掌編 『互いにもう死んでいる』
三年前に死んだ戸田の幽霊と遭遇して死ぬほどビックリした。
のだが、戸田の幽霊も「ええっ、宮城の幽霊!?」と驚いてるので、動揺した。お互いペタペタ触って体があるのを確認すると、うわーとさらに驚き、うわーんと抱き合って泣いた。だって、二度と会えないと思ってた戸田に会えたのだ。どういうことかはわからないが、この海で溺れた──おれの代わりに溺れた戸田が、俺と同じ十九歳の姿になって現れたのだ。
そう、あれは三年前の今日だった。同学年の七人ぐらいでおれらは泳いでて、おれと戸田は一緒に溺れてしまって、それで、たまたま通りがかった大人におれだけが助けられて……というのがおれの体験なのだが、十九歳の戸田は逆の体験をしたという。おれらはともに百日草の花束を持っていて、それを手向けるため、人気のないこの海辺の丘までやってきたのだった。
「──ということは、やっぱあれかな」と、芝生であぐらをかいた戸田が言った。明るい海を見渡しながら、「つまり、分岐した宇宙の交差みたいな」
「それって…………どういうこと?」隣に座るおれは訊いた。
「ええと……いわゆる多元宇宙的な話でさ。俺が死んだ宇宙と宮城が死んだ宇宙、並行してたそいつらが、なんらかの理由で一時的かつ局所的に交わったというか」
なんらかの。要は、おれの宇宙に戸田が迷い込んじゃったってこと?
「それか、俺の宇宙に宮城が来ちゃったとか」
おれは混乱した。分岐した宇宙? ここはどっちの宇宙だ──? でも、それを突き止めるよりも今は戸田と喋りたかった。
「とにかく。この状況がなんであれ、戸田が生きてる宇宙があるんなら、ほんとに良かった」左手のブーケへ視線を移す。「おれ、お前が死んじゃったこと──おれだけ助かっちゃったこと、ずーっと気にしてて」
「俺もだ」戸田が右手のブーケを持ち上げてみせた。「この三年、宮城のことを考えない日ってなかったよ。正確に言えば、頭のどっかにずっとお前がいるから、どの程度意識しないでいられるかの戦い、的な感じだったけど」
おれはうなずいた。わかる。意識しっぱなしだとキツいから、なるべく考えないようにする。でも、頭のどこかには戸田がいる。それがおれの三年間だった。だから────、
「戸田、会えてめちゃめちゃ嬉しいよ。ヤバすぎるぐらい」
「俺もだよ、大マジに」そこで戸田はギュッと口の端を引き下げた。「こんな風に喜んだら俺の宇宙の宮城に悪いし、不公平すぎだよなとも思うけど……」
「うん……」確かにそうだ。俺の宇宙の戸田は死んでるんだから、生きてる戸田に会えて嬉しいなんて言ったらあいつに悪い。頭ではわかるけど、それでもやっぱり嬉しいのだ。別に、おれらは仲が良いってわけでもなかったのに。
そのことを言ってみると、「だよなあ」と戸田は白い歯を見せた。
「クラスも違ったしLINEとかも知らない。そもそも俺ら、こんな風にふたりで話したことなかったもんな」
そうなのだ。おれらは友達の友達だった。おれはサッカー部、戸田はハンド部。高校に入ったばかりで、共通の友達に誘われたから一緒に海に来た。いい奴っぽいなという印象はあっても、実際にはほとんど何も知らなかった。
「けど──今は割と知ってるんだよ。戸田の友達に話を聞いたから。ていうか、家族からもいっぱい聞いた。みんなおれによくしてくれて、特に戸田の兄さんとは仲良くさせてもらってて」
色んなことを知った。戸田が犬好きだったこと、自転車旅行が趣味だったこと、理系の学者になりたいと思ってたこと。おれは戸田が好きだった音楽を聴いて、戸田が好きだった本をたくさん読んだ。
驚くかと思ったのに、戸田は驚かなかった。というのも、戸田の方もだいたい同じ感じだったらしい。どころか、おれの姉さんからおれの日記を渡されたとか言うので、「日記! さすがにそれは人としてどうなのか!!」と喚いてしまうが、あまりに落ち込んでる戸田を姉さんは見かねたようで、
『きっと特別な関係になれた気がするんだよね。君らは似てないけれど、どこか根っこの部分が近い気がする。それを読んだらわかるよ。間違っても戸田くんを恨んだりするタイプじゃないってことも』
とのことらしい。まあ、そういうことなら……おれは納得したが、恥ずかしいものは恥ずかしい。日記? 何を書いてたんだっけ? いずれにしても、おれが戸田を知ってるよりもよっぽど戸田はおれのことを知ってるに違いない。
「勝手に読んじゃってごめんな」戸田が灼けた鼻の頭を掻いた。「けど、宮城の姉ちゃんが言ってたのってほんとだなと思って。俺らってなんか波長が合うよな。こうして話してみて、実際そう感じたわ」あーあ、と空を仰いで嘆息する。「ふたりとも助かった宇宙もあるんだろな。そこにいられりゃよかったのに」
ほんとうに、とおれは思った。同じく空を見やって、ぼうっとつぶやいた。
「でも、そこのおれらって友達の友達のまんまかも。こんなにはお互いのことを知らなくて、そんで…………こんな気持ちだって知らないんだ」
こんな気持ち? なんか微妙に意味深になった! ごまかさなくては!
