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当たり前じゃないからな

こんばんは。

すっかり隔週更新になりました。
いかがお過ごしでしょうか?

余談ですが、最近自炊にハマっています。今まで食に対してあまり目を向けていなかったのですが、急にスイッチが入って毎日自宅で料理をしています。

生活をしている!

という実感が湧いてくるので、とても豊かな日々を過ごしています。

ほとんどの料理に適量の塩胡椒を振ることを初めて知りました。

しかし、適量、ひとつまみ、お好み、あたりのアドリブ要素で味が決まってしまうことがあるため、もう少し厳密な計量をしてほしいと思う次第です。

人によって適量って違いますからね。

僕の適量を知る良いきっかけにもなってますが。

あと、あれやめてほしい。
レシピ通り進めていたら唐突に現れる調理済みの何かしら。

君はどこでそんな姿になったの?っていう人参とか出てこないでほしい。

よろしく頼みます。

さて、今日は「時間の進み方」についてのお話です。

こないだ、高円寺でWalk Walk Walkという企画の撮影がありまして、集合が18時で撮影を終えたのが20時頃だったのですが

「え、まだ20時なの、、、」

とみんなで驚愕しました。

カメラの前にいる時間と日常の時間でなぜこんなに差が生まれるのか。

それが早かったり遅かったりは人それぞれですが、僕は「時間」というものの定義を改めなければならないと思った。

Walk Walk Walkもよかったらご覧ください。

時間の定義

空間と共に、物体界を成り立たせる基礎形式と考えるもの。普通、過去から未来に絶えず移り流れると考えている。

時間の定義

これが時間の定義。

あくまで基準としての時間であり、そこに人間の感情はない冷え切った解釈。良い悪いではなくね。

時間が絶対的に動かせないものだとしたら、こちらに要因があるはずだ。

時間の感じ方の仮説を友人と立てたことがある。

それは

人間は自分の思考のスピードを基に時間を計っている。

というものだ。

例えばスポーツなどの「ゾーン」で説明できる。あの領域に入った人は、みんな「スローモーションに感じた」というコメントを残している。実際僕も高校時代の部活でゾーンに入ったことがある。

本当にゆっくりに見えるし、そして、自分のした行為の結末が見えている感覚になる。

あれやばい。

後から思い返すと、ゾーン状態にいる時は思考が死ぬほど回っていた。しかも、雑念のない思考。マインドフルネスな状態なんだと思う。

普段と違った思考の回り方で時間の感じ方が変わったのだと僕は解釈している。

そう考えると、自分たちが普通に回っていると思っている時間は、こちらの意識次第で変わっていくのではと思った。

高円寺での撮影の時も、明らかに思考のスピードが違った。

というか、感じる力のようなものがぐわっと上がるようになっていたと思う。普段見ていないものが情報として流れ込んでくる。例えば標識の色とか、デザインが明確に。それに伴って思考が回り続ける。そんでもって、時間の感覚が変わる。という感じですかね。

科学的にどうかは分かりませんが、この仮説は良い線言ってるのではないかと思います。

映画『パーフェクトデイズ』で再発見したこと

先日役所広司さん主演の映画『パーフェクトデイズ』を観た。

むちゃくちゃ面白くて、色んな人とこの映画の話をしたのですが

高円寺で感じた時間の進み方の違いと、この映画で描いていることは少し似ているなと思いました。

主人公の彼は毎日変わらない日常を生きていたけど、劇中のちょっとした変化によって、過去、未来、現在の「時間」に対して今までと違った見方が生まれラストシーンに繋がっていく、、と僕は解釈したのですが(ネタバレ避けるためにだいぶ抽象的ですみません)

この「時間」に対しての考え方の変化って、人生を大きく決定づけると思うんです。

というのも、時間って定義通りにいけばこちらが手を加えても動かないし、取り戻せない。

だからこそ、こちらがアプローチを変えることでしか何かを変えることは出来ないですよね。

竹原ピストルさんの「例えばヒロ、お前がそうだったように。」という歌詞の中にも

街は眠らない。だからこっちが目を閉じるしかないんだ。街に静寂はない。だからこっちが耳を塞ぐしかないんだ。

例えばヒロ、お前がそうだったように。/竹原ピストル

というものすごく素敵な歌詞がある。

これは、当たり前のこと言っているようですごいなって思う。

変わりようのないものをいくら変えようとしたって、自分に満足なんて訪れないだろうし、そこでクヨクヨしてても仕方ないなと思う。

映画「パーフェクトデイズ」でも、変わらないものと変わってしまったものとの対比も描かれていたし、そこにドラマがあったと思う。

時間という不可逆のものに思いを馳せることで、色んなドラマが生まれますよね。

いや、ほんとに当たり前のこと書いてるんですけど、ほんと当たり前じゃないんよ!!!

前ね、前、学生時代の部活で、「改善した方が良いことはあるか」という話し合いが行われましてね、プレーとかそういうのじゃなくて人間として、のやつなんですけど、僕が「挨拶とかきちんとした方が良いんじゃないですかね。」って控えめに言ったら、とある先輩に半笑いで「当たり前でしょ...」って言われて周りも失笑してたことあったんですけど

そうやって半笑いで言ってきたあなたが、1番挨拶してねぇからなぁぁぁあ!!!!

あなたに言うために遠回しに言ったんですけど!!!部の雰囲気があなたのせいで悪くなってますよ!!!!

と心の中で思ったことがある。

そう、、、

当たり前じゃないからな。

唐突に思い出し、取り乱しました。
すみません。

つまり、パーフェクトデイズで再発見したことは

当たり前だと思っていることは本当に当たり前なのか。

という、当たり前だけど当たり前じゃないことでした。

翻って感謝

よく巷で言われる、当たり前の反対はありがとうという言葉通り

僕も過去の当たり前、現在の当たり前、未来の当たり前についてものすごく考える機会になりました。

冒頭に書いたように自炊をしていて、実家にいた頃の母の手料理の過去の有り難みに気付いたり。

友人と仲良く過ごせている今の有り難みに気付いたり。

10年後の未来や20年後の未来の話をする時に自らや周りの死について考えないことってどうなのって思ったり。

ネガもポジもグルグル回りながら、まだまだ答えを探す時間になりそうです。


そして、僕にとっての適量を見つけたいな、と思っている今日この頃です。

…決まった。

あ、今、伏線回収しましたよ。

料理の塩胡椒の適量に掛けて、僕にとっての適量を見つけたいなって...。

…は?


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