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時代に抗わない人

いつも読んでくれて有難うございます。

はい。

唐突な感謝から始まりましたが、周りの方々から「note読んだよ!」と連絡を頂く機会が増えて、きちんとこの場でも感謝を伝えたいと思って書きました。

マッジで励みになります。いかんせんひとりで書いているので、良いのか悪いのかそもそも文章が成立しているかすら分からない中で勢いだけでエイヤっと投稿しているので、褒められるのめっちゃくちゃ嬉しいです。

めっちゃくちゃですよ、マジで。

褒められて伸びるタイプですし、褒められたくて生きているタイプです。

逆に怒られたくて生きている人なんかいないし、みんな褒められたいよね。

そもそも「褒める」の意味は

人のしたこと・行いをすぐれていると評価して、そのことを言う。たたえる。

デジタル大辞泉(小学館)

ですもんね。

うん。

そのまんまだな。

それだけです。

みなまで言うな、文字数稼ぎじゃ。

てなわけで今日もやりまーす。

どうぞ。


先日とある俳優の大先輩がこんなことを言っていた。

「時代には抗えないから、優しいおじさまをしょうがなく演じてるよ。」

と。

その方は実際、包容力があって、優しくて、誰にでも分け隔てなく接するいわゆる「優しいおじさま」である。

この言葉は捉え方によっては、変わりゆく新しい時代への不満ともとれるが、

僕の心の中では

おじさまへの愛が大爆発した。

おいおいおい、と。なんかもう凄いな。勝てねえ、と。

なぜそう思ったのか。

まず、この言葉を解剖する前に

常々目上の方とお話ししている時の
「とある言葉遣い」についてあえて触れておきたい。
たぶん共感してもらえると思うが

年下に敬語の時あるよね?

これである。

当たり前のようだけど、1回りも2回りも下の若者に敬語って凄くね?って最近改めて思う。

冒頭の方は僕の2倍以上の歳月を生きてきた方だったが、それでも敬語だった。初対面だったから、というのは納得できる。社会人として。

でも、それでも、やはり目上の方の敬語ってなんかグッとくる。てか、カッケーなと思う。

それでいて距離を感じないようなあの絶妙な敬語とタメ語の使い分け。

いや、本来はもっと偉そうにされても全く違和感ないんですよ。だって倍以上の時間を生きてるわけだから。それでもこんな若造に敬語で話される方を見るとグッときてしまう。

一方で僕は、

ご高齢の方の敬語に対してタメ口で返してしまうという、とんでもない逆転現象を引き起こしてしまうことがある。

これに関しては生粋のやつである。もう孫ムーブしまくっちゃう。

それでも一度も怒られたことがないから味を占めているのかもしれない。一度こっぴどく叱られた方が良い気はする。

でもおじいちゃんおばあちゃん大好きなんだもん。

それだけは条件反射だから許してほしい。


時代には抗えない


話を戻しまして、冒頭の

「時代には抗えない。」

という、この言葉にはとんでもない深みがあると思う。
その方のお名前は明かせないが、誇張抜きに1つの時代をつくってきた俳優さんだ。

そんな方でも下の世代が現在進行形で作り上げている「新しい時代」に合わせようと努力をされているのだ。

僕にこんなことが出来るのだろうか。

一旦冷静に妄想してみる。

もし僕が今70歳だったら。俳優として約50年もの芸歴を重ねて、人生の苦楽も知っていて、それなりに波もあって、海辺で朝からコーヒーを飲んで、新聞広げて、波の音聞きながらちょっと過去のヤンチャしてた時代を振り返って、どう人生を畳むのかにも少し思いを馳せて

思い立ってふとテレビをつけたら

今年の流行語のノミネートが発表されてて、

少年が手を叩いた後に両手を広げて

「ひき肉です!!」

とか言ってたら、

頭バグるだろ。

この少年の奇怪な動きと言葉を「時代」と割り切れるのだろうか。

この例は極論だけど、時代に抗わないって死ぬほど難しいと思う。

だって、25歳の僕にだって理解できない10代の子たちのノリもあるわけだから、もっと上の世代なんてそれ以上に分からないだろうし。

それでも、変わっていく時代に合わせて変容していくその方の姿がとてつもなくカッコよく見えた。

その後に

今の時代の主役は君達だから。

と濁りなく見つめてくださったあの眼差しを僕は一生忘れない。

その時は敬語ではなく、先輩として背中を押してくださった。

いや、もう大爆発ですよ。

50年以上生きてこられた方が、自分たちはもう古い人間だからって、まだ是非曲直の判り切ってない若者にこれからを託すってとんでもないことじゃないすか。


優しいおじさまをしょうがなく演じてるよ

そして、もう一つ。「優しいおじさまをしょうがなく演じてるよ」の部分。

これのすごいポイントは「しょうがなく演じているよ」と表明していること。

だって、「演じている」ってわざわざ若者に表明しなくて良いじゃないすか。
僕の本質は優しいおじさまではないけど、そう見えるように振る舞っているよ。とわざわざ言ってくれるんですよ?

そうすることで、君たちと似た気持ちが僕にも実はあるよって近くに感じさせてくれるというか。

「時代のせいで優しいおじさんになっちゃった!」でも良いのに、本質的な気持ちは君らの世代に近いよって目線を合わせるための「演じているよ」だと思うんです。

もうやばいでしょ。

こんな年の重ね方はまだまだできそうにないなと思っちゃいました。


自分はそうなれるか


一方で、一方でね。「老害」という言葉もある。

この言葉について掘り下げるのはちょっと難しいけど、自分が将来そう思われない保証はないし、こればかりは分からない。

自分が数十年で死ぬ気で作り上げてきた価値観を「古い」と切り捨てられて、挙句「害」扱いって結構しんどいなとは思う。本来の人間の反応って保守的だろうし、新しいものに触れていく気力は年を重ねるごとにすり減っていくと思う。

別にそういう人を肯定的には見ていないけど、全く分からないと切り捨てることもできない。

だからこそ、冒頭の言葉に心底痺れたんだと思う。

そんなおじさまになれるだろうか。

答え合わせはだいぶ先だな。

ほんで、抗いたくなる時代にしないよう、我々若者世代も気合入れていこうぜ。

今度おもむろに肩組んで声出しするからよろしくな。

あと、

30年後の流行語大賞に胸肉とかささみとかが来ても受け入れような。

全力でやろうな。

入れ歯飛ばして、笑い合おうぜ!!!

以上!!!



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