権力者達の疑心暗鬼






"政治は数、数は力、だか数を持ち過ぎるとは自分が傷つく"

話はこうだ、昨年発足した自自公連立政権で公明党の方が議席が多く自由党がいなくても過半数が取れるのである、その場合自由党は連立ではなくいっそ自民党と自由党を解体して新たな保守党政党を作り上げようというものである。無論自民党側にメリットはあまりなく暴論なのでそれにも拘らず
「だから国民はそれを求めているんです。小渕総裁」
 俺は求めてないという顔である。自由党党首小沢一郎が話している男は第八十四代内閣総理大臣小渕恵三である。表向きは人柄の小渕と言われ誰にでも笑顔なはずだが、少なくともこの男は嫌いだった。それもそのはずで竹下内閣の時小渕は官房長官、小沢官房副長官であり、上司と部下という関係であったが小沢の方が人気が高く小沢に嫉妬していたが、小沢が派閥を抜け出し離党した後は我が世の春を謳歌していた。
 そもそも自由党との連立した理由も実のところ公明党を引き寄せたいためであった。公明党はこれまで自民党と対立してきた理由もあり、すぐ連立するというと選挙民たちへの説明できなかったのである。そこで一旦自由党と連立しその後合流する形を取ることになった。つまり自由党はあくまで間のクッションにしかすぎず公明党との連立をした現在であっては参議院及び衆議院(衆議院は自民党単独でも過半数)の過半数を取れており自由党とが最悪抜けたとしても問題ないのである。それに自由党との連立の時に約束した法律の成案も面倒であるため出来れば抜けて欲しいというのが本音ではあったが自由党があくまでクッション素材であったことは当時の官房長官であった野中広務、現在の官房長官の青木幹雄、幹事長の森喜朗の三名のみであり小沢にも流石にそこまでは言ってはいなかった。
 とうとう小沢から連立離脱の話を切り出された。
「私がいなければ自自公連立政権で選挙は勝てない、だから小渕くんここは小心を捨てて協力すべきだ、それが出来なければ連立離脱する」
 同席していた自由党幹事長の野田毅と自由党から連立枠で入閣した二階運輸大臣が急いで止めに入ったものの小沢は話をきかず、怒った顔のまま小渕を睨め付け激しく怒っていた。
 小渕もとうとう堪忍袋の尾が切れて小沢にやや怒り口調で話した。
「分かった、連立離脱だ」
「こっちこそ願ったりだ」
 この瞬間ついに一年以上続いた自由党との連立が政権は終わり自公連立政権が誕生した。
 走りながら帰る小沢達を見送りながら小渕政権の双璧である森喜朗と青木幹雄は小渕恵三の方に視線を向けた、この三人には早稲田大学出身で雄弁会に所属しており小渕とは先輩後輩の関係である。
 「もうすぐ選挙を控えていますが、本当によろしいのですか? 選挙に悪影響はないですか?」
と青木は言ったが森が
「いや、むしろ自民党にとって、まだ選挙区調整が終わってないそんな時に小沢がいたらたくさんの選挙区を要請するだろう、これでは元も子もない連立離脱には賛成です。」 
 あいつが抜けてセイセイしたという顔である。経世会時代金丸信系だった小沢は先輩の小渕より先に幹事長につき、会長選挙で小渕恵三ではない候補をあけだ。結果は小沢があげた候補は落選したもののその後小沢派閥を出てついには離党してしまったのである。
 小沢は離党する際に小渕に捨てゼリフを吐いた。
「あんたは総理になれるかもしれないが、国民が信頼を失い自民党最後の総理大臣として歴史に名前を刻んで現職で落選して退陣するだろーよ、いやなら今のうちに政治家辞めるべきだな」
 小沢笑いながら出て行った。小渕は森に視線を向けた。喋りかけられないほど激しく怒っていた。人柄の小渕と言われた男でここまでの男は見たことはない森はだんまりした。
 実際小渕恵三政権は最初こそ低支持率だったものの徐々に支持率を上げて行った。今の所小渕は小沢の予言通りになっていない。
 「少なくとも連立離脱した件は記者会見を開きませんと。今日十一時頃でいいですか?」
 五秒ほど空白があったあとうなずいた。森と青木はおかしいと思いつつ記者会見の準備に取り掛かった。この時異常に気付いてよければ良かったのに
記者会見で小渕は自由党との連立離脱を発表。ただ…
「小沢さんは離脱についての表明はありましたか?」
小渕はなぜか答えない、答えられなかったのだ10秒ほど立ってからオウム返しで記者に答えを返した。

