見出し画像

再び英国へ


   帰国してから数か月たち、12月後半の肌寒い季節になっていた。ある日、たまたま勤務先の学校に取引先の旅行会社の営業マンが来ていた。30代くらいのいかにもサラリーマン風の男性で、紺のスーツで白ワイシャツにワインレッドのレジメンタルネクタイを身にまとい、事務室前で事務員の対応を待っているところだった。彼はこの学校の英国研修旅行の担当者だった。僕はイギリスの話がしたくなり、僕の方から彼に話しかけた。イギリスの状況や滞在中の姉妹校の生徒の話題などで話は盛り上がった。その話の中で、姉妹校の生徒を対象にした5日間だけの英国留学体験ツアーを冬休みに予定しているのだと聞いた。僕はすぐさま、

「そのツアーの枠で、私も自費で一緒に行くことはできませんか?」と気が付くとお願いしてしまっていた。その営業マンは、

「多分、そのツアーの枠で行くことは可能だと思いますよ。後ほどまた詳細をお知らせしますね」と言った。

   僕はラッキーだと思った。このツアーの枠で行けるとかなり割引してくれるからだった。その晩、このことをジョージに電話で告げると、彼もとても喜んでくれた。僕自身も再びイギリスに行けるのがたまらなく嬉しかった。今度は空手着と黒帯も前もって用意して、準備万端で出発の日を迎えた。その日は朝から気分が高揚していて、成田空港に到着するまで落ち着かなかった。現地に着いてみると、短期間の留学体験に参加する他校の高三の女子一人と男子二人、それに引率教員が待合のロビーで待っていた。その引率教員は60過ぎのやや腹の出た、白髪交じりの男性だった。彼は朝から同僚の愚痴をこぼしていた。僕らはロンドン行きのフライト搭乗ゲートから搭乗し、その後のフライトは順調だった。10時間以上のフライトなので、あっという間とまではいかないが、隣席の女子学生と談笑したり、映画を見たりしながら、思った以上に早くヒースロー空港に到着した。

   到着後に学生たちと引率教員と別れ、僕は空港のロビーをうろうろしていたが一向にジョージが現れないので不安になった。僕はジョージの自宅に電話しようと思い、近くにあった公衆電話を使った。すると、ジョージのお父さんが出て、

   「ジョージはもう弟と一緒に迎えに行っているよ!」と言われた。僕は少し安心して5分ほど待っていると、ジョージが彼より5センチくらい背の高いジェイミーいう弟を連れてやって来た。僕は2人と強い握手を交わし、

   「本当に来たんだね!」とジョージが驚きの表情で快く歓迎してくれた。早速、赤色のかなり年数のいった日本製ダイハツ車に乗り込み、ジョージの実家に向かった。ドライブの途中でサービスエリアのような場所があったので、コーヒーを飲みに休憩した。カフェに入ると、当然のことだが、周りがすべて英語の看板やメニューなので、短い期間とはいえ、再度イギリスに来ることができたんだ、という実感が湧き上がって来た。休憩をとってそのカフェを出た際に、カメラのタイマーを使って3人で記念撮影をした。

   ジョージの家に着くと、彼の両親が僕を大歓迎してくれた。

  「ナオト、わが家へようこそ!何か要望があった
  ら何でも言って!」と父親は満面の笑顔で言ってくれた。大柄で恰幅のいい明るくて気さくな男性だった。母親は以前会った時と変わらず優しかった。2人とも本当にいい人に感じられた。

   この時も、国際交流ってなんて素敵なのだろう、と高校生のような新鮮な気持ちになれた。僕が寝る部屋は、以前初めてジョージと語り合った部屋を使わせてくれた。その日はもう夜遅い時間というのもあり、少しみんなで談笑してからすぐ床に就いた。

   次の日の朝は目覚めもよく、イギリスにしては珍しく晴れていて、ジョージの母親が飼っている黄色いインコが可愛らしい鳴き声でさえずっていた。ジョージのお母さんが作ってくれた英国の伝統的な朝食(ベーコンと目玉焼きとパンに紅茶)がやけにおいしく感じられた。それから3日間、ジョージも年末の休みに入っていて仕事はなく、ワイン好きの友人宅に行って僕を紹介してくれたり、フランスに行ってピザを食べたりして楽しい日々を送った。

   フランスといっても、僕が行ったのはフランスのはずれにあるカレーという小さな港町で、イギリスのドーバーという港からフェリーでドーバー海峡を渡り、たった40分くらいで行ける距離だった。行く途中でカモメがたくさん寄ってきてフェリーと並行して飛んでいた。日本人からするとカモメはとても優雅で美しい鳥だと思ってしまうものだ。

「こんなに優雅なカモメを間近で見られていいね!」と僕が言うと、

「ナオト、カモメなんてこの辺の港あたりではたくさん生息していて、ゴミ箱を荒らしたりするからカラスと変わらない鳥なんだよ。駆除されるべき鳥なんだよ」とジョージに言われ、少しがっかりした。

   フェリー内にはTaxフリーのショップもあり、ディオールやシャネルなどのブランド品の香水なども販売していた。船内では何も買わずフランスのカレーの港に着くと、他国へ入国することになるのでパスポートが必要だった。僕は事前にパスポートを準備していたのですぐにそれを見せて通過できた。他国に入国するというのに、空港のような物々しい感じではなく、まるでディズニーランドに入場するような簡易なチェックで不思議な感覚だった。カレーというフランスの田舎町だったが、女性たちの洗練された服装が印象的で、イギリスの田舎町のサンドゲートやドーバーの女性の装いとは明らかに異なっていた。ジョージは以前、好みの女性について語ってくれた時に、将来はフランスの女性と結婚したい、と言っていたのを思い出して僕は納得した。

  それはさておき、無事にフランスに着いてから、とりあえずピザを食べようということになり、普通のレストランでピザを食べたが、久しぶりに本物を食べた気がするくらい美味しかった。その後、小さなカフェに入って紅茶とショートケーキを注文したが、これも日本なら表参道ヒルズあたりで出てきそうなオシャレ感たっぷりの盛り付けだった。かわいいフランス国旗がケーキに刺さり、ケーキの周りにソースが散りばめられていて、さらに味も最高だった。そんな楽しい日々も最終日の三日目となったが、もう少しだけ滞在したいという気持ちが強くなってしまった。予定された便で帰国すればその後に起こるようなことには出くわすことはなかったのだが、と後で思うことになる。

   結局、思案の末に滞在を延長したいと日本の旅行会社に電話することにした。電話をかけると担当の営業マンは不在だったが、代わりの担当者と話すことが出来て、追徴分は帰国後支払うという約束をして、もう一日だけ帰国日を延長してもらった。でも、楽しい時は何でもそうだが、あっという間に過ぎるものである。延長された一日分もジョージの友人達とカンタベリーに行ったりして楽しいひと時を過ごして瞬く間に終わってしまった。それでも、ジョージの友人2人を交えての交流は、年齢もほぼ皆同じ30歳くらいで、まるで留学先でできたクラスメートのようにざっくばらんな会話も楽しむことができた。僕は留学したことがなかったのでそのような貴重な体験もでき、再び渡英できて本当に良かったと思った。そして翌日、変更された帰国日に予定通り帰路に就こうとしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?