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日本版バカロレアの哲学試験をつくってみる?(後編)

前回、フランスのバカロレアの哲学教科について説明しました。

概念リストや著作者リストなど、教育省にしっかりと学ぶべきリストがまとめられていました。では、それを見習って日本版を作ってみましょう。

フランスと同様に(1)概念リスト、(2)著作者リスト、(3)指標リストに分けて考えてみます。

(1)「概念リスト」を用意する

日本の哲学や思想において重要な概念とはどういうものがあるのでしょうか。ぼくの前職のボスである日本文化研究者の松岡正剛の『日本という方法』や『連塾本』には以下のような概念が登場します。

あはれとあっぱれ
ウツとウツツ
ウチとソト
無常
バサラ
わび・さび・すさび
荒霊・和霊
アワセ・カサネ・キソイ
真行草
むすび
仮名と真名
もてなし・ふるまい・しつらい
主と客
神仏習合
守破離
稼ぎと勤め
「ある」ではなく「なる」
絶対矛盾的自己同一(西田幾多郎)
二項同体(清沢満之)
逆対応・即非の論理(鈴木大拙)
2つのJ(内村鑑三)
冷えさび(心敬)

難しいものも多いですが、日本を理解するための目印として使えそうです。(どこまで「哲学」なのかはなかなか難しいですが、哲学自体が西洋的なので、ここでは広く日本ならではの考え方、くらいで書き出しています)

(2)「著作者リスト」を用意する

次に著作者リストです。これもなかなか難しいですが、再び松岡正剛を参照し、キーブックを探してみます。松岡正剛が本の紹介をしている「千夜千冊」にはテーマによる分類が存在しますので、そこからリストを拝借します。(「夜」は千夜千冊の投稿番号)

▽古代・中世
0367夜 吉田兼好『徒然草』
0512夜 紀貫之『土佐日記』
0624夜 慈円『愚管抄』
0042夜 鴨長明『方丈記』
0750夜 空海『三教指帰・性霊集』
1239夜 法然『選択本願念仏集』
0397夜 親鸞・唯円『歎異鈔』
0550夜 臨済義玄・慧然『臨済録』
0988夜 道元『正法眼蔵』
0927夜 一休宗純『狂雲集』
0187夜 夢窓疎石『夢中問答集』
0063夜 伊藤ていじ『重源』
0203夜 保田與重郎『後鳥羽院』

▽近世(江戸)
1198夜 伊藤仁斎『童子問』
0829夜 柳生但馬守宗矩『兵法家伝書』
0443夜 宮本武蔵/渡辺一郎校注『五輪書』
0162夜 新井白石/松村明校注『折りたく柴の記』
0731夜 白隠『夜船閑話』
0721夜 田中優子『江戸の想像力』
0823夜 山本常朝『葉隠(上・中・下)』

▽近代(明治以降)
0385夜 山岡鉄舟『剣禅話』
1245夜 内藤湖南『日本文化史研究』
0412夜 福沢諭吉『文明論之概略』
0605夜 新渡戸稲造『武士道』
0075夜 岡倉天心『茶の本』
0250夜 内村鑑三『代表的日本人』
0689夜 九鬼周造『「いき」の構造』
0887夜 鈴木大拙『禅と日本文化』
1086夜 西田幾多郎『西田幾多郎哲学論集』
1025夜 藤田正勝・安富信哉『清沢満之』
0077夜 オギュスタン・ベルク『風土の日本』
0835夜 和辻哲郎『古寺巡礼』
1211夜 三枝博音『日本の思想文化』
0992夜 小林秀雄『本居宣長』
0564夜 丸山真男『忠誠と反逆』
0387夜 長谷川三千子『からごころ』
0483夜 山本健吉『いのちとかたち』
0873夜 坂口安吾『堕落論』
0877夜 野坂昭如『この国のなくしもの』
0914夜 司馬遼太郎『この国のかたち』
0955夜 柄谷行人『日本精神分析』
0919夜 ローレンス・オルソン『アンビヴァレント・モダーンズ』
0141夜 河合隼雄『中空構造日本の深層』
0522夜 中西進『キリストと大国主』
0239夜 宮本常一『忘れられた日本人』
1144夜 柳田国男『海上の道』
1244夜 石田英一郎『桃太郎の母』
1271夜 山折哲雄『神と翁の民俗学』
0087夜 網野善彦『日本の歴史をよみなおす』
0501夜 ドナルド・キーン『百代の過客』
0774夜 小熊英二『単一民族神話の起源』
1142夜 加藤典洋『日本人の自画像』
1418夜 梅原猛『日本の深層』
 松岡正剛の千夜千冊「総覧帖」より
(※歴史区分は、その時代に書かれたものとその時代について書かれたものが混在しています。)

ここには偏りもあるものの、日本の思想や哲学を改めて広く見てみると、まったく普段は触れていないことに気づきます。また、宗教・歴史・文学・思想がごちゃまぜになっていることにも気づきます。西洋の「哲学」という区分自体が日本に合いにくいことが見えてくるかもしれません。

ということは、日本についての理解を深めるためには、歴史学や仏教学を横断するような「新しい日本学」のようなものがないとなかなか網羅できないのかもしれません。

カリキュラムということは判断軸が必要になるため、これらの著作者リストをどう精査するのかは一筋縄ではいかなそうです。

(3)「指標リスト」をつくってみる

最後に指標リストです。これが何より難しい問題です。フランスでは「絶対/相対」「抽象/具体」「分析/総合」「偶然/必然/可能」などが提示されていました。そもそもこの指標自体が、フランス的(西洋的)な考え方に基づいています。

