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インターネットはもう一度つくれるのか? ―レディプレイヤー1とGDPR

 映画「レディプレイヤー1」が大人気だ。内容に賛否はあるようだが、VR世界をIMAXで体験することに関しては、とてつもない映像世界を体感できる。

 あらすじはこうだ。
 2045年、環境汚染や気候変動、政治の機能不全により世界は荒廃していた。その為スラム街で暮らさざるを得ない状況に陥った地球上の人類の多くは「OASIS」と呼ばれる仮想現実の世界に現実逃避し入り浸っていた。
 このOASISは、天才エンジニアのジェームズ・ハリデーが生み出し、世界規模のVR世界として拡大していた。そのハリデーは死の間際、遺言をのこす。OASIS内に隠された3つの鍵を手にした者には、OASISの所有権と5000億ドル相当のハリデーの遺産が授与されるというものである。
 ONE PIECEでいうところの「財宝か?欲しけりゃくれてやる…この世の全てをそこに置いてきた」構造である。
 その遺産=「イースターエッグ」を探すエッグ・ハンター、通称ガンターたちは日々3つの鍵を手にする為の関門となるゲームに挑んでいた。
 そんななか、オハイオ州のスラムに住む若者ウェイド・ワッツも勝者となるべく日々奮闘していたが、ゲームにはOASISを欲する世界2位の大企業IOI社社長ノーラン・ソレントが送りこんだ参加者もいる。果たしてウェイドはすべての鍵を手に入れられるのか・・・というものである。

 この作品には数多くのポップカルチャーキャラが登場する。その考察はいろんなところでされているので割愛するが、日本のサブカルファンにとってはテンション上がらざるをえない場面が怒涛のようにやってくる。

ハリデーはどんな世界を望んだのか?

 さて、ここで注目したいのは、ハリデーはどんな世界を望んだのか、というものだ。昔からファミコンのようなゲームが大好きで、みんなに夢を見てほしかったエンジニア・ハリデー。OASISが急成長するにつれて、「昔のOASISのほうが良かった」とつぶやく。しかし、ビジネスパートナーのオグデン・モローは「もうそんな時代じゃない」と否定する。OASISはゲームのためのものを超えて、社会の根幹を成すほどに進化してしまったのだ。まるで、ジョブズとジョン・スカリーのように、二人が見ている世界は違ったのだ。

 しかし、ハリデーはそんなことを受け入れられなかった。だから、この遺産ゲームを始めたのだ。ゲームを心底楽しむ人にしか解けないような3つの難題が主人公の前に立ちふさがる。金のため、名声のためではなく、ゲームを楽しんだ者だけが鍵を手にできる。3つの鍵の解決法にはハリデーの思想が見え隠れするのだ。

 一部ネタバレだが、前に進むのではなく後ろに進んでもいい、ということや、ゲームを達成することではなく、イースターエッグを見つけること、そして、OASISの所有者のためのサインをすることではなく、この世界を楽しんでくれること。ハリデーの難問は彼のOASISへの思いの裏返しなのだ。

VR世界はどんな思想で設計すべきなのか?

 そんなレディプレイヤー1の世界はIMAX3Dで見ると、これほど興奮し、ハマってしまう世界は無い。そして、いまやVRの世界はすぐそばまでやってきている。PSVRでもVRシアターやOculus Liftなど、すぐにでも始められる。

 ぼく自身、最近購入したOculus Goに毎日ログインして、映画を見たり、ゲームをしたり、友達としゃべったりして、VRにどっぷり浸かっている。いまはまだVR黎明期だから、エンジニアたちの無邪気な発想で、どんどん世界が築き上げられている。しかし、ハリデーのような天才が現れ、攻殻機動隊のような世界、サマーウォーズのような世界、レディプレイヤー1の世界をつくる人がいつ現れてもおかしくない。

 そんなときに、VR世界はどんな世界観と思想で作られるのだろうか? ゲームを楽しめればそれでいいのだろうか。お金儲けやエロが蔓延するものになっていいのだろうか。出来上がってしまってからでは遅いのかもしれないのだ。いま、VRの世界について、人間とバーチャルの関係について、そして、私たちの世界観について考える必要があるような気がしてならない。