 取材が終わり小渕が官邸に入った途端に脳梗塞で倒れた。いきなりのことにその場にいた誰かが救急車を呼ぼうとしたが、青木は一国の総理大臣で小渕の危機管理上の面も考慮して内閣総理大臣公用車のセンチュリーに乗せ順天堂大学医学部附属病院に急行した。四月二日午前一時であった。



午前五時四十九分、
参議院議員宿舎青木幹雄の玄関のチャイムが鳴った。先日午前二時小渕首相が入院してからというものまさかという予感がよぎったがそれ以上に眠かった。
 不安は的中するものである。玄関先には白衣姿のメガネをかけた老人が立っていた。
「青木長官、私は小渕総理の主治医をやらせていただいているもので。単刀直入にいいますと小渕総理の状態は芳しくないということです」 
 青木は沈黙した、倒れた時にある程度想像をしなければならなかったのに目を背けていたのである。しかし青木を公人として職務を果たすべく主治医に質問した。
「小渕首相は今どんな状態ですか」
「昏睡状態です」
「意識が回復する見込みは?」
 主治医の沈黙をみて青木は小渕恵三が死んだも同然であることを悟った。
 青木は主治医に緘口令を引かせることにし、くれぐれも内緒にと主治医に200万ほど入った紙袋を手渡した。金を手渡せばある程度大丈夫である。
 主治医が帰って後、冷蔵庫から日本酒と氷をとりガラスのコップに注ぎソファーに座った。
 これからどうするか、自由党との連立を蹴った直後最悪連立復帰するのも一理、いやそれでは芸がない。多分野田や二階あたり数人が自由党から離脱する、後継者を誰にするか決めなければならなかった。そもそも誰を選考人に選ぶか、
 選考人は村上正邦参議院会長(志師会)。亀井静香政調会長(志帥会)。青木幹雄官房長官(平成研究会)。野中広務幹事長(平成研究会)。森喜朗幹事長(清和政治研究会)の三人になり青木は再度眠りについた。このままでは先に青木が死ぬのではないのかというほどつかれていた。

