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Bula vinaka

はじめまして。Unaです。
私は訳あって先月から2年間、フィジーで暮らすことになりました。
日本人の私が日本とは違う文化を持つ国で暮らす中で日々ふと思ったことをつらつらと書いていこうと思っています。
読む人によっては、私の文章を読んで「それは違うんじゃ無い?」と思うこともあるとは思いますが、もはや答えは求めず私の視点から思ったことをつらつらと書いていこうと思うのでご承知ください。笑
言ってみれば、自分用備忘録です。笑(確実に私の人生において貴重な2年間になるはずなので…。)

今回は、初めての投稿なので
・自己紹介
・フィジーの簡単な紹介
・到着して1週間経って思うこと
を、広く浅く書いてみようと思います。

ここで少しだけ自己紹介を。
私の名前、Unaはフィジーでの職場に初出勤した日に同僚からいただいたフィジーネームです。
正直、本名に「う」も「な」も付いてないので何でUnaになったかはよくわかりませんが、響が好きで結構気に入ってます(^^)
そしてお仕事ですが、フィジーにあるNGO団体の一員として働いています。
内容としては、障害を持った子どもに対してのリハビリテーション。
施設内では外来リハビリと重症児のためのホステル、早期介入センターとまだ私は踏み入れたことがありませんが支援学校もあり、同時にコミュニティ巡回も行っています。

初めて『外国』で働いてみて感じたこと。
それはやはり語学の壁です。
フィジーは英語とフィジー語、ヒンディー語の3つが共用語の少し不思議な国です。
私は元々海外旅行が好きで、1人で海外に行って友達を作って楽しめる程の英語力くらいは持っていました。けれど働くとなると話は別。そして準ネイティブの中に入ってのみんなでの会話になるとこれまた話は別。
語学の壁を感じた時、『もっと話せるようになりたい!もっとみんなのことが知りたい!』と良い感情が芽生える反面、『これは侮辱されてるのか?めんどくさがられてるのか?』と一気にキノコが生えるほどネガティブ思考に陥ることもあります。(きっと私の性格もありけり…)
思うに、語学の壁の中には単純に語学力の問題だけでなく、言ってる言葉の持つ価値観の違いも含まれてる気がしています。
もちろん、信頼関係を気づくために大切なのは語学力だけではないですが、語学力が無ければ辿り着かない閾値があることも身に染みて感じています。
ここで出てくるこの国の難しさは使用言語が3つあるということ。
いわゆるフィジー人と呼ばれる人達は大きく分けてフィジー系とインド系の2種類のルーツに分かれます。そして人口割合はほぼ半分ずつ。(細かく分けると、フィジー系・インド系もそれぞれより細かくルーツは分けられているみたいです。)みんなで話す時は英語がよく使われますが、フィジー系同士やインド系同士になった瞬間、使用言語が変わります。
そうなると今の私は全く理解できずです。
ちなみに宗教もそれぞれなので、キリスト教、ヒンドゥー教、ムスリム…など色々な宗教的建物が道の至る所にあります。
けれど不思議と宗教が対立しているというよりかは共存している印象。
フィジーは330以上の島からなっている国ですが、面積を合わせても日本の四国ほどの大きさ。けれど、こんな感じで本当に色々な面で多様性に溢れていて、独特さも感じる不思議な国です。

これからまだまだフィジーのディープな部分や黒い部分?も色々見えてくるんだとは思いますが、今のところこの国の印象は私にとって悪いものではありません。
興味をそそる要素がとてつもなく多い!…そんな所です。

書き始めると書き終わり方がよく分からなくなるので、今回はこれくらいで終わりとします。

ちなみにタイトルのBula vinakaはフィジー語でこんにちは又ははじめましてのような言葉です🇫🇯(多分)

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