 という前置きをして、本題に入りたい。

「自由」の名のもとにあるインターネット

 少し時代を戻れば、インターネットは「自由」の名のもとに、ここまで広がってきた。それはヒッピーカルチャーや西海岸文化とともに、フリーが正義としてここまでやってきた。タダでたくさんのものを享受でき、タダでいろんなコンテンツにアクセスできる。ニュースもタダ、映像もタダ、マンガもタダ、音楽もタダ・・・自由思想は隅々まで浸透している。

 では、ユーザーはなんの対価も払っていないのだろうか? 月額制や課金でお金を払っていることもあるが、実は多くの場合はわたしたちの「個人情報」が対価として支払われている。個人の属性や趣味趣向に合わせた広告で溢れているのはそのせいだ。

 その個人情報を牛耳っているのが、いわゆるGAFAとよばれる、Google、Amazon、Facebook、Appleである。(ちなみに、Appleは今年4月、個人情報でビジネスしないことを宣言し、GAFA離脱を図っている。)この特に3社のGAFは、大量の個人情報によって広告モデルや物販モデルで商売をし、世界を牛耳っている。とはいえ、とてつもない恩恵も受けているので、なんとか仕方ないのかな、と思ってしまうのが正直なところである。

 しかしながら、実やヨーロッパを中心に、このGAFへの糾弾が始まっている。それは同時にインターネットをやり直すレベルまで来ているのだ。それが今回の本題である。

ヨーロッパでプライバシー保護革命が起こる

 このことは、メディア美学者の武邑光弘氏が最新著『さよなら、インターネット』で詳しく書いている。その記事を参考にしたい。

 2018年1月に開催されたダボス会議。そこには、一種異様な空気があったという。あの米国の著名投資家ジョージ・ソロスが、フェイスブックとグーグルを断罪したというのだ。
 2018年1月25日、スイスのダボス会議(世界経済フォーラム)で講演した米国の投資家ジョージ・ソロスは、両社(編集部注:フェイスブックとグーグル)を世界の「革新の障害」であり、人々の社交環境を悪用する凶悪な企業と語り、「人々の注意を商業目的に向けて操作し、彼らが提供するサービスは意図的に中毒状態をつくることでユーザーを欺いている」と断罪、「インターネット巨人が存続できる時間は限られている」と示唆した。(『さよなら、インターネット』第5章より)
 背景にあるのは、世界中に吹き荒れる「反フェイスブック」のトレンドである。フェイクニュースの拡散の問題だけでなく、ロシアの関与が疑われている英国データ分析会社「ケンブリッジ・アナリティカ」が、2016年の米大統領選挙中にフェイスブックを経由して8700万人の個人データを不正に入手していたことに、いよいよ不満・不安が噴出した格好だ。
さよならインターネット、さよなら未来。――GDPRでネットとデータはどう変わるのか? ダイヤモンド・オンラインより

 こんな事件がダボス会議では起きていたのだ。こんな流れの中、EUは大きな選択をする。それが「一般データ保護規則(GDPR)」の施行である。

 このGDPRは、EU議会加盟28か国の承認を得て、2016年5月24日に発効、巨額な制裁金と行政罰を伴う適用は2018年5月25日から。つい先日から始まったものなのだ。対象とする「個人データ」を広範に定義しているため、GAFを含むIT企業やヨーロッパ市民に関する個人情報を扱うすべての企業に適用される。

 特徴としては、「忘れられる権利」や「データポータビリティ」を保証するもので、それを犯す企業には2000万ユーロなどの制裁金が課されるという強力なものなのだ。これでインターネットの世界地図は変わるのだろうか。

フリー vs. プライバシー

 先程も言ったように、しかしながら、GoogleやFacebookの恩恵を受けてきた私たちにとって、データ保護はそれほど大事なのだろうか。もともと、インターネットは自由の名のもとに広がってきた。「インターネットの父」としても有名なヴィントン・サーフが生み出したTCP/IPという技術は、プロトコルによってネットワークが水平状につながり、インターネットの平等性・自由性を保証している。そのインターネットの自由性とTCP/IPについては、アレクサンダー・ギャロウェイ著『プロトコル』が詳しい。ちなみに、ヴィントン・サーフは現在Googleのチーフインターネットエバンジェリストを務めている。

