見出し画像

私の夢はデザイナーになること。そのために50歳になって服飾学校の通信教育を受けることにした。

12歳の誕生日に欲しい洋服を買ってもらった時の喜びを今でも覚えている。グレーのチェックのベスト+スカートのセットだった。とてつもない田舎に住んでいた私だったが、素敵な洋服にいつもうっとりとしていた。中学高校時代は原宿竹下通りに通い、朝から晩まであらゆるショップの洋服をチェックし、少ない手持ちのお金で厳選して購入していた。

今思えば、そのまま服飾の専門学校なりに進むべきだった。しかしサラリーマン家庭の私は、普通のサラリーマンになることこそが幸せであると教わり、それを真に受け、たまたま得意だった数学で受験ができるという理由で理系の大学に進学したのだった。

社会人になり、給与はほとんど洋服と旅行で消えていった。毎朝今日は何を着ていこうかな🎵とクローゼットを開けるのが何より楽しみだったし、次のシーズンにはどんな洋服が流行るのか、私に似合う服はどんなだろう、といつも考えていた。

よく聞く話ではあるが、45歳を過ぎたあたりから、、、何を着ても本当に似合わない、しっくりこない状況となった。ちょうどヨガにハマり始めた時期と重なったこともあり、私は(自称)おしゃれねーさんから、自然派おばさんへ変身した。それはそれで楽だった。柔らかい色合い、ふわっとした形、ゴムのスカート、暖かい靴下、スニーカー、リュック。。。こんな楽なファッションがあったのね!感動だった。

しかし、たまにオシャレをして外出したい時に非常に困るという課題が出てきた。離婚をすると特に、惨めぽくなってはいけない!という意識が働き(誰も見てないのに)少しでも女性らしい雰囲気を出したくなってくるから不思議だ。

久々に綺麗系ブランドのお店に行ってはみたものの、似合う似合わないの前に自分(153センチ、42キロ)のサイズがない😱ことに愕然とした。若い時は少々サイズが合わずとも勢いでバーン!といい感じに着こなせたものが、歳を重ねることで、何だかみすぼらしくなってしまうのだ。

そんな時、だったら自分で自分の洋服を作ってみてもいいのでは?と思い至り、試しに作り始めたら、楽しいわ!達成感はあるわ!無になれるわ!の3拍子で一気にハマってしまった。そして、そういえば私って洋服大好きだったよな、今こんな状況になっているけど、来世こそはデザイナーになろうと決めた。最初は、型紙と作り方のキットを購入し、近所の湯沢屋で生地を選び作っていたが、結局のところS /M /LのパターンによりSでも大きいよ💦ということに気づき、服飾専門学校の通信教育を開始した。

もう右も左も分からないし、提出してもひどい評価で返ってくるものの、とても楽しい。来世が楽しみになっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?