毒親の母とボク、黒歴史

画像1 思えば、母の母、つまり、母方の祖母も、教育熱心だったと言う。長野県の女大学出身で、当時にしては、かなり裕福な家だった。母方は、長野でも、本家だったので、母は、長女として、大事に育てられた。幼い頃から、病弱だったと聞いている。何度も生死の境を、彷徨った母は、スピリチュアルなものに、関心を持つ様になり、度々、心霊特集のテレビを、息子のボクに見せて、霊の存在を信じさせようとした。月刊ムーも、気に入っていたけど、怪しげだった。その影響なのか、ボクは、オカルトが、大好きになり、友人から、オカルト好きと、言われた。
画像2 母が、好きな事、即ちボクも好きな事だった。犬は好きだけど、猫は、大嫌いだったから、動物好きなボクには辛かった。辛かったのは、やはり、叔父と比較される事だった。叔父は、筑駒から、東工大に進み、さらには、国家一種、キャリア官僚の試験に、一発合格し、通産省に、進んだ。母は、この成功体験から、ボクには、国家資格を求めた。しかも、難関の、司法試験だとか、だった。国公立の大学に入ったボクは、所謂ダブルスクール生活を、送らざるを得なかった。それが、ボクの資格かじりの、始まりだった。アルバイト一つ出来なかったボクだつた
画像3 大学生のボクは、母のロボットとして、大学の単位を取りながら、資格試験の勉強もしなければならないので、バイトも出来なかった。バイトも、母が、決めた。母の決めたバイトは、銀座のカフェだったり、やはりステータス重視だった。バイトの面接は、落ちまくった。母は、お金の心配より、勉強しなさいと言った。勉強しているボクを見て、機嫌が良くなる母との生活が、ボクの大学生活だった。母との、共依存の始まりで、母が、亡くなるまで、変わらなかった。母は、お前は、お母さんの一部なんだから、どうしようが、自由だとよく言っていた。
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