 そんな自由を謳ってきたインターネット社会において、ある対立が起こっている。それが、「フリー vs. プライバシー」の問題だ。日本でも最近漫画村の事件などで重要視されているが、欧米ではさらに進んで議論されている。

 2013年に公開されたドキュメンタリー映画「Google and the World Brain」はそんな対立を描いたものだ。GoogleがちょうどGoogle Booksをローンチし、世界中の本をスキャンし始め、世界的な大問題になった頃のことだ。

 Googleは世界の本をスキャンし、著作権を完全に無視した。1000万冊の本をスキャンし、そのうち600万冊はコピーライトブックスだったのである。そんな暴挙が許されるのか、大きな波紋を生んだ。この映画の中では賛成派、反対派が意見を繰り広げる。

 たとえば、VRという言葉を生み出したジャロン・ラニアーはGoogleを強く糾弾する。Wikipediaさえ、これは「デジタル・マオイズム」(デジタル共産主義)とまで言う。それほど、著作権やプライバシーを重要視している。さらには、「ソーシャルネットワークのアカウントをいますぐ削除すべき」と断言する。彼はいま、EUのGDPRの倫理委員会に招聘されている。

 一方で、Wiredの創刊編集長ケヴィン・ケリーは賛成派だ。どんどんフリーになることを奨励する。「いやなら山にこもればいい、電源をOFFにすればいい」とまで言う。これは実は大きな皮肉だ。ケヴィン・ケリーはかつて、ヒッピームーブメントのなか、アメリカのエスタブリッシュメントから「山にこもればいい」と言われながらも、ポップカルチャーやテックカルチャーを推進してきた人物なのに、自分がそんなことを言う側になってしまったのだ。

 GoogleやFacebookやAmazonは個人データを活用した広告錬金術によってここまで成長してきた。つまり、「プライヴァシーの死」がターゲット広告という奇跡を生み出してきたのである。

レイ・カーツワイルの陰謀

 しかし、GoogleBooksは単にコンテンツをフリーで解放するためのものではなかった。多くのテキストデータを人工知能に食わせるための「エサ」だったのである。Googleは個人データを活用した広告錬金術で巨万の富を築いてきた。それを進めるためには、ビッグデータを解析するための人工知能が必要だ。そのため、GoogleBooksプロジェクトによって、本のデータを人工知能の栄養として、成長させていったのである。

 人工知能が人間の知性を超えると言われているシンギュラリティを提唱したレイ・カーツワイルは、現在GoogleのAIを統括しているが、彼はなんとGoogleBooksプロジェクトのための「全自動スキャナーの開発者」でもあったのだ。Googleはそれほど用意周到にここまで個人データビジネスを進めてきたのである。
 これがデータをお金に変える、「データ資本主義」の幕開けだったのである。

監視社会「シュタージ2.0」から逃げよ

 さて、それではなぜヨーロッパはこれほど、プライバシーを守ろうとするのか。特にドイツを中心にこの動きは激しさを増している。GDPRの起草やEU議会での議論に多くにベルリンの人々が参画していたことは偶然ではないという。とりわけ旧東ベルリン出身の議員は、かつてシュタージ(旧東独秘密警察)の日常的監視を記憶していた。彼らは、個人データやプライヴァシーがインターネットを介して蒐集される社会を「シュタージ2.0」として認識し、その恐怖を実体験として語ることのできる人々だったのである。

 そのため、東西ドイツ時代に、東ドイツから西ドイツへ脱出を試みた多くの人々が射殺された場所(Death Strip)が、ベルリンのスタートアップにとってのシンボルとして現在も重要視されている。

 共産主義というイデオロギーからの防壁だった「ベルリンの壁」から30年、GDPRは「デジタルの壁」として、いまGoogleやFacebookからの大きな防壁になろうとしているのだ。

