毒親の母とボク、お受験

画像1 母は、幼いボクに言った。しんちゃん、お友達が、たくさんいる楽しい所に、行きましょと。何も知らないボクは、遊びに行くんだと、母の言葉を、信じていた。でも、そこは楽しい場所では、なかった。確かに、マット運動をさせられたり、楽しそうな所も、あったけど、ほとんどが、先生と言われたお姉さんと、積み木集めや、知能テストのような物を時間内に、終わらせるゲームが、多かった。子供ながらに、イヤでしょうが、なかった。ゲームが、上手く出来ると、母は、嬉しそうで、たまに、大好きだつたミニカーを帰りに、買ってくれたりした。
画像2 今で言う、お受験の為の勉強だった。苦手だった所、例えば、断面図の問題だったら、ジャガイモを切って、立体化して、分かりやすくしてました。行くのを嫌がると、こう言いました。しんちゃん、苦しい道と楽の道、お母さんの子だったら、どっちを選ぶの?と。幼いながら、母の表情を見ながら、苦しい道と、答えてた、ボク。あの頃から、相手の表情が、明るくなる事ばかりいうクセが、ついてしまっていました。そこでも、ハヤトくんと言う、全て満点の子がいて、自分は、ダメだと責めていました。母は、ボクに、学芸大学の附属を受けさせました。
画像3 試験に合格したものの、抽選で、落ちてしまいました。母は、通っていた、東京子供英才教育センターに、小学校に入ってからも、通わせました。センターでは、難しい計算、難しい漢字をやらされてました。母は、このころから、先取り学習をさせてました。文武両道の為か、スイミングもしてましたね。そろばん、英会話、習字、ピアノ。習い事を、母は、増やして行きました。辞めることは、出来ず、辛かったです。楽しかったのは、サッカー教室くらいでしたね。母にとっては、中学受験の準備だった。ボクには、苦行でしかなかった。4年生までそうだっ
画像4 た。

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