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掌編『ジシリスク』

 そのモンスターが現れたのは十四歳のある日だった。現れた、、、というよりは、その存在に気づいた、、、、、、、、、とする方が正確かもしれないが。彼は(便宜的にそう呼ぶが、英語圏のように They 的な人称代名詞があれば僕はそちらを用いると思う)あらかじめそこにいた。僕のそばに。十四歳のある日、ただ、僕はその事実に気づいたのだ。
「君は何」と、僕は訊いた。
「ジシリスクです」と、彼は答えた。
「────自死リスク?」
「はい」と、彼はうなずいた。「私はあなたのジシリスク、すなわち将来的に自ら命を絶ってしまう可能性です。この頭は抽象的な思考を、この体は不眠を、この翼は意味の重力を象徴しています。虚無主義ニヒリズム厭世主義ペシミズム宿命主義フェイタリズムを象徴しているという説もありますが。まあ、ほかにもいろいろ」
 言われてみると、確かに彼は頭と体と翼を有していたが、なのに、不定形のようにも見えた。これは後になってわかったことだが、実際、彼は日によってその形状を大きく変えもした。
「バシリスクなら知ってるんだけどな。あれも死をもたらすものだろ?」
 毒蛇と雄鶏のキメラを想像しながら十四の僕は言った。
「でも、ジシリスク、、、、、? かなり物騒な存在みたいなのに……ダジャレなわけ?」
「すみません」彼は申し訳なさそうに言った。「ですが、私はあなたが生み出したモンスターなので、そこはいかんともしがたいのです。それで、もしよろしければ、あなたの肩に乗せていただきたいのですが」
 僕が答える前に、彼は僕の右肩に乗っていた。おそらくは内心の了承に反応したのだ。重さは羽毛ほどもなかったが、それはもともと彼がそこにいた、、、、、、、、、、、からなのかもしれなかった。
「しかし、あなたは驚かないんですね」
「まあね」受け入れるしかないことは多い、と十四の僕は既に理解していた。そして、自死リスクがあると言われたら、十分にうなずける気もしたのだ。
「他の方には見えませんので、そこはご安心ください」
「うーん、逆に安心できないな」
 僕は苦笑した。とにかく、そういう風に彼との付き合いは始まった。

 基本的に、彼は何もしなかった。ただただ僕の肩に乗ってるだけで、自分から話しかけてくることも滅多にない。そこにいるのが当然すぎて、僕はその存在を忘れることすらあった。しかし、時に彼は大きく肥大した。禍々しい姿をとることこそなかったが、そういうときの彼は不定形の何か、、となって僕の心身を捕縛した。水銀みたいに重くなり、身動きの取れぬ日々を、よろめいて深い穴に落ちかねないような日々を僕にもたらした。陰鬱な青に染まった異形のモンスター。彼はよく申し訳なさそうに僕を見つめていた。こんなことは私の本意ではないのです、、、、、、、、、、、、、、、、、。もちろん、僕にはわかっていた。そうだろうとも、と目顔で返した。これは受け入れるしかないことのひとつで、同時に、人生を通して抗い続けなければならないこと、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、のひとつだと決定的にわかっていた。
 
 そうして二十年が過ぎた。いくつもの危機が──特に思春期の後半と青年期の入り口においてはかなりの危機があったが、とにかく僕は中年と呼べそうな歳までたどり着いた。青年期の危機を乗り越えるために用いた睡眠薬は今も手放せずにいるし、おかげで通常の医療保険や生命保険には加入ができないが、まあ、それは仕方がない。生き延びるためにリスクをとる必要があって、僕はそうした。結果として、僕はまだ生きている。
 近頃では、彼の存在はずいぶん小さくなったままだ。ヒヨコみたいに。だが、彼の存在を失念することはなくなった。忘れた頃にまた大きくなる、、、、、、、、、、、、。僕は彼の在りようをかなり理解していた。

「でも、このままいけば、私が消えることだってあるかもしれませんよ」
 久々に彼が語りかけてきたのは、春の公園だった。昼休み、ベンチの陽だまりでカフェラテを飲んでいた僕は、思わず笑った。
「馬鹿な。君が消えることはないよ。僕にはいわゆる『中年の危機ミッドライフ・クライシス』が待っている。かつてのような激しさこそないかもしれないが、君との付き合いはいよいよここから、、、、、、、、、と言ったところだろう」
 すっかりヒヨコめいた彼は、僕の右肩で悄然しょうぜんとうつむいた。
「だけど、私はいつかあなたのもとから消えることができればと思っています。とても長いこと。偽りなく、、、、
 その声があまりに寂しげだったからだろうか、気づけば僕は言っていた。
「悪いが、君に消えてほしいとは思わない。僕は君とともに生きてきたし、君がいても僕の人生は疑いなく素晴らしいものだった。なんなら、君がいなければ感じられなかった喜びだって無数にあるだろう。君は僕の人間らしさの──いや、僕らしさの一部で、僕自身と分かちがたいもの、、、、、、、、、、、、だ。あまりに大きくなられたら困るけど、君とは生涯をともにするつもりだよ」
 短い沈黙があった。やがて、彼は小さな首を横に振る。
「まったく、だからあなたは苦しむんですよ。喉もとを過ぎて、死の眩しさ、、、、、を忘れてもいる」だけど、そこでいくらか軽い声音になって言い足した。「でも、そうですね。どうせ私と付き合うのなら、そういうスタンスでいるのも悪くはないのかもしれません。ジシリスク、、、、、、なんてバカバカしい名前をつけたりすることも含めて」
 そう言われた僕は、しばらく考えてからこう訊いた。
「それなんだけど────やっぱり僕が命名したってことになるわけ?」
「もちろん。私は割と気に入っていますが」彼はピヨピヨとそう言った。

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