとり残して死んでゆくこと、、、、、、、、、、、、、、、、だ。いつだか遠野にはそう話したことがあった。
「まさか」急速に焦りがふくらんだ。「俺に、死相が出てるのか?」
 息子が生まれた時点で煙草をやめたのに? 殊に妻と離婚してからは、息子より長生きするぐらいのつもりで、健康に気を配ってきたのに────?
 遠野の表情に迷いが見てとれて、心臓が露骨に不穏な音をたてた。
 嘘だろう。待ってくれ。俺の命はもう俺ひとりのものじゃないんだ。頼むから待ってくれ────そう言いかけたとき、先んじて遠野が口を開いた。
「國近。お前と、お前の息子は同じ死に方をする」
「え」絶句し、俺は混乱した。「でも」と、どうにか言葉を絞り出す。「だって、お前は直に目にする必要が…………」
 俺に死相が出ているという話なら、わかる。だが、遠野は息子の姿を見ておらず、そもそものところ、一度も会ったことがない。なのに、なぜ。
 二の句がない俺から目を外し、遠野は店内を見渡した。
「というか。あそこの彼も彼女も、みんな同じ死に方をするんだ。今、俺の視界に入ってる人間の全員が、ほとんど同時に」
「…………何?」混乱が極まった。どういう冗談だ、と言いたくなるが、よりにもよってこいつが他者の死を冗談にするはずもない。懸命に考えた末、いつしか俺の頭は答えのようなものを捻り出している。
「────空港を見に行った、、、、、、と言ったか?」
「ああ」遠野は軽く首肯した。「今や日本はインバウンド大国だからな。訪日する観光客は非常に多い」
 なるほど。と、ほとんど無意識のうち俺は言っている。手持ちの材料で雑に推測するなら、こういうことなのではないか。周囲の人間に一斉に死相が出た。その誰も彼もが同じ死因だ。それで、遠野は空港へ出向いた。つまり、この国の外に住む人間たちもまた同じであるのか、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、を確かめるために。
「お前は理解が異様に早い」苦笑し、遠野は淡々と続けた。「運命論者になろうにもなれない、、、、、、、、、、、、、、。國近、いつだかお前が言った通りで、だからこそ、俺は苦しむことが多かった。変えられる可能性があるのを知っていて、なのに何もできなかったから。けど、さすがにこれは真の意味で俺の手には負えないよ。だから、もし俺に変化が見えるなら、それは、ある種の解放、、を覚えているからかもしれない」
 申し訳なさそうにしてから、こう付言する。
「まさか、この能力ちからで自分の死が予期できるとは思いもしなかったが」
 自分の死相だけは見られない。それが遠野の力だが、この星の誰もが同時に同じ理由で死ぬのなら、もちろん遠野だって例外であるはずがない。
「一ヶ月ほど前、か」言って、俺はビールに口をつけた。遠野の力で見られるのは一年先まで。ということは──、「残すは十ヶ月と少し、といったところか」
「だいたいだけどな」
「どの程度、確かなことなんだ?」
ほとんど確実に、、、、、、、、だよ」遠野は肩をすくめた。「少なくとも、俺の行動によって回避できるようなことではないし、俺以外の人間にしても同じだろう。絶対にそうなる、とまでは言い切れないが」
「そうか」俺はグラスの水滴を見つめた。「……そうか」
「息子との──周平しゅうへいくんとの時間を増やすことをお勧めする」
「わかった」うなずき、俺はさりげなく訊いた。「具体的には何が起きる?」
 はは、と遠野は白い歯を覗かせた。
「それは話さないと言っただろう。助言をするとは約束したが」
「そうだな」確かにそうだ。とはいえ、できればこれだけは確かめておきたかった。「俺たちは────周平は苦しむか?」
 正面から俺に目を据え、遠野は言った。「いや、そうでもないはずだ」それから、そっと目を伏せてこう添えた。
「……こんな話、誰にもしないつもりだった。だけど國近、お前にだけは伝えてもいいかと思った。単にお前を絶望させるだけなら約束なんて破る気でいたが、そうではないだろう、、、、、、、、、と思えるところがあったから」

 その後の会話は昔話に終始した。別れ際、俺は遠野に礼を言って軽いハグをした。そうか、望み通り俺は最後まで息子のそばにいられるのか。そして、何もかもが同時に終わるのか。そう考えたとき、少しだけ胸がすくような感覚があって、ああ、俺はわずかにこの世界を憎んでたのかもなと、初めて思った。

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