 午前零時、ホテルニューオータニ五〇五号室には政権を動かす大物たちが一同密室でだんまりしていた。人数は5名。顔ぶれは青木、森、村上、亀井、野中である。前回総裁選で敗れた山崎と加藤は出席は許されなかったというより知らされもしなかった。
 青木がまず何も知らない四人に事情を説明した。
 全員が黙ってしまった。それもそうである。政権与党の支持率は下降気味でそんなさなか自由党との連立離脱が発表された直後に現役の首相が倒れたのだ。全て急すぎたのである。
「いっそ公明党を切って自由党に戻ってもらい小沢に総理になってもらうのはどうだろうか、選挙も近いしそれに何より総理の椅子なら今すぐに戻ってもらえるんじゃないか?」
  亀井政調会長が答えた。亀井は野党時代に当時の細川政権で与党を務めていた公明党を攻撃するため公明党の母体である創価学会との関係について反対的な行動をとっていた。そんな公明党とこれから仲良くしましょうよとは侮辱的でありできるだけ早くに単独政権に復帰したいと思い小沢が提示していた自由党との合併についても大賛成であった。
「あんたが公明党との関係が悪かったというのはわかるが、それを政党間での話に持ってこないでほしい」
「一時は党として公明党を批判していた。それが数が足りなくなったからといって頭を下げて一緒に行動せにゃならんのか」
「それをいうなら自由党とて同じことだ、奴らの大半は九十三年の選挙の時にうちを見限って逃げていったの奴らのあつまりだ、小沢に関しては俺らの”ムラ”(平成研究会)だったやつだ、そいつらと一時的に組むことはあっても合併し総理に担ぎあげようとするとは何事か」
 亀井に反論したのは誰なのか分かってはいないが平成研のメンバーは青木と野中である。しかしここから特定は難しい。なぜなら密室という空間のためどこまでの怒り具合かわからないのである。またこの当時自由党はあくまで公明党との連立するためのクッションであったという事実を知っていたのは青木と野中と森のみであった。
 では河野はダメでいいなと亀井と同じ”ムラ”で先輩である村上が助け舟を出した。河野とは河野洋平のことで自民党で唯一総理大臣になれなかった総裁で、現在外務大臣を務めている。元々田中政権の金脈政権を批判し党を一旦離党し批判を続けていた。森は河野が総裁時代にも幹事長を務めていた間柄で直前まで河野を推そうと思っていた。それを先に口封じされたのである。
 議論では色々な人物が候補に出たがすぐに却下された。前総理の橋本龍太郎は先の選挙で敗北したことにより総理大臣を辞任しており日が浅いことから没になり。梶山静六元官房長官は三年前の総裁選で平成研を抜け出し立候補したことが重なり野中と青木の反対により没にな理、また会談中に自由党が分裂し保守党が自民党との連立政権を継続する話が来て、その名簿の中にあった海部元総理にも白羽の矢もたったが年齢を鑑みて没になった。
 午後三時頃流石に全員のそれぞれの次の予定が迫ってきていたため一旦解散になった。
 話でようやく決まったのは次期総理を五人組から選ぶことがだけだった。しかし参議院から総理大臣を出すことは慣例的にできないため亀井と森と野中の三人が非選挙権を有していた。

午後七時 順天堂大学前

 黒い二代目センチュリーが病院の前に停まっている。首相が帰る日を待っている。そこに二、三人の護衛を引き連れた官房長官が公用車から降り、急いで小渕恵三が入院している病室に向かった。護衛は病室の外に待機させ、主治医及び看護婦も外にいるなかでもう二度と起き上がることのない後輩の横に座った。
「小渕、覚えているか。大学生時代にお前が森と一緒に俺の部屋にきたときに”腹が減ったから飯くれ”と言ったのを俺はそこまで裕福じゃなかったけど、お前が”あんたを総理にしてやるそれで帳消しにしてくれ”と頼んだことを」
 青木は感傷にひたりながら出て行こうとした。

しかし後ろで自分の名を呼ぶ声がした。
 青木はすぐに止まり後ろを振り向いた。もう二度と目を開けないであろう小渕が椅子に座りニコリとしながらこちらを見ていた。
「青木さんおりゃあもうだめだ」
「小渕…」
「洞爺湖サミットは成功させたいから近くの有珠山の対策もある。そこらへんの対策を頼む」
  青木は直立不動のまま大粒の涙を落としていた。
「それから総理大臣には加藤はだめだ、あいつらは絶対日本をだめにしてしまう」
「わかった、わかったもう喋るな」
 涙が滝のように出ていた
「総理大臣には誰がいいと思う?」
 小渕は野中がいいと答え、野中は昨年まで官房長官を務めていたが、加藤が反旗を翻した時にイラついていた小渕は怒りにまかせ加藤と仲が良かったというだけで幹事長代理に左遷した。しかし野中はそれでも小渕に仕えた。そもそも野中は公明党が嫌いだったのにもかかわらず、小渕政権で官房長官になった際には頭をさげてまで連立政権を作り、野党に厚顔無恥と言われてもめげずに答え、国旗国歌法や通信傍受法などの国を二分するような法案を成立させていた。小渕はこの男こそ総理になるべきと感じたのであろう。
 