では、日本ではどのような考え方をとってきたのか。先程の概念リストと重複する部分もありますが、検討していきます。

1.間(あいだ)でみる
そもそも絶対相対、抽象具体で分けるのではなく、「間」を重んじていそうです。どちらにも属さない部分、どちらにも属す部分があるため、しばしば分かりにくいものになります。

たとえば、能楽師の安田登さんは「啐啄同時」や「懸待一如」とも呼んでいます。「啐啄同時」というのは、禅の言葉ですが、鳥が卵から子を返すときに、子は殻の中からつつき、これを「啐」と言います。逆に親鳥は外から殻をつつき、これを「啄」と呼びます。これが同時に起こらないと殻は破れない、という教えです。主体と客体のどちらか一方ではなく、お互いの関係性によって道が開かれる一例です。

懸待一如」も同じですが、これは剣道の言葉です。柳生新陰流の「兵法家伝書」に書かれています。攻めようとする「懸」と、相手を受けようとする「待」が混然となる状態のことを指します。これも「啐啄同時」と同様に、攻守が入り交じる「間」を表す一例です。

つまり、いかに物事を「間」で見れるか。日本版バカロレアではそれを指標に立てられると高得点が取れそうです。

2.中心はカラッポ
次に、「中心が無い」という指標もあるかもしれません。ロラン・バルトが日本を訪れた際に、タクシーが常に円環に走り、中心を避けている様子をこう表現しています。

「(東京は)は、次のような貴重な逆説《いかにも都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である》という逆説を示してくれる」(ロラン・バルト)

フランスの放射状の街並みや中国の碁盤目状の都市づくりがあるなかで、東京の円環する構造を見抜いたのかもしれません。

また、河合隼雄の『中空構造日本の深層』も有名です。日本の本質は中空構造にあるのではないか、中心はカラッポなのではないかというものです。これは日本の神話にまで遡り、中空の神話構造を紐解き、日本人の精神構造にもそれが根付いているという論です。それは、西洋の教会の中心には神がいるという構造とは異なり、神社の中心には何も無いことにも表れています。中心をつくりたがらない、ということかもしれません。

中心をカラッポにするようなバカロレアの回答はとても難しそうですが、それが描ければ高得点間違いなしです。

3.見立てを使う
もう一つの特徴として「見立て」がありそうです。直接的に表現するのではなく、例えたり、メタファーを使ったり、擬人化したりします。月見うどんも枯山水もキャラ化も見立ての一例です。

丸谷才一と山崎正和の対談集『半日の客 一夜の友』にも日本人の見立て好きが取り上げられているようですし、建築家の磯崎新も全集のなかで「見立ての技法」という1冊を著しています。

試験でどうやって見立てを使うのかは、なかなか難しいですが、上手な見立てで説明できたり、アナロジーを使った論説は高評価されることでしょう。

ということで、指標に関してはまだまだ奥が深そうです。ここでは3つしか出せませんでしたが、他にも「表と裏(表千家/裏千家)」とか「本音と建前」とか「序・破・急」とかありそうです。

実際に「問題」をつくってみる

これでやっと簡単にですが、日本版バカロレアのカリキュラムができました。ではどんな問題が出されるのでしょうか。

フランスのバカロレアの試験問題はこんなものでした。

「労働によって人は何を得るか」
「信仰はすべて理性に反するか」
「国家がなければ、われわれはより自由になるか」
「われわれには真理を求める義務があるか」

こう眺めてみると、問題はそのままでいいかもしれません。しかしながら、答えの方向性は全然異なります。

たとえば、「労働」については、「稼ぎと勤め」という日本の概念を使いながら、安藤昌益二宮尊徳の労働観で論じるといいかもしれません。また、石田梅岩の「石門心学」に日本人の仁義を重んじるサラリーマン論を語ってもいいですね。

信仰」に関しては、とても西洋的ですが、一遍の「踊り念仏」法然の「専修念仏」の考え方、そして何より内村鑑三の「2つのJ」で語れると高得点が取れそうです。

国家」も難しいですね。たとえば、日本書紀の戦略から始まり、聖徳太子の「十七条の憲法」坂本龍馬の「船中八策」福沢諭吉の「文明論之概略」などを持ち出して、論じていけば良いかもしれません。また、「」の視点を入れて、天皇と幕府の間にある国家のあり方を論じてもいいですね。

「真理」はとても西洋的なので難しいですが、空海の「真言密教」や三浦梅園の「一即一一」、本居宣長の「やまとごころ」と「からごころ」で真理を探究しても面白いかもしれません。


以上、前後編に分けて、日本版バカロレアの試験について考えてきました。フランスのバカロレアのカリキュラムが万能なわけではありませんが、日本版を作ってみると、見えてくるものがたくさんあったかもしれません。

むしろ、最後の「問題」を日本の歴史と思想の視点で見てみると、その独自性がとてもよく表れます。そのための手すりとして、概念/著作者/指標があるととても学びやすいと感じました。

なんとなく日本や歴史について学ぶよりも、「労働ってなんだろう」「信仰ってなんだろう」という難問を考えるために、日本の思想や歴史がとても役立つという風になることが、これからの学びには重要かもしれません。探究的な学習が増えてくる中で、「歴史探究」という科目ができるようですが、そこにこの「日本版バカロレア」の一端でも入るといいなと思うばかりです。

長文をお読みくださり、ありがとうございました!





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