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逃げてもいい

もうすぐ夏が終わりますね。

宮崎も少しづつ暑さが落ち着いてきて
最近は車を運転する時はクーラーを付けずに
窓を開けて気持ちの良い風を感じながら
秋の近づきを感じています。

季節の変わり目はくれぐれも
体調の変化にお気を付けください!


さて、今回は
「逃げてもいい」というタイトルです。

私はまだ22年しか生きていませんが、
たった22年の中でも
人生の岐路で多くの選択をしてきました。

その中で“チャレンジしたいけど怖い”とか、
“本当に自分にできるだろうか”と悩むことも
多くありました。

そこで高校に入るまでの経験を交えて、
今も大切にしている私の考え方を
書いていけたらなと思います。

今回は少し長くなってしまいますが、
最後までお付き合いいただけると嬉しいです!



1.憧れの場所


私が3年間通っていたのは、大阪府大東市にある
“大阪桐蔭高等学校”
野球が好きな人なら知らない人はいないですよね(笑)

野球以外にもラグビーやバスケ、吹奏楽…
もちろんサッカーも
スポーツだけではなく勉強でも
東大京大合格者が多くいる
文武共に名門校で憧れている
子供たちは多いのではないでしょうか。

私もその憧れている子供の1人でした。

小学生ぐらいの時に
桐蔭の下部組織のチームの体験会が開催された時に
桐蔭女子サッカー部の人たちも手伝いに来ていて、
その時の気持ちの良い挨拶
テキパキと仕事をする姿
小学生ながらにすごいなと思ったのを覚えています。

その何年後かに、
たまたま同じ試合会場のスタジアムで
女子の高校サッカーの試合が行われていると聞き
観に行ってみると大阪桐蔭が試合をしていました。

どんなプレーだったかまでは覚えていませんが、
そこで完全に心を奪われました(笑)

その時から私の中で
“大阪桐蔭”は憧れの場所になりました。


2.1度目の岐路


小学生時代のプレー写真
今じゃ考えられないくらい細い…笑

私の人生で1度目の岐路は小学6年生。
中学でどこのチームに入るかという所でした。

既に大阪桐蔭高校に憧れがある
と知っていた両親は、地元から近く、
桐蔭女子サッカー部の下部組織に当たるチームを
私に勧めてくれていました。

“ここに入れば桐蔭に入れる可能性が
  少しは高くなるかもしれない”

そう思って、体験にも行きました。

でも私の中で“何か違う”とモヤモヤしていました。
その理由は何だったのかは分かりませんが、
当時もう一つ県外のチームで
気になっていたチームがありました。

結局そのチームに行くことになったのですが、
決めるまでに親とは結構喧嘩をした気がする…(笑)

私が行こうとしていたチームは、
簡単に言えばドリブルしかしないチームで
でも体験に行ったときに
チームの人が上手すぎて衝撃を受けたと共に
自分もこんな風に上手くなりたいと思いました。

ただ、問題は距離
私の地元は大阪で、そのチームは奈良県だったので
毎日電車で1時間以上とそれ以外も合わせて
大体片道2時間。
自分が親でも反対すると思う(笑)

だからこそ、
高い電車賃を払ってくれたり、朝早い練習の時は
始発の時間に合わせてご飯を作ってくれたり
最初こそ反対していたけど入った後は
沢山応援に来てくれた親には
感謝してもしきれない。

そうやって支えてきてもらったからこそ
どれだけ遠くても、朝は早くて夜は遅くても
3年間頑張れたんだと思う。
ママ・パパ本当にありがとう!

そして今思うと、練習までの長い道のりは
チームメイトとふざけたり真剣な話をしたりして
楽しい思い出
がいっぱいだし
何より3年間めちゃくちゃサッカーが楽しかった!

この試合は体育祭の後にほぼフル出場して
次の日全身筋肉痛で起き上がれなくて
遊びに行けなかった笑
それも今ではいい思い出
みんなでドロドロになりながら
サッカーをするのが楽しかった!

当時のチームメイトは、
今でも帰省の時に会いに行くくらい
大好きな仲間たちで
このチームも私にとって大切な場所です。

そして遠回りに思えた道は、
確実に自分の力になったと今では思います。



3.2度目の岐路


中学3年の奈良県大会での写真

2度目の岐路は中学3年。
高校を決めるタイミングですね。

この時の私は、
・地元の公立校に通いながら、中学のチームでそのままサッカーを続ける。
・女子サッカー部がある高校に入る

この2択でサッカーをやめるという選択肢は
なかったと思います。

どちらになっても大丈夫なように
ある程度勉強を頑張っていたり、
塾にも通わせてもらっていました。
塾は嫌だったけど、選択肢を作ってくれたと思うと
これも親に感謝ですね(笑)