 ふと目が覚めた小渕は相変わらず横たわっていたが、青木は直立して宣誓した。
「私は内閣官房長官青木幹雄は内閣法第九条に基づき、ただ今を持って内閣総理大臣臨時代理に就任します。新内閣が発足する間政府の長としての役割を遵守いたします」
 外で聞いていた看護婦や護衛は何事かと思ったが何があっても入る事がゆるされなかった。
 ただし野中は後任にするとは決して言わなかった。野中との関係はこの頃はまだ悪くはなかったものの自派から代表して総理に推そうとは思わなかった。青木の眼中の男は変人小泉純一郎であった。小泉が首相になれば様々な改革が実行される、その際野中を初めとする衆議院平成研究会は執行部にことごとく反発するのは目に見えている。そこを参議院平成研究会を束ねる自分が味方をすれば味方が少ない小泉を裏から操れる。この際この遺言は聞かなかったとするのが正解だと感じたのだ…。
 ここから二日間青木は解散権限等の一部権限はないものの内閣総理大臣としての職務を代行しなければならず、憲政史上唯一の参議院議員の内閣総理大臣になった。

 旧李王家家邸の一階にあるバーナポレオン、隣には清和研究会があり多くの政治家来るが、今日は貸切であった。真ん中のテーブルに白髪まじりで高身長であり、いかにも誰かも好かれそうな男がワインを嗜みつつチーズを頬張っていた。小泉純一郎である。
 派閥の先輩である森が入ってきた。
「遅かったじゃないですか森先輩、なんで貸切にするんだったら理由を教えてください?」
 小泉は飯を食べるのをやめないで話を続けた。
「直球だな、まあそう急ぐ必要はないよ」
 森は椅子に腰掛けた後ウェイターにワインを頼もうとしたら、すでにタイの缶ビールとお茶、干からびたチーズが用意されていた。
「なんだこれ?」
 森が不思議そうな顔で小泉を見上げたら、小泉はすかさず、
「早く話を聞きたいんだ、いつでも飲めるものを用意しておいた」
「だからってもっといいものあるだろ」
 森は少し不機嫌そうな顔でお茶を一気飲みし、小泉をジロリと睨んだ。
「いつか、話のネタにでもなるのかな?」
「好きにしろ」
 森は大きなため息をついた後、
「小渕さんが倒れた、脳梗塞だ。多分二度と(現世には)戻らん。それで今急いで党の有力者が後継者を決めている」
 流石に小泉もナイフを止めた。
「自由党が遅かれ早かれ、連立抜けることはわかっていたが…」
 小泉は腕を組みながら、
「で、森先輩以外の有力者って誰なんですか?」
「青木先輩、野中、村上、亀井だ」
「池田総務会長はなぜいないんですか?」
 池田総務会長、湾岸戦争中に掃海隊を派遣し国際的に評価された閣僚で、加藤派であるが昨年の自民党総裁選挙に出馬した加藤に反対したのち、それが小渕に評価というより加藤への仕返しとして政調会長から横滑りしたが無論加藤の怒りを買ったものそこまでのの加藤の地位が崩壊しつつある中であっては…これ以上は個人の憶測であるため話を控えたい。
「風邪だ」
小泉は沈黙した。事実風邪で寝込んでおり電話で随時補佐を受ける条件で一応参加はしていたが、陰謀が多いこの時代では疑うのが普通であった。
「そんなことよりYKKの同盟はどうだ?」
森はある程度答えをわかっている体で話を続けた。
「わかってるくせになあ、加藤は邪魔だよ俺と同じだ首相になりたい時こいつほど無用の長物はいない、だからなんかを契機に辞めるつもりだ」
「山崎はどうなんだ?」
「知っての通り私は国体運営や人付き合いが苦手で自分の政権の時に幹事長にしたい。自分に有用な人間は残しておきたいです。」
 ほうほうなるほどと感心しつつ幹事長に山崎はまずいと思いつつあえて触れないでおいたが
「あんたの官房長官安倍がいいんじゃない?」
 流石にブチギレて
「俺の女房役は中川秀直だ、お前こそ幹事長は山崎じゃなく安倍にしとけ」
「あ、やっぱ総理になりたいんだ」
 しまった、謀られたと思いつつ、まあこいつぐらい隠さなくていいかと感じた。
「まあ俺とお前が総理になれれば大したものだよ二十年ぶりの快挙になる。我が派の総理大臣は最後になったのは福田総理だったでも再選を狙った選挙で…」
「落選しましたよね、田中のおかげで、それ以来総理大臣は一人も出せなかった。安倍慎太郎先生がなれると思ったけど病気で亡くなってしまいましたからね、惜しい人でした。」
「この後暇か?」
「加藤と山崎に会って総理の芽をつむんで、外部の手をシャットダウンさせてくれ」
 小泉はコクリと頷いた。


