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『自分で選び、歩む道は、いいことばかりとは限らない。 でも、なぜだか満ち足りている』

大学の友だちと会うと「くずはスグにキレるからなぁ」とイジられる。どうやら、あの頃の僕は、いつでもどこでも怒っていたらしい。確かに、そんな気もする。

思ったことは比較的ストレートに言っちゃうし、表情にも出ちゃうし、そのくせ、だいたいのことは寝たらケロッと忘れちゃうので、ケンカ、もしくはケンカぐらい雑な言い合い?になりがちだったり。

そんなアンポンタンな若者も32歳になって、ちょっとは大人になったわけで、怒りというか、感情が振り切れる瞬間を感じることもだいぶ少なくなってきた。

なんか、いろいろあるじゃん?考え方も、背景も、人それぞれ。

とはいえ…いやいや、お前、ちょっと待てよ…と、信じられないできごとあって…。すごく信頼もしていた人に、サクッと、本当に気軽に、裏切られたわけ。こんな感覚、久しぶりすぎて、いつぶりか分からないくらい感情が振り切れた。怒りのあとの悲しみ。

しばらく、途方に暮れたあとに感じたのは「このことから何かを学ばなくてはいけない」ということ。ダメージが大きかったので、なにか学びにしないとネガティブから這い出ることができなかったんだよね。

そんな時に思い出したのは大好きな詩の一節だった。

転んだから、怪我をした。信じたから、裏切られた。
自分で選び、歩む道は、いいことばかりとは限らない。
でも、なぜだか満ち足りている。

「I am the world. 」っていう詩。GENERATION TIMESっていう僕にとってはなんだかとても思い出が詰まっている冊子の中に出てくる詩。

そう、そう。そうだよね。

相手を信頼していたのは、自分自身。裏切られたのなら、自分の見る目がなかったもしれない。相手に恩を売った気になるから、裏切られると衝撃が大きいだけ。相手への親切は自分がしたかったからやっていただけ。

自分が信用したかったら信用していただけ。
相手からの信用は関係ない。

自分がしているんだから、相手も当たり前にしてくれるでしょっていうのは、押し付けでしかない。

信用と、関係性の近さや人間的な好き嫌いとは別の話。信頼できる人かどうか、そのジャッジはドライにやらないといけないのかもしれない。

そして、信用に足らないとジャッジできた人は、速やかに距離を取ること。近くにいるだけで「裏切られた」という負の気持ちがどんどん大きくなるから。距離をとって、その人のことはすっかり忘れたらいい。今後の人生で二度と関わらないと思えば、相手のことはどうでもよくなる。

ムカついてる時間は無駄だ。
信用できないやつに使ってあげれる時間はない。
さっさと、次に行く。

知らんがな。

これが学び。いろいろあったね、この夏も。でも、楽しい夏だった。秋も楽しくしよう。

I am the world.

「愚かな人にはこの世界は見えない」と、誰かに言われて 
私は愚かな人だと思われたくなくて 
見えてもいないのに見ているふりをした。 

そのうち、ふりをしていたことも、疑うことも忘れて 
少しずつ、でも確実に、その世界に馴染んでいった。 
ある時、小さかったころの私が、目の前に現れた。 
「世界なんか見えないよ」力強く言って消えた。 

いつからだろうか、虹の色は、七色なのだと思い込み 
不確かな愛のカタチを、赤いハートのマークに変えて 
アメリカは正しくて、イスラム教徒はテロリストで 
いつからか、私は「はだかの王様」になっていた。 

私が、「見ている」こと 
私が、「聞いてきた」こと 
私が、「知っている」ことから 
どのくらい遠くまで、私は離れていけるだろう。 

「世界」はひとつ。では、ない。 
「世界」はふたつ。でも、ない。 

私の世界には、私が生きていて 
彼の、彼女の世界には、彼らが生きている。 

きっと、私にとっての喜びに満ちた恵みの雨は 
どこかの世界の、深く刻まれた傷を打つ。 
私は、敷かれたレールを走る列車から降りて 
自分の足で、ゆっくりと歩き出す。 

そこでは、触れ合うことのなかった人たちと、出会った。 

気づくことなく、道端に咲いていた一輪の花。そっと、摘む。 

転んだから、怪我をした。信じたから、裏切られた。 
自分で選び、歩む道は、いいことばかりとは限らない。 

でも、なぜだか満ち足りている。 
この世界の「主語」は、逃れようもなく「私」だから。 

記号化されたカタチなど忘れて 
不自由ならば、先入観など脱ぎ捨てて 
誰の色にも染められていない「私」を取り戻す。 

そうして、私は「私の世界」に、もう一度生まれる。 

目を開けて、すべてが自分の見えるがままに輝くとき 
雨あがりの空に架かる虹を見て、私は何色を見るだろう。 

ここは、私。世界そのもの。 

ジェネレーションタイムズ編集長 
伊藤剛 

将来的に「フェスティバルウェルビーイング」の本を書きたいと思っています。そのために、いろんなフェスに行ってみたい。いろんな音楽に触れてみたい。いろんな本を読みたい。そんな将来に向けての資金にさせていただきます。