ヨーロッパ、神からの脱出① ルター

 このような考え方が生まれる土壌として、武邑氏はそこに、ヨーロッパにおける長大な歴史的精神を読み取る。

 ひとつは、いまからおよそ500年前のルターの「95カ条の論題」である。1517年10月31日、ドイツ・ザクセン=アンハルト州の都市ヴィッテンベルクの教会の扉に、宗教改革の先導者となったマルティン・ルターが「95カ条の論題」を掲示した。ルターは、免罪符を購入すれば救われるなどと、聖書には一言も書かれてはいないことを当時の人々に告示することで、教会の「堕落」を告発した。宗教改革の原点となったその日から500年経った2017年10月31日、ドイツ全土で「改革記念日」という祝日が設定された。

 これを受けて、「わたしたちはデジタル技術を崇拝するテクノポリー(technopoly=技術への文化的降伏)教会のメンバーである」と語りかけるのは、マルティン・ルターによる宗教改革の原点となった「95カ条の論題」の現代版を提起している英国オープン大学教授のジョン・ノートンである。彼は現代のデジタル技術への妄信とプラットフォーム独占を、ルター時代の宗教と教会になぞらえる。「わたしたちの大部分は、この新しいパワーへの服従に満足している」と、皮肉を込めて問いかけ、2017年10月31日、デジタル社会改革を目指す「技術に関する95の論題」を公開した。神を盲信することからの脱却を図らなければならないのだ。いまの神は、GoogleやFacebookやスマホそのものなのである。

 インターネットの初期の夢であった「誰もが平等につながる自由」は、ルターの描いた「万人の神権」と同じく幻想だったのだろうか。

ヨーロッパ、神からの脱出② ルクレティウス

 ふたつめのエポックは、ルネサンスである。ルネサンスを代表する有名なボッティチェリの絵画「プリマヴェーラ」にはルクレティウスの詩篇の影響が見られる。ルクレティウスは、ギリシア・ヘレニズム期の哲学者エピクロスの「原子論」を詩篇に翻案した人物である。

 エピクロスは「世界は原子で構成されており、一神教が信仰する死後の天国も地獄も、天罰の恐怖などない」と説き、何事にも煩わされない自由(アタラクシア)を「快」とし、唯一の神が人間に恐怖を与え人々を支配するという妄信を否定した。このエピクロスの思想を翻案し、「組織化された宗教はすべて迷信的な妄想」であることを説いたのがルクレティウスである。つまり中世の神が支配する煉獄から「人間である」ことへの自由な革命(自由意思による逸脱)につながったとされている。

EUの逆襲

 2017年5月、欧州委員会はWhatsAppの買収について、「誤解を招く間違った情報を意図的に提供した」として、フェイスブックに1億1,000万ユーロ(約146億円)の罰金刑を命じた。そして、6月には、検索の独占権を乱用したとしてグーグルに24億ユーロ(約3,194億円)という巨額の罰金を課した。

 さらに2017年11月30日、英国の消費者団体がグーグルを訴えた。グーグルが11年6月〜12年2月に、iPhoneのプライヴァシー設定をバイパスして不法に540万人の個人データを蒐集していたとして、英国で大規模な集団訴訟がはじまった。訴訟を起こしたGoogle You Owe Usと呼ばれるグループは、この期間にiPhoneを使っていた英国の約540万人は、補償を受ける権利があると主張している。この訴訟が成功すれば、各個人に500ポンド(約76,000円)が返金される見込みで、540万人分とすれば27億ポンド(約4,099億円)という額となる。

 このようなGDPRの経済制裁やメディアによる告発を受け、シリコンヴァレーの巨人たちは、現状の痛みを将来の強さに変えていく。デジタル社会改革の真の切り札は、やはり世界最大のEUの立法権限である。

 そのEUの一手は、個人データの「コモンズ」への移行を探求する道である。例えば、個人データを管理運用するエンティティとして、すべての市民が共同所有するナショナルデータファンド(データ信託)、またはEUの場合、汎欧州データファンドといった「データコモンズ」を基盤に置く、国家単位の公共事業が設置される可能性である。すでに中国では独自のデータエコシステムを機能させつつある。

 実際、GDPRの罰金が大きな額でも、IT巨人の生死にかかわる金額ではない。GDPRの罰則金の設定は、広く世界に向けたEUのメッセージだ。IT巨人の生死に関わる問題こそ、彼らの自然独占を公共化することなのだ。これを世界最大の立法権限が実行できれば、それがEUのもつ切り札となる。