 YKKとは山崎拓、加藤紘一、小泉純一郎の頭文字をとった政治同盟である。七十二年の当選組であり議席は隣同士でありとても仲が良かった。ただ全員がいつかは総理になりたいと思う人間たちであり派閥は全員違っていた。ここ数年は山崎と加藤の盟友関係の間に小泉がいる感じの状態であった。
 森が去って二時間後、加藤と山崎が他の客と一緒に居酒屋で話し合っていた、三人の親友の中であったのでそれぞれの秘書は随行していない。まさかここに元幹事長や元厚生大臣、元建設大臣がいるとは思わない。客がただのおっさん同士と思い何も気にせずにいたのである。
開口一番に加藤が
「自由党との連立離脱で小沢が抜けたのは痛いな」
 キョトンとする二人を前に
「そもそも小沢のような人気がある議員がうちにいるかい、やってることはともかく突発力がある議員なんてうちの党や公明党にはいない」
「俺たちがいるじゃないか?」
 小泉は軽く反論したが少なくとも加藤と山崎では総裁選出馬はむりであった。昨年の総裁選の時派閥内の反対派は極少数であったものの結果としては負けてしまい、人事で冷遇されたから極側近を除いてほとんどが次期総裁選では現職の小渕を推す構えであった。
「総理になったら何やりたいのか、これが重要なんだ今の政治家にはこれがない無論小渕さんは言わないであるが色々な法案を出しているし、公明党との連立もうまくいっているこの上うちらの派閥を冷遇さえしなかったらよかったのに」
 山崎と加藤は爆笑したがそれを横目で小泉は苦笑いしていた。小泉も二度総裁選に出馬したことがある。ただ二人とは事情が異なる。
 一回目は橋本総裁と戦ったがいとも簡単に捻りつぶらされた。二回目の時はどちらかといえば本人は知らなかったが小渕からの要請であった。その時小渕を裏切った梶山静六元官房長官が出馬表明をしており小渕にとって反小渕派の票を分散させるために選挙に出させれられた。そのため選挙後も小泉自身が入閣等はできなかったものの、所属する森派からは幹事長の椅子を手にいれることができた。
 小泉にとって今最大の敵は加藤である。竹下小渕が倒れた現在は旧小渕派を統合する能力を持った人間はいなかった。その際にやはり小泉に似たような人間である加藤は総裁選の時に邪魔である。だからこそ加藤をできるだけ早いうちに始末しておきたかったのである。
 加藤は小泉という親友の前にして、個々の政策を具体的に話している。そして有無を言わさず加藤に酒をくみながらどのようにこの二人を利用するかを小泉は考えていた。
 赤坂のある一角の料亭には亀井静香政調会長、江藤隆美志師会会長、村上正邦参議院会長が居合わせていた。
 江藤隆美、小農家出身で小学五年生から肉体労働をしており、宮崎農林専門学校卒業後宮崎県議会議員を三期務め、六十九年に衆院選に立候補し当選、石原慎太郎らともに青嵐会に参加した過激派で、九十九年3三月に村上、亀井らとともに志師会旗揚げ村上が初代会長になるも参議院会長になり、慣例に基づき派閥を離れ7月に二代目会長に就任。
「話はだ、小渕総理が脳梗塞で倒れたから次期首相をそうそうに決めなければならない、そしてなれる資格はホテルに集まった五人のうちの誰かと言うことになった。」
 江藤は平然と聞いていた。
 江藤はいきなりのことであったが平然と対応した。
「それでぶっちゃけ亀井は総理になりたいのか?」
 江藤が聞いてみた。亀井は大きく頷き、村上も笑顔である。
「当たり前じゃないか江藤さん、出来立てほやほやのうちの"ムラ"(志師会)から総理を出すことになればうちは強化され人数もふえる、資金源も増える。いい事づくしじゃないか」
 ただ意外に江藤は反論した。
「亀井、今総理になるのは将来汚名を着ることになるぞ」
「どういう事だいそれは」
 江藤は話を続けた。今の時期に総理総裁になった場合すぐに総選挙に取り掛からねばならない・そしていくら頑張ったところで自民党は単独でも過半数を割ることになる、その際必ず公明党の連立政権となるが亀井は細川政権時代に当時与党であった公明党を批判する憲法二十条を考える会の会長をしていた。
 また来年には中央省庁再編を控えているものの批判が多くこのこと考えると今は時期を待つのが順当だと言う事を。
 村上は亀井に江藤の話には筋が通っている。今ここで君が首相なるのは辞めるべきと僕も思うよと村上をも言った。
 亀井は不機嫌そうに退出し、村上はやれやれと後についていった。この時点で村上は森か野中かどちらかを考えていた。
 二人がいなくなり江藤は電話をかけた。森である。

