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崩壊を理解する

自動車学校に通う予定ができた。今年学びたいことはこれを掲げて終了でもいいが、なにぶん一ヶ月で取る予定なので今年一年の目標とするには少々心もとない。

一ヶ月で取る、ということに疑問を覚えた自動車免許獲得済みのみなさん。正解です。この度私は予定がぎゅうぎゅうにつめつめのスピードプランで自動車免許を取ることになってしまった。地獄だ。
予定については別にいい。三月くらいまでは結構暇だったし、その間にしようとしてたことはできなくなるが、まあやらなきゃいけないことでもなかったので問題ない。問題なのは自分が一ヶ月で免許の試験に受かる気がしないということである。

最近は教習所も近代化が進んでおり、学科の授業はおおかたオンラインで受けることができる。オンラインがないとスピードプランなんて荒業はできないので、近代化に感謝だ。それはそれとして取れる気がしない。一月末日から講習が始まる予定だけど今から勉強してる。それくらいの勢いじゃないと受かる気がしない。ダラダラやっても飽きるタイプだからそこはまあ良かったかなとも思う。

教習所に行くと決定した瞬間、免許取得のための学科教習や技能教習は「学びたいこと」ではなく「学ばなければいけないこと」にシフトしてしまった。一万円札が三十五枚入った封筒を見て余計に首が締まった。背骨に亡霊がしがみついて「ストレートで取れなければお前は死ぬよ」と囁いてくる。身体の中でじっとりと湿った声が反響する。そんなことを考えて風呂に入っていたらのぼせた。熱いかも、とは思っていたけど本当に熱かったらしい。

じゃあ何が学びたいことなんだろう。風呂から出たので髪を乾かしながら考えてみる。国語も数学も英語も学ばなければいけなかったから学んだだけで、私が学びたくて学んだことってなんだ。学の字がゲシュタルト崩壊してきた。

そういえば私はゲシュタルト崩壊を言葉で知るより先に感覚で理解していた。あるある。国語の漢字の書き取りの宿題が出た時、例えば学を二十字くらい書いていると、だんだん本当に学がこの形で合っているのか不安になってくる。私はこの現象をわりと気に入っていて、買ってもらったけどマス目が違って使えなかった漢字ノートに何度も同じ漢字を書いてはゲシュタルト崩壊していた。当時は成の字が好きだった。変な子供だったと思う。

好きな言葉が二つある。本質理解と相互理解だ。表面だけ薄くなぞってわかった気になるよりも、頭からつま先まで理解したほうが楽しいに決まっている。相互理解は得られないとどうしても一人相撲になってしまう。わかった気になるのも一人相撲も虚しい。うつろな人生なんか送りたくない。最初から最後まで味の詰まった人間で生きたい。

私がゲシュタルト崩壊を漢字の書き取りから知っていたように、本質理解とは想像もつかないところで出会う。学ぶべきことを学ばなければいけないから学んでいるだけでは分からない本質がある。情報の海で溺れているだけでは出会えないところにひっそりと佇むそれを、今年は掴み取りにいきたい。

つまり「今年は人生を学びたい」ということである。

歯医者代がかさんでおり……(同情を誘う文章)