 GDPRを発効したEUの将来のアプローチはこうだ。シリコンヴァレーの大企業に、彼らがAI(人工知能)そのものになる前に、できるだけ多くのデータを蒐集させ、競争法や独占禁止法を盾にデータ資本の公共財化を推進することだ。21世紀のデジタル社会改革の鍵を握る重要な原資が、プラットフォーム独占企業によって所有され、データ封建主義を加速させるなら、最後の砦は蒐集された個人データの「所有権」変更にある。

 いま、500年前のルネサンスと宗教改革に匹敵する社会的変動が、ここ欧州から胎動しはじめている。

個人情報と意思決定の問題

 こうしたIT巨人への批判が沸騰するなか、彼らに個人データを渡してきたユーザー側でも内省がはじまっている。ユーザーが自らの個人データを管理し、経済的な利益を実現するための個人データ交換(PDE)や個人情報管理システム(PIMS)には、プライヴァシーを尊重する新しいテクノロジーインフラの構築が必要とされる。今日、多くのプラットフォームはユーザーの行動追跡アルゴリズムによって、個人データから莫大な経済価値を引き出す方法を成熟させ、ユーザー監視を続けている。

 誰が自殺しているかを予測するフェイスブックのアルゴリズムなど、アルゴリズムの決定の背後にあるデータを検証する権利も定まっていない。ヒトの顔の分析に基づいて、誰がゲイであるかを予測するプロジェクトの可否を誰が決めるのか? 高価な医療オプションやフェイクニュースを推奨する企業が、アルゴリズムにバイアスをかけ、手作業で整形するのを防ぐ手段はあるのか? 運転手のいないクルマや医師が不在の医療機関でも、AIが事故を起こしたときに誰が責任を負うのか?

 これはいまのアメフト問題と同等だと、武邑氏は言う。加害者学生は「自分の意志でやった」といい、監督・コーチは「自分たちは指示していない」と言う。AIがバイアスをかけたりすることを、人間は「指示」しなくとも、AIは最適化の果てに自分でそう判断するようになる。そうなったときに、責任はどこにあるのだろうか?

 GDPRは、自動化された意思決定に関し、データ主体が「AI論理に関連する有意義な情報、および計算処理により予測されるデータ主題の想定される結果」にアクセスする権利を有することを約束している。

ヨーロッパが目指すDECODE

 DECODE(分散型市民所有データエコシステム)は、個人データをシリコンヴァレーのIT巨人から取り戻し、データ主権を個人にもたらすための欧州委員会のプロジェクトである。このイニシアチヴは2017年にスタートし、Horizon 2020プログラムの一環として、14のコンソーシアムメンバーに500万ユーロ(約6億円)の資金が提供される。今後3年間、革新的なアイデアを育て、公平な競争力の基盤となるインターネット環境を再創造するために、将来使用可能な新技術を開発、標準化に向けての実証実験を目指している。

 DECODEは、人々のプライヴァシーを保護し、個人にデータの所有権を与えることを約束する。それはどのような目的のためにデータを使用するのかを、個人が制御する新しいテクノロジーを生み出す。これによりDECODEは新しいデジタル経済エコシステムをつくり出し、特にデータの保管と共有のための民主的モデルの実現をめざしている。これらの新技術は、アムステルダムとバルセロナで実証実験され、政府は企業や市民の個人データのニーズを展望するための具体的な指針を入手する。

 このプロジェクトは、「Me, my data and I:個人データ経済の未来」と題された主要な報告に由来する。フェイスブックやグーグルのようなIT巨人が採掘し所有してきた個人データ基盤や、それにともなう資源略奪主義や監視資本主義の問題点を説明するだけでなく、そこには変革に向けた具体的な未来が描かれている。

「2035年には、大多数の人々が独自の個人情報ポータルをもつだろう。それらは事実上、自宅に置かれている小さなサーヴァー、または自分の個人情報をすべて格納している安全な場所だ。これによりこのデータの使用方法を自ら制御できるのだ」