「すまんね森君、村上君は説得できたんだけど亀井がね」
……二時間前。
 江藤の秘書から森がきたと告げられた、驚いた江藤は森を座らせ何故聞いたのかを聞いたのである。
 森は小渕が倒れたことの一件を話したあとに江藤を見込んで。
「どうにか亀井に君たちが首相の座に就くのを阻止してほしい」
「いーや君達のムラにとってもメリットが多いんだ」
 江藤はやや不機嫌そうな顔持ちで森をみた。
「…その場合我が派にはどんなメリットがあるんだ」
「大臣を二つ農相と通産相をあげるよ」
 江藤は顔に輝きがあった、上級閣僚を二つである。森のことだから嘘は言わないことは知っている、いや嘘はよくつくがバカなのでばれるのであるが今回は本気だと分かっていた。
 すかさず森は秘書にジュラルミンケースを持ってこさせた。そして勢いよく蓋を開けた。中にはたくさんの札束が入っていた。ざっと三億円ある。それを秘書が次々と持ってくるので三個ぐらい持ってきた時にようやく口を開けて
「もういい、もう大丈夫だ。これだけあれば事足りる。それに通産ともらえれば関連団体から金をもらえる。もう大丈夫だ」
 江藤は金に汚い政治家ではなかったが、目の前の金をみて人が変わってしまったのだ。
…二時間後。
「それで十分とは言わんが少なくとも通産大臣と農水大臣やるよ」
「失敗したのにそこまでいい大臣をもらえるのはありがたい」
「その代わりこの件は内緒で
「分かってる墓まで持っていくよ」
「わざわざ無理してうちの派閥から総理出さなくてもいい大臣をもらえればそれでいいんだ」

 