中学のチームは楽しかったし、
これからまた強くなっていける
可能性も感じていたからこそ心惹かれていた。

でも“高校サッカーは高校でしかできない”
という想いと憧れはぬぐい切れず
“憧れ”だった大阪桐蔭高校の体験に行きました。

しかし、実際に歳が近くなって
目にした憧れの場所は、
当時の私には遠い場所に思えた。

“自分にはレベルが高すぎる”
“自分が入れるわけない”
と、正直思いました。

そんな時、電話が掛かってきました。
相手はなんと、大阪桐蔭女子サッカー部の監督。
(現在は総監督になられています)

「是非、うちでサッカーをしませんか」
予想もしていなかった言葉でした。
(今でも不思議に思います笑)

嬉しかった。本当に嬉しかった。
まさか“憧れの大阪桐蔭”から推薦を貰えるなんて
夢にも思っていなかった。
でも即答は出来なかった。

正直怖かった。
自分よりレベルの高い人しかいない場所で
本当にやっていけるのか。

今のチームに残ればきっと楽しい。
今のチームでも本気のサッカーができる。

でも高校サッカーの舞台で戦いたい。

色んな想いが頭の中で
ぐちゃぐちゃになっていました。

そして確か10月30日
返答書類の提出期限前日。

私はまだ心を決めることができていなかった。

提出期限を過ぎるのはありえないことなので
一旦電話してまだ決め切れていないことを話し
了承を得て決まったら連絡する
という形にしてもらいました。


3.背中を押してくれた言葉

苦しいけど自分自身の気持ちと
向き合わなければいけない
でも一歩踏み出しきれなかった
私に
両親はこんな言葉を掛けてくれました。

「辛かったら辞めてもいいから」

この言葉で決心が決まりました。

“なんだ、辞めてもいいんだ”
と思ったわけではありません。

もし辛くて高校をやめることにしても
“居場所がなくなるわけじゃない”
そう思えたことで
少し肩の荷が下りたんだと思います。

そしてこの言葉が
逆に私の負けず嫌いの心に火を付けて
やってやる!という想いに変わりました。

昔から、辞めてもいいとか、
サッカーを引き合いに出されると
火がついて勉強も頑張れたんですよね(笑)


こうして“憧れの大阪桐蔭”へのチャレンジ
が始まりました。

間違いなくこの時チャレンジしたからこそ
今の自分がある
し、大阪桐蔭で過ごした3年間は
かけがえのないものになりました。

桐蔭の11期生16人

高校での話はまたの機会に…


4.逃げてもいい

今回紹介した2つの岐路から私が学んだことは、

“本当に辛い時は逃げてもいい”ということと
“絶対どこかに居場所はある”ということ。


もし死にたいくらい逃げたくなった時に、
自分を責めてしまいそうになったら
“ここは自分の居場所じゃなかったんだ”と
逃げることも必要なんじゃないかと思う。

もちろん向き合わないといけないこととか
向き合わないと解決しない、
前に進めないことなら向き合うべきだと思う。
そこで向き合わないのは
“逃げ”になってしまう
から。

でも自分を殺してまで
その場所に居続ける必要はないし、
やれることをやった上での逃げは
本当の“逃げ”ではない
と私は思います。

だからチャレンジする時も同じで
何でもかんでも“嫌だったらやめればいい”
というわけではないけど
その場所を離れても
“居場所がなくなるわけじゃない”
くらいの楽観的さも必要。

自分が前向きに進む一歩を踏み出すためには
時にはこういう考え方も
必要なんだなと思いました。

真面目過ぎる人は特に
“逃げちゃいけない”と考えてしまいがちだから
(私も完全にそういうタイプです笑)
肩の力を抜いて、簡単に考えることも大切です!(笑)

チャレンジすることって
それが成功したとしても失敗したとしても
自分の世界を広げるきっかけに
絶対どこかでなっている
と思うので
考え方ひとつでチャレンジすることに繋がるなら
私みたいな性格の人には
是非この考え方は知って欲しい!

万年サブの私が、
なでしこリーグに入れたぐらいだから
どこかに絶対チャンスは転がっているはずです!


繰り返しになりますが、居場所は絶対にある。
ただその居場所の“質”というのは
今まで自分がどう生きてきたかに比例すると思う。

だからこそ日々できる限り
何事も一生懸命にやりたいと思います!

最初の話からかなりズレてしまいましたが、
振り返りながらこのNoteを書いていた時に
今の自分にとってすごく
大切な考え方だなと思ったので
ここに残させてください。

すごく長くなってしまいましたが、
最後まで読んでいただいて、
ありがとうございました!
ではまた次のNoteで会いましょう!

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