インターネットをリセットする

 DECODEは単なる楽観的なヴィジョンではない。最近の大規模なデータ漏洩やフェイスブックが米国の選挙中にロシアのトロールファームに広告を売るなど、非常に疑わしいビジネス取引に個人情報が使用されているという認識が高まるなかで、企業そのものの社会的価値を保護する使命も強調している。

 DECODEプロジェクトは、インターネット経済の原資である個人データを、ユーザーの自己主権と企業の公正利用の両立という観点で捉えている。GDPRの発効により、世界一厳しい個人データやプライヴァシー保護の環境が整うことはデジタル経済の重荷や足かせではない。GDPRが目指すインターネット第二幕とは、J.P.バーロウの「サイバースペース独立宣言」に先立つ1995年段階にインターネットをリセットすることだ。

「産業世界を支配する政府たちよ、お前たちは肉と鋼鉄でできた脆弱な巨人に過ぎない。わたしは新しい精神の住処であるサイバースペースの住人だ。未来のためにお前たち過去の人間に要求する。われわれに介入するな。お前たちは歓迎されていない。われわれにお前たちの権威など通用しないのだ。」
ジョン・ペリー・バーロウ「サイバースペース独立宣言」(1996年)

 バーロウが希求したサイバースペースの背後にあったアイデアは、1980年代以降のサンフランシスコを中心とした「魂の場所」で編成され、文化的ボヘミアンとシリコンヴァレーのドットコム新自由主義との融合を表現する「精神の自由」だった。

 それはのちに「カリフォルニアンイデオロギー」と揶揄され、カウンターカルチャーやサイケデリック、ジェファーソン主義や核戦争へのトラウマ、ヒッピーからデジタルアルチザン、そしてヤッピー文化までを混成するハイパー仮想空間の集団的ヴィジョンとなった。バーロウはこのサイバースペースの「先住民」として際立つ存在だった。

 しかし、バーロウが宣言したサイバースペースの先住性は、予めさまざまな巨人に侵略される運命を抱えていた。事実この20年で、バーロウの夢想したサイバースペースは、当初の理想とは真逆な世界を形成してきた。

 ウェブ空間とは、一貫した全体性や秩序をもっていない。それは膨大なファイルの集積であり、ハイパーリンクで接続され連関づけられてはいても、それらを一望に監視するような近代的なパノプティコン(一望監視施設)、あるいはそれに相当する観点は原理的には存在しないと考えられてきた。これがウェブデモクラシーを支え、インターネットの中立性の基盤だった。

しかし、ウェブの本質は「ナヴィゲーション(航行)」と「入植」のメタファーであり、アメリカの西部開拓のごとく、無秩序から統治のシステムに向かうと指摘したのは、『ニューメディアの言語』などの著作で知られるメディア理論家のレフ・マノヴィッチだった。かれはウェブ空間を「新たな西部」と呼び、グーグルやアマゾンのような一部の巨大企業がほかの国家や企業に対して強力な権力を発揮するという「支配/従属」のモデルとみなし、それこそ西部開拓における「白人/先住民」モデルの再現前だと指摘した。

 確かにインターネットは権力の集中化と制御のための空間となってきた。「肉と鋼鉄でできた巨人」も世代交代し、スノーデン告発によって明らかになったように、サイバースペースが国家や企業によって制御・支配される運命をバーロウは先取してきた。だからこそ、バーロウが描いたサイバースペース独立宣言には、征服者に対峙する先住民族の怨念までが反映されていたのかもしれない。

 インターネットの創成期、その後のシリコンヴァレーの新興企業の革命家たちに、グレイトフル・デッドの「フリー&シェア」の経済原理を教え、やがてインターネットが新たな「肉と鋼鉄の巨人」を生み出してしまうパラドクスを全身で受けとめてきたバーロウ。彼のめざしたサイバースペースは、次世代のインターネット精神にどう受け継がれるのか?

