毒親の母とボクの歴史

画像1 母は、若い頃、丸の内の日興証券の健康管理室で、働くOLだった。その当時、お世話になったお医者さんが、東大出身だったらしく、ボクに、何度も東大が、いかに素晴らしいかを、繰り返し語った。母には、カッコよく見えたらしく、スキーに行ったとか、ボクの知らない母の話しを、嫌程聞かされた。母は、東大に、興味を持って欲しかったらしいけど、ボクには、逆効果でしたね。東大だけは、無いと言うか、入れるだけの学力も無いのに、母は、自分の学歴コンプレックスを、息子を東大に入れることで、満たそうとしただけで、罪は重かった。
画像2 女教師が、言う様に、早稲田に行きたかった。でも、母は、帝大にこだわり、私大なんて、二流の、一点張りだった。母には、叔父さんの存在があったと思う。母の弟は、幼い頃から、神童だった。高校から、教駒、今の筑波大学附属駒場高校に、入った。これだけで、分かるだろう。ボクにとっては、憧れであり、母にとっては、理想の息子像だった。でも、叔父と、比べられても、ボクの自信が無くなるだけだった。分かるだろうか、勉強しても、埋まらない絶対的な、能力の差を。ボクは、母に認めてもらう為に、勉強し続けるしかなかったのだ。
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