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自分の顔について 〜誰々に似ているという話はもうやめませんか〜

僕はこの話題が出るとうんざりしてしまう。

その話題とはタイトルの通り

「〇〇に似てるね!」

である。

〇〇の部分に入るのは大抵芸能人だったり、時にはその人の友人だったりする。
この話題について常々違和感を感じていたので、今回は自分なりに深堀りしていきたいと思う。

先に言っておくが、今回は言いがかりに近い投稿になる。

では、言いがかりをはじめよう。

※章立てしていますが、最初から流れで読んで頂けたら幸いです。



1.  美のフォルダ


まず、先述の通りのようなことを言われたことがある人は絶対多い。てか、この会話になったことがない人ってマジでいないと思う。

水曜日のダウンタウンの0人検証に出して、証明したいくらいだ。
絶対視聴率取れないけど。

この話題が出た時に僕が感じることをあえて言葉にしたい。
それは

「だから何?」

である。

この話題になったときに、その後の広がりがないのだ。例えばこうなる。

「芸能人の〇〇に似てるね。」

「あ、そう?初めて言われた。」

「いや、めっちゃ似てるよ?目元とか特に!」

「へー。」

「・・・」

うん、これは俺が悪い。

でも、その「似てる人」によっては、どうしようもない虚無感を抱えて家路に着く羽目になることもあるので、実際あんまり広げたくない会話であることは間違いない。

こうやって書くと、

「いや、自分の実際の姿をちゃんと理解しないのはどうなの?夢見すぎじゃない?」

という正論火の玉ストレートを投げてくる人がいそうなので

「自分の顔、良いと思ったことないから、ごめんね。心の中だけは理想の姿でいさせて?」

と言っておく。

まず、この自分の顔が良いと思ったことがない。ということに関しては、実はそんなネガティブではない。人によっては褒めてくれるし、羨ましいと言われることもある。

でも、この気持ちはこちら側の問題で

自分の中の『美しい』や『かっこいい』などの「美」のフォルダに「自分の顔」が入っていないだけで、褒めてくれた人たちのそのフォルダの中には「自分のような顔」が入っていたんだ。

と思うようにしている。

ただただ「自分の顔」は自分の「美」のフォルダの中にない。本当にただそれだけなのだ。

だから、相手の価値観に対して別に否定的にはならず、そうなんだねありがとうで済ませることができる。


2. なぜこの話題が嫌なのか?


さて、冒頭の「〇〇に似てるね!」について戻っていきたいと思う。

僕がこの話題が好きではない理由は、

時々傷付くからだ。

めっちゃシンプル。

先ほど述べたように、自分の「美」のフォルダにそもそも「自分の顔」がなければ、大抵それに近しい「自分のような顔」すらも「美」のフォルダにないのだ。

つまり、

自分に似ている顔の人を僕は「美」だと思ってないから、この話やめませんか?という提案になる。

普段から自分の顔が別に好きではない人間は、心の中だけでもブラピにしたり、アンジェリーナジョリーにしたり、そうやってちょっとした嘘をつきながら生きている。

僕も自分をブラピだと思って過ごした1日だってある。

翌朝自分の顔を見て、あ、めっちゃ俺。ってなって現実に戻ったことだってある。

時々心をブラピにしないとやっていけない時だってある。

ある、はずだ。

そんな幻想を打ち砕くかのように

「〇〇に似てるね!」

が殴ってくるのだ。現実に戻れ、お前はこんな感じの顔だぞ、と。

ちょっとネガティブすぎるので、次は翻ってこの話題を持ちかける相手について肯定的に見ていきたいと思う。


3. この話題を持ちかける人って?