GDPRは、ある若者がつくった

 武邑氏は、このようなGoogle、Facebookの暴挙に対するGDPRをひとりの若者がつくったことを強調する。それは、35歳のヤン・フィリップ・アルブレヒトである。フンボルト大学で法律と情報通信を学び、緑の党から政治家になり、データ監視と民主主義を専門としていた彼は、GDPRの起草委員長にまでなったのだ。

 2016年の発行から2018年の施行まで、この3年間はアルブレヒトの手腕によるものという。そのプロセスは「Democracy Im Rausch der Daten」としてドキュメンタリー映画化されている。

AIに人権を!

 そして、武邑氏による、GDPRには次のフェーズがあるという。それは、AIに人権を授けるものだという。

  人工知能学者・松尾豊氏による「AIに意識が発生するは時間の問題だ」という。イーロン・マスクも同様のことを警告している。であれば、意識が発生する前に、AIの人権についてちゃんと議論したほうがいいだろう、というのがGDPRの姿勢なのである。

 それは、先ほどのアメフト問題と同様である。AIを搭載したロボットを各個人が保有した場合、そのロボットの「判断」や「意志」は誰のものなのか?所有者の責任になるのか?それともロボット自身のものなのか?

 そこで、GDPRはデジタル人権の付与=ePersonalityというものを条文に記載しているという。それに対して多くの研究者は反発している。なぜなら、自分が作ったロボットは自分がコントロールしたいから、人権など付与したくないからである。

 しかし、これを認めないと、意識を持ったロボットと人間が対等にやっていくすべはない、と武邑氏は強調する。人権を生み出したヨーロッパの土地から、ロボットへの人権付与の議論が出てくるのは必然なのか。人権憲章からロボット憲章へ。世界は大きく動こうとしている。

NEXT GENERATION INTERNETへ

 武邑氏によると、これからは「HUMAN INTERNET」の時代へと進んでいく。95年以降のインターネットを内省しつつ、次のインターネットを目指す。世界のデータセンターの電力消費量を勘案し、GREENでHUMANなものを目指すことになるようだ。WWWをつくった張本人であるCERNなども参加予定という。

 一方、中国は簡体字でプログラミングする「China OS」を開発し、シリコンバレーとは別の進化を続けているという。FacebookやTwitterをシャットアウトしていたことが、ここにきて効いてきている。中国のこれからの動向は見逃せない。

人間とAIが共存する世界観のために

 ここまで、プライバシーとフリーの対立をもとに、EUのGDPRの動向をみてきた。インターネットは自由を夢見てきた。
 インターネットの代名詞となったワールド・ワイド・ウェブの発明者であるティム・バーナーズ=リーは、「インターネットシステムは破綻している」と述べた。さらに彼は、インターネットの「創造」が一部のプラットフォーム企業によって 「武器化されている」と懸念している。なんで、こんなことになってしまったのか。

 ルターが神から人を解放し、万人神官を掲げ、宗教改革を起こしたのは正義だった。しかし、そのことで、プロテスタンティズムの精神は、強大な資本主義を生み出し、さらには、ルターの思想はナチスにも影響を与えたとも言われる。ルターの評価は時代ごとに大きくうねる。

 同様に、インターネットの自由の精神も正にも負にも振れる。人間は自由になりなたかっただけなのに、いままで考えてもなかった「プライバシー」というものを生み出し、保護かシェアかを迫られている。

 「レディプレイヤー1」内のVR世界OASISの創設者ハリデーは、「I'm a dreamer」と言った。現実から逃れて、夢を見たかっただけなのだ。しかし、それは巨大企業IOIの金のなる木として狙われた。始まりはいつの時代も無邪気なのかもしれない。誰かとつながりたかっただけのインターネットが、ここまで世界の大問題になったように、VRだって、これからどうなるかわからない。

 そこには、いつも「思想」や「世界観」がある。最初はささいな気持ちや想いだけだったかもしれないが、どんどんその思想は肥大化し、人々を飲み込んでいく。

 武邑氏は、西洋のアルファベット思想、東洋の表意文字思想、そして、AIのバイナリー思想の三つ巴になる、と予言する。それらは、なかなか相容れない。文明の対立でハンチントンが言ってしまったように、理解し合うことは難しい。ましてや、バイナリーな言語を扱うAIと人間はわかりあえるのだろうか。人間とAIが共存できる世界観こそが、これから求められるのかもしれない。

▽参考記事&書籍


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