 野中は公明党幹事長冬柴鐡三と公明党本部で話していた。冬柴は野中が官房長官時代に連立に漕ぎ着けてからの間柄で二人とも仲がよくいつも会っていることから記者たちは公明党本部に入っていく野中を不思議とは思わず、いつも通りだと感じてこの裏で何が行われているかなど考える余地さえなかった。
 冬柴は来賓室で野中を出迎えながらもいつもと違う顔に気がつきながらもまずはお茶を出したあと、一旦念仏を唱えた。宗教政党である特殊性であるが何か不安を感じてのことでもある。
 それでも野中から小渕首相が倒れた一件やすぐに選挙があるために早くに総理を決めなければならない事を伝え、次期総理に亀井が乗っている事を伝えた。
 豪胆で知られている冬柴は動揺を隠し通す事はできなかった。
「待ってくださいよ、もし亀井さんが総理になれば私たちが連立離脱しなければならないですよ。この際我々が抜けるか抜けさせられるはわかりませんが少なくともうちの長老や池田大作名誉会長から連立離脱をさせられるのは必至です。我々とて連立したいのはお互いのメリットがあるためです。亀井が総理になったらそのメリットが一切なくなってします」
「そうカリカリしなさんな」
 野中は淡々と説明した。まず今の時期に公明党が抜けるのは自民党にとってもデメリットが大きく選挙の際大敗北になる可能性が高い、差しあたり選挙管理内閣であるため個々の政策は打ち出すことはできそうもない。だからこそ公明にとって誰なら連立与党の総理はいいのかである、それを確認しておきたかった。
「少なくともあんた以外の憲法二十条を考える会メンバーは絶対無理だ」
 野中も憲法二十条を考える会の元幹事であった。
「森か小泉かあんたか加藤ってところだ」
 一応文書に残すよう依頼し不思議そうに即席で紙に書いて手渡した。
「ぶっちゃけあんたは総理になりたいのか?」
 野中はいきなりの質問に唖然としたが、すぐさま頭を回転させてこう答えた。
「俺は無理だよ、俺は五十半ばまで副知事や県議とかやってその後国会議員になったんだ、俺は京都の部落出身でな顔を見張って批判するやつこそいないが、裏で批判をするやつは多い逆に批判しなかったのが村山首相と小渕首相なんだ。俺は自分で総理になる型の人間じゃないしやめておくことに越した事はないと思うよ、まあ中曽根さんがいってたけど横綱になりたくない相撲取りがいないように、ぶっちゃけたとこなっては見たいけどその後の政権運営が無理だしここはあえて撤退した方がいいと思わなきゃいけないね」
「そういうもんかね」
 冬柴は手を組みながら話した。ほんとのところ冬柴にとって公明にとって野中のような男が総理になるならどれほど良いことかと感じた。
 話は自然と連立政権の公明党枠や今後の日程について話し合われた。
 野中は小渕から後継総裁に推薦されたことを知ることはついになかった。




この日長引くものと考えていた。絆定会議は意外なほど早くに終結した。
 村上がみんな座ったところで、この際幹事長を長く務めて経験豊富な森君がいいのではないですか?野中は森になった場合公明党は連立維持すると発言し、最後に青木が
「あんたが後継総裁になれば小渕さんはきっと喜ぶ。小渕さんにとって一番可愛がっていた後輩は森君だ、亡くなった小渕総理のなしえなかった中央省庁再編や日露外交を取り組みサミットを成功させるんだ」
 そして森が総裁になることが決まった。
 亀井は笑顔のまま立ち去り、急いで車に乗り込み加藤に電話をかけた、どんなに遅い時間でも五コール以内に出るのである。しかし何回かけても出てこなった。仕方がなく山崎にも同じようにして電話をかけたが一切出なかった。その時電話は鉄屑になっていた。亀井が総理になれなそうにないことを森から知らされた小泉は逆上して山崎と加藤に電話をかけることを予想して先手を打っていたのだ。亀井は人知れずに泣いた。聞いていた亀井の運転手と秘書をもらい泣きしていた。
 
 野中と村上と青木が総辞職の日程や総裁選の手順を考えている最中に森は別室で小泉と電話していた。総理になれそうという途中経過で会話していた。だが涙ながらに話す森を
「次回の総裁選で勝てるように地方票は三票にしといてくれ」
「お前こんな時ぐらい喜んだり、祝いの言葉ぐらいくれよ」
「できるか、森さんね、あんた失言多いし危機管理能力がないしそもそも総理になりたいという気持ちだけで何かがしたかったわけじゃないだろ、だから今のうちに自分が総理になれるように手を打つのが普通じゃないか?」
「たくお前は辛辣だな、なんも喜びもないのか」
 ツーツー。電話が切られた。森は外を見た途端に国会議員になってから三十年間を思い出した。今思えばずっと二番目であった事を思い出した。初当選時森は岸派に属していたが主だった議員はほとんどが佐藤派であった。派閥の領袖であった福田赳夫は金作りが下手であり田中派はあれやこれやで集めたお金を議員たち分配しており森にとってとても羨ましかった。ある時は当選した時に幹事長の田中角栄からお金を渡され、これは賄賂じゃないかと批判したがお金を返すことはしなかったのが象徴的であった。一九七八年に福田赳夫が首相に翌年に官房副長官に就任するも、次の総裁選で現職でありながら落選した時に涙を浮かべた。その後一番にはなれないことが続いた森は気がついた。この政権を平成研が牛耳る内閣であることをだがここで森は決意した、これが平成研にとって最後の傀儡政権になることを。