「いやそのっ、何かのきっかけでは仲良くなったかもだけど、そんなのってズルすぎる! だっておれは、戸田が死んじゃったから戸田のことを知って、そんで、だからこそどうしようもなくこうなったのに!!」
って、余計にボロが出た! おれは顔を覆いたくなったが、見れば、隣の戸田は戸田で真っ赤な顔を明後日の方に向けている。
「えと…………だよなっ! ふたりして生きてる宇宙の俺、マジでズルすぎ! 俺だって宮城と一緒にいたいのに!!」
しばらくの間おれらは黙りこくった。やがて、ん、と戸田が花を突き出してくるので、ん、とおれも花を差し出した。おれらはまったく同じ花束を交換した。
「──その。宮城の宇宙って、もう結婚できる?」
「できない。戸田の宇宙は?」
戸田が首を横に振り、おれらは同時にため息をついた。マジかよ。クソだな。日本がクソじゃない宇宙ってあんのかな、などと言い合った。
ぜったい離れたくないよなというムードが急に膨れてしまい、おれらは途方に暮れた。どっちかの宇宙に行くってわけにもいかないし、そもそもここがどっちの宇宙なのかもわからない。宇宙の交差を融合に変えられねえかな、とか戸田が言い出すも、それって相当ヤバいことな気がするし、おれらにどうこうできることでもたぶんない。じゃあ、ふたりとも死んでる宇宙に行くのは……とか言っても、やっぱり同じだ。だいいち、家族を残して消えるとかありえない。
そのまま色々話し合うも、もちろん答えは出ない。この場を離れる勇気も出ないし、おれらはどうすれば……と嘆いていると、突然、世界の輪郭がブレだした。ああ、わからないけどこれっていかにも交差がほどけるサインなのでは!?
戸田あ! 宮城い! おれらは半泣きでハグをした。めちゃめちゃしっかり抱き合って、だけど、世界のブレはどんどん大きくなって──────
そして、おれはひとり取り残された。手もとにはオレンジ色のブーケ。おれと同じ十九歳の戸田がくれたもの。でも、おれが買ったそれとの見分けなんてつかないし、おれは、白昼夢か何かでも見たのかもしれない。
────と、おれは思ったのだが、結局のところそうじゃなかった!! というのも、メッセージが届くようになったのだ。話し合いをする中、おれらはダメ元でLINE交換をしてたのだが、なんと宇宙を跨いでの交信ができてしまったのだ。理屈とかは知らないし考えても無駄だと思うけど、とにかく半年が経った今でもやりとりができている。そのうちできなくなっちゃうんじゃ……と不安がるおれをよそに戸田は楽天的で、「大丈夫だろ。ていうか、たぶんまた会えるんじゃねえかな」なんて言っている。じつは理学部物理学科にいるという戸田は、目指すべき道がわかったと燃えていて、根っからの文系であるおれにはさっぱりなのだが、楽しげな戸田と喋れるのは嬉しい。例のブーケはドライフラワーにして飾っている。ちなみに戸田の宇宙では今、山奥の露天風呂とかで音楽を楽しむ【チル浴】というイベントが猛烈に流行ってるそうです。
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