エピソード2:ICU

前回の続きです。
心室細動を起こして倒れてから3日後に意識を取り戻してからさらに1日。私の意識がかなり復帰したのは令和3年3月14日。
意識が復帰したといっても、かなりボーっとした状態だったと思います。
正直ちゃんと覚えているわけではないですが、ICUでの検査や治療、リハビリなどを出来る限り書いていきます。

食事
意識がない間は、鼻か首のに挿さったチューブから栄養補給されていたと思います。目を覚ましてから、まず水を飲む練習をしました。
その後最初に食べたのは確かゼリーだったと思います。一口サイズの給食で出るようなゼリーですね。これも食べる練習的な意味合いでの食事だったのでしょう。この時点では(多分)頭や体にどういった障害が残っているのか分からない状態だったので、少しづつ練習していたのだと思います。
次の食事は「嚥下ムース食」です。いわゆる介護食ですね。魚やお肉、野菜の形にかたどられたムースです。味もちゃんとそれに合わせてあります。魚型のムースは魚の味、野菜型のムースは野菜の味です。
これが・・・、まぁ、その・・・、思い出すだけでも鳥肌が立つくらい口に合わなかったです。一口飲みこむ度にプルプル震えていました。
嚥下ムース食は、2回位だったと思います。

嚥下ムース食で物を飲み込める事を確認してもらった次の食事は「お粥食」です。ごはんはお粥で、たしかおかずは普通の食事だったと思います。
嚥下ムース食で震えた時に比べれば、天国のような食事ですね。
お粥食を数回食べた後、「常食」と言われる普通の食事になりました。牛乳等も出てきました。

リハビリ
ICUにいる間、基本的にベッドの上でポケーっとしていたので、日付感覚や時間感覚をかなり失っていました。今何時なのか、入院してから何日経ったのか、今食べてるのは朝食なのか昼食なのか状態でした。
なので、リハビリが始まったのがいつなのか覚えておりません。
エコノミー症候群予防の為、ICUにいる間は常時脛あてのような機械を足に着けていました。定期的に足を圧迫したりしてくれる機械ですね。
運動リハビリの先生が来て機械を外し、酸素や尿道の管を点滴歩行台に設置してくれて、歩行訓練を行いました。最初は起立して数歩歩く程度でした。それでも太ももに乳酸がたまっていく感じで、結構疲れました。
リハビリの先生曰く、「筋弛緩剤使ってるから仕方ない」との事でした。ICUでの運動リハビリは、1日1回(多分)の歩行訓練でした。歩数を徐々に増やす感じでしたね。

そして運動リハビリとは別に頭のリハビリも始まりました。こちらもいつから始まったのかは正確には覚えておりません。紙に散りばめられた数字を順番に線で結んだり、動物や植物などの絵を種類毎に分けたりしました。

ICUにいる間は、ずっとベッド上だしスマホも手元に無かったのでリハビリは良い時間潰しになりました。

排泄
汚い話ですみません。一応ご参考までに。まず気付いたときには尿道カテーテルが挿入されており、紙オムツ?のようなものが穿かされておりました。意識が戻り、少ししてから看護師さんに「トイレに行きたい」とお願いしたら、「管入ってるのでそのままどうぞ~」と。
ICUにいる間トイレで用を足した記憶が無いので、尿道カテーテルが抜けたのは一般病棟に移る直前だったと思います。

洗髪
一度、看護師さんに髪を洗ってもらいました。ベッド上で。ちゃんとシャンプーを使って。未だにどういった技術でやってもらったのか分かりません。ベッドや服が濡れるといった事も無かったです。凄い。

検査・治療
ICUにいる間はこれといって検査を行った記憶は無いのですが、一度「CT」を撮ったと思います。
治療の方は、経過観察をしながら首に挿さってる管を抜いてもらったりしました。

一般病棟へ
経過観察を続け容態が安定してきたら次は一般病棟に移り、心室細動を起こした原因を調べる為、各種検査をしていくことになります。
私が一般病棟に移ったのは、搬送されてから9日後の令和3年3月19日の事でした。


ICUでの9日間
9日といっても私の意識がちゃんと戻ったのが4日後で、そこから徐々に意識がはっきりとしていったので、実質体感的には3日位の出来事でしたが、ICUにいる間は本当に24時間看護師さんが付きっきりで、採血や血圧・体温測定、食事の世話から着替え等を面倒見て頂きました。本当に大変で尊い職業だと思いました。
誠に勝手ながら、地球上の患者を代表して、全国の医療従事者の皆さまに御礼申し上げます。

次はエピソード3:心臓の検査を書きます。一般病棟に移ってから行った、MRIや心臓カテーテル検査等の体験を記すので、次回も宜しくお願い致します。

続き→【エピソード3:心臓の検査】

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