 四月五日森内閣成立、認証式で青木内閣総理大臣臨時代理から総理大臣の引き継ぎ書をもらいこれにより総理大臣の空白期間は終わった。与党は自民党、公明党、自由党の連立残留派の保守党であり、組閣人事は首相以外全員留任で幹事長には野中広務が残留しすぐに選挙に向かった。
 五月十四日に前総理の小渕恵三が死去した。同日付けで大勲位菊花大綬章を授与された、大勲位菊花章頸章につぐ勲章ではあるが、死者には名誉しかあげられなかった。彼にはもう少し仕事をさせるべきであった。
 小渕夫人が小渕前首相の遺骨を車に載せ国会議事堂に向かっていた。
「あなた議事堂ですよ」
 小渕夫人がそう言いかけた時に突然雷が国会議事堂を直撃した。これは野中を総理にする事を黙殺した青木に対してであったのかもしれない。
 選挙では公明党との選挙区調整がうまくいかず、東京一七区ではのちの公明党代表を自民党公認の平沢勝栄が打ち勝ってしまい、高知一区でも同じことがあり、千葉二区、静岡一区では与党が共倒れした。また東京四区と静岡一区では自民党の公認を受けられなかった候補者が公明党候補を破って当選した。
 選挙結果は与党が数を減らし、現職の大臣が二人も落選、自民党単独で衆議院でさえも過半数を取れない状態になった。
 選挙後第二次森内閣が発足、官房長官に中川秀直、副長官に安倍晋三が起用された。小泉に官房長官要請をしたものの、
「俺は女房役は向かない」
 と一蹴したのである。しかし中川は愛人問題が発覚し、わずか十六日で辞任。
 七月三十日には金融再生委員長だった久世公堯が大手マンション会社からの闇献金発覚して辞任。元からない支持率はどんどん低下した。
 十一月、通称加藤の乱と呼ばれる倒閣運動が勃発する。加藤派首領の加藤紘一と山崎派首領の山崎拓が野党から提出されるであろう内閣不信任案決議案に対して派閥全体で賛成票を投じ要とした乱である。
 この乱は不発に終わったものの、山崎と加藤の地位は絶望的になり二度と総理になることはなかった。これは小泉の策略であった。小泉は加藤の側近議員に話を吹きかけたのである。そして小泉の先をこせの加藤が知らん顔で"不信任案に賛成するんだがお前もやらんか?”とけしかけ小泉が"俺ならとっくにやってる"と言った時に加藤は小泉が同調すると思い山崎も誘い一挙に不信任案を投じようかと思っていたら、その件が野中広務にばれて結局加藤派と山崎派は欠席するにとどまった。小泉純一郎は森の盟友であり、よく考えてみれば賛成票は投じないはずなのにやはり二人は自分の欲を小泉に利用されたのであった。
 流石に小泉に騙されたと言えない加藤と山崎は意気消沈していた。
 二月二十日、えひめ丸号事故。この日日本の高校生が乗った練習船えひめ丸号がアメリカの原子力潜水艦に衝突し生徒四名を含む計九名が亡くなった。ただ森はこの時休暇中でゴルフをしていた。急報が入ったものの官邸には戻らずゴルフを続けた。 
 この一件で森は総辞職後の総裁選挙には亀井静香、橋本龍太郎、麻生太郎などの立候補が取り沙汰されるなか最後にこの男が立候補した、小泉純一郎である。小泉の人気はどんどん上がっていった。大本命と言われていた旧小渕派の橋本元首相と河野グループの麻生経済担当相を薙ぎ倒し、亀井政調会長に関してはポストを十分配慮する形で立候補を断念した(無論小泉は約束を反故にした)ただ人気だけで勝ったわけではない、森がいた。森は小泉の約束通り地方票一人3票で一番得票した人間が総取りする方式をとり橋本は完敗した。
 






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