ここまで散々自分の顔について自分の側から意見を書いてきたので、そもそもこの話題を持ちかける相手の側になって考えてみたい。

実はぶっちゃけると、自分もこの話題を相手に持ちかけてしまったことはある。
相手に対してどのような思いがあってそれを言ったのかを考えると、

君が憧れているであろう人に似てて素敵だね。

である。

僕のように自分に近しい顔に対して少なからず嫌悪を抱く人がいる一方で、自分に近しい顔の人に憧れる人もいるのだ。

顔が似ている芸能人の髪型や服装を参考にすることは誰にだってあるように、顔が似ているからこそ好きになれる、美しいと思える人もいるはずだ。これは決してナルシシストではないと思う。

まとめると

自分の顔を好き嫌いで分けず、そこにあるものとして受け入れている人にとっては〇〇に似ているねという言葉は嬉しいはずだ。ということになる。

あ、やべ、めっちゃ大人だ。

前言撤回!!!!

解散!!!

この話題、たくさん振っていきましょう!!!


4. 俳優の顔


さて、もう既に破綻してしまいましたが、ここまでの話をざっくりまとめると

自分の顔が好きではない人にとっては居心地の悪い話題で、自分の顔が好きな人にとっては良い話題。後者の方が諦観的で大人な気がする。

という感じです。

大人だから良い、というわけでは決してないのだろうけど、この顔と後数十年付き合って行くのならどこかで認めてあげて、自分の顔を「美」のフォルダに入れてあげたいものだなあとは思います。

そもそも俳優をやっている人間が自分の顔が良いと思ってなくてどうすんの?って話ですが、自分の顔あんま好きじゃない俳優さんって多い気がする。写真苦手ですとか、役入ってないと無理です、とか。意外といる印象がある。

え、こんな整ってるのに?なんでそう思うの?と思ってしまうこともよくある。

まあ自分の人生を生きれば良いのに他人の人生を拝借するという時点で、自分に対してネガティブな感情を持っている人は多いよなとは思います。

自分にもそんな節はあるし。

でも、そうは言ってられないと、最近は思う。誰かの「美」に引っかかるためにもっと顔も載せてたくさん見られないとダメだよな。と。

そもそも矛盾してるというか

自分の「顔」(ここでは顔と言ってますが存在そのものも含む)が好きじゃなくて、他人の人生を拝借していながらも、結局顔は一緒というか

どこまでも自分は自分なんだと毎度気づかされる感覚がついて回る感じはする。

まあつまり

一般的には美形とされる俳優の方でさえ、自分の顔が好きではないことがあるので、似ている人の名前を出すのはもう少し慎重になった方が良いんじゃないか。

ということですかね。

5. しかし、これだけは解せない


ここまでで、僕の意見が棘を失ってしまった過程をご覧いただきたい。

僕はこの話題が出るとうんざりしてしまう。


自分に似ている顔の人を僕は「美」だと思ってないから、この話やめませんか?という提案になる。

一般的には美形とされる俳優の方でさえ、自分の顔が好きではないことがあるので、似ている人の名前を出すのはもう少し慎重になった方が良いんじゃないか。

最初こそはガンガン行くぞとなってたが、途中で書きながらなんか虚しくなってしまって最後には勢いを失って、三つ指立てながらお辞儀してしまった感がある。

でも、やっぱまず自分を受け入れるところからスタートしなきゃと気付けたのは大きな収穫でした。

しかし

「〇〇に似てるね」の〇〇に入る人物で、

何なの?どうしたいの?という思いになる時がある。

その人物とは

言ってきた相手の”友人”

である。

これはマジでよくわからない。

こうなる。

「高校時代の友達のサトシにめっちゃ似てるんだよね!」

「え、あ、そうなの?似てるんだ。」

「うん!めっちゃ似てる!」

「・・・(だから何?)」

その後に僕が

「…あ、じゃあ写真見せてよ!」

と言った時に

「…あ、ごめん。写真はないや(苦笑)」

ってなった時

お前はどうしたかったんだ!!!!!!
そもそもどうやってその話を展開したかったんだ!!!
せめて、せめて、這いずり回ってでも写真を見つけてこい!!!
今すぐいけーーーーー!!!

と心の中では叫んでいる。

この話をする人の気持ちを知りたい。

誰か教えてください。

以上。言いがかりでした!

また来週!!!


























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