原付で日本一周。出発、当日に起きた悲劇。
僕には、夢がありました。
「大学生になったら、原付バイクで日本一周する。」
大泉洋の出世作、水曜どうでしょうの人気コーナー「原付日本列島制覇」の大ファンだった僕。青森の田舎から東京に出たら、広い世界をこの目でみてやろうと、胸躍らせていました。
原付で日本一周する。良くある話かもしれません。
でも僕にとっては、過去の恐怖を乗り越える、挑戦でもありました。
それは中学2年の頃。
家から55kmも先の湖をめざし、自転車で冒険をしたときのこと。通りがかった工業地帯で、1メートルもあろうかという野生の犬3匹に追いかけられたり。すれ違いざま大型トラックに引かれそうになったり。帰り道の途中で両足がつって動けなくなったり。
乗り物での旅は、死を感じさせるほど、恐ろしいものでした。でも。
「一度、夢をかなえる挑戦をしなきゃ男じゃない」
それまでの人生で、一番の冒険を決めました。
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大学1年の夏。
徹夜で交通ルールを覚え、翌朝埼玉県・鴻巣の免許センターで、原付免許の試験を受け、100点満点の一発合格。
バイトで貯めた全財産の15万円を握りしめ、中古のリトルカブを、13万円で購入。
運転に慣れる為、朝と夜、誰もいない埼玉のあぜ道でリトルカブを走らせ、腕を磨きました。
バイト先の店長にも「どうしても叶えたい夢なんです。1ヵ月時間を下さい!!」と頼みこみ、バイトを休みました。
明らかに冒険をするにはお金が足りませんでしたが「これを逃すと、なかなかチャンスはないかもしれない」と思い、旅先でバイトを見つけて、お金を稼ぎながら旅をすることを決めました。
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出発、前日。
万が一、命を落とすことになるかもしれない。
そう思い、親や友人に、遺言のようなものを書きました。
貴方の子供に生まれてよかった。なのにその命を粗末にする冒険をしてごめん。命を懸けてでも、挑戦してみたいことだったんだ。やりたいきもちを抑えることができなかったんだ。僕はやりたいことをやって笑顔で死んだんだ、と思ってほしい。
など。思いの丈を綴りました。
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出発、当日。
大学1年の前期の授業が終わったその日の午後。
すっかり体になじんだ原付で、新品のチェーンロックを専門店に買いに行き、しっかりリュックにしまい、家に戻ります。
外は雨。住んでいるアパートの駐輪場は、テニスコート半分ほどの広さに、50台ほどの自転車やバイクが止められていました。バイクをとめ、仮眠をとります。
出発は、日付が変わる、午前0時。
一度出たら、日本を一周するまで帰らない。
もし命を落としたら、この家で寝るのは、これが最後になるかもしれない。
そう思いながら、数時間の眠りにつきました。
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午前0時。
予め用意した、大き目のリュックと荷物を背負って、新品のチェーンロックを持って、家を出ます。
ちらっとテーブルの上の遺言に目をやります。これが誰かに読まれることがないよう祈りながら。もし万が一読まれるような、悲しいことがあっても、親や友人ができるだけ悲しまないよう、祈りながら。
家をでると、夕方まで降っていた雨は、すっかり止んでいました。
ヘルメットをかぶり、あご紐を締め、駐輪場に向かいます。
そのとき、ある異変に気付いたのです。
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まず、停めていたはずの場所に、リトルカブがない。
おそらく、雨が降っていたので、大家さんが移動してくれたのだろう。
そう思って、テニスコートの半分ほどの駐輪場を見渡します。
―リトルカブが、ない―
もしかしたら、別な場所に移動されてしまったんだろう。
アパートの周囲をくまなく探します。
―どこにも、ない―
隣のアパートを見ても、近所を見渡しても、どこを見ても、僕のリトルカブがない。深夜、1時間ほど探し回り、ようやく現実を受け止められました。
ーまさか、今、このタイミングで盗まれるとはー
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所持金1万円、アルバイトも休むことにした僕は、全財産をはたいて買ったリトルカブを失った悲しみを抱えながら、佐川急便のアルバイトで、日銭を稼ぐ日々を送りました。
ベテランアルバイターの中国人に片言の日本語で怒られる日々。
自転車、原付バイク。2連続のトラウマを抱え、日本一周の夢は潰えました。
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あれから15年近くたつ今も、茶色のリトルカブを見つけると「あれ、俺のじゃないかな」と探してしまう日自分がいます。きっと今頃、東南アジアのどこかを走っているんでしょう。
もしかしたら、あの時死んでいたかもしれない。僕は乗り物に縁がないのかもしれない。
そう思うと、32歳になっても、普通免許すらとれません。
ーいつか、完全自動運転が実現したらー
免許をとって日本一周しよう。
日本車の技術の進歩に、僕の夢を託すことにしています。
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