価値

恋人がいる。
音楽と美味しいものが好きな人だ。
良いバンドを見つければ私に教えてくれるし、美味しい食べ物があれば写真を撮って送ってくる。自分にストイックで周りに気を配れて心優しい人。
いや、心優しいとは少し違うかもしれない。彼は付き合う前からずっと自分のことを「周りに興味が無いんだ」と言っていた。
心優しいというよりも、私が今まで出会ったどんな男性よりも私のことを受け止めてくれているのかもしれない。

と言っても、そもそも私は男運が悪かった。
まだ23歳だけど今まで付き合った3、4人の恋人は全員少し難があり、歪な愛ばかりを受け取っていた。こんな被害者面のように書いているが、きっと向こうからしたら私もかなり難のある女だったのだろうけど。

今の彼と出会ったのは、私が前の恋人と別れて間もない時だ。恥ずかしい話だがSNSで知り合い仲良くなった。オレンジスパイニクラブというバンドのツイートのいいね欄を遡ったことをきっかけに、彼との交流が始まった。
前の恋人と別れて憔悴しきっていた頃、