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〇〇のために〜

いつからか大好きな料理がやりたくないことの一つになった

もともと趣味のようなもので、作ること自体嫌いになることはないだろうと思っていたのだが

時間の使い方、メンタルの向け方、思い入れ…

何だか土いじりを商売にしたときと同じような流れになっていることに氣がついた

なんのためにやっているの?
なにがしたいの?

カウンセリングでよく使われるワードであるのだろうが、こんな状態になっているとこの言葉がめっぽうよく心に刺さる

固く締まっている状態をほぐすには、やはり鋭利なもので穿るしかないのは心も体も環境も同じのようだ

・・・

動機って大事だ

“〇〇のために〜”

あなたのために、あなたの喜ぶ顔が見たいから、

はじめのうちはやる氣を起こすためのスパイスになってくれるだろう

やっているうちにそれは当たり前になってくる
そういうものになってくる

はじめは
やり始めたときは自分も楽しんでいた
満足していた

そこに立ち返ってみると

“自分はやっている
やってあげている”

そんな感情に支配されていたことに氣がついた

自分のために時間を使うことが出来ているか
分かれ目はそこ

氣がついたらあとは早い

どんなことでも向き合い方は変わらない

自分で啓発している内容なのにドツボにハマっている自分が何やら可愛らしく思えた

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