平々凡々であること。

こんばんは、焼却炉です。葬式ばかりしていると気が滅入りそうだったので、ちょっと別の話を書くことにしました。

※注:「デュラララ」に関する話が出てきます。これからその作品を楽しみたいという人にはネタバレになってしまうかもしれませんのでご注意を。


君は「デュラララ」を知っているか。

「デュラララ」という作品を知っているだろうか。池袋を舞台にした、個性的な人物達の人間模様と非日常を描いた作品である。

初めてこの作品に出合ったのは中学生の頃。それはもうぶっ刺さった。池袋という場所自体が近いけれどなかなか行けない、憧れの場所だった上に、首無しライダーことセルティ・ストゥルルソン、カラーギャング、中二病の心をくすぐるには十分すぎるキャラクター達が勢ぞろいだった。

特に好きだったのは平和島静雄。あの圧倒的な力の強さ、身長、目力、何をとっても素晴らしすぎるくらいに私に刺さった。その次が園原杏里。体の中から日本刀出てくるのが良すぎてしんどかった。その次くらいに折原臨也。なんだか憎めないキャラだった。

その一方で、最初は興味を持てないキャラクターも居た。


竜ヶ峰帝人という男。

一言で表すなら「平凡」。名前負けしている自覚がありすぎるこの彼は、見た目もまぁ普通、取り立てて特徴らしい特徴がないキャラクターだった。ただ彼の最大の特徴にしてある種一番の狂気というのが「非日常への憧れ」であった。

彼は作中に出てくる「ダラーズ」という「透明」を売りにしたカラーギャングの創始者の一人であった。他のカラーギャングのように色を身に付けてチームで活動するような目立つ行動を取るわけではない。しかしどこかに所属していたい。居場所が欲しい。そんな人達が集まった。最初は小さな集まりだった。けれどそういう人は存外多かったらしい。「ダラーズ」という少人数の居場所は無尽蔵に人が集まる場所になった。噂が噂を呼び、所属する人は増え、創始者たちは自分達の手に余る存在になってしまったこの集団の手綱を握り続けていられなくなった。竜ヶ峰帝人という人間を除いては。

巨大な集団のリーダーというのは、平凡な彼からすれば非日常、非凡の極みであったと思う。だからこそ彼は喰らいついた。手綱を離さなかった。それどころか、だんだんとそれをコントロールし始めた。平凡であったはずの彼が、非日常に憧れるあまり、人の手を刺すことも、人にオイルをぶっかけて燃やすことも、そういう狂気に自分が飲まれることを厭わなかった。

平凡な人間でも非凡であること、非日常を求め続ければ、そのような狂気にのまれていくことを、フィクションの登場人物ではあったけれどもまざまざと見せつけられた私は勿論犯罪行為だとか危険な行為、人を害するような行為をしたいわけではない、というのを前提にではあるが、彼と同じように非凡を求め、狂気を自分も持てるかもしれない、とぼんやり思ったのだった。

まぁ大人になった今、別に自分が非凡だとは思わないけれど。でも、自分が非凡になれない代わりに、色んな人の話を、私が経験してこなかったことを、聞いて、見て、吸収して、蓄積することができたなら、私自身があの膨れ上がった「ダラーズ」のように、大きな力を蓄える事が出来るんじゃないか、そう、心の中の中学生の私が今でもささやいているような気がしてならない。

また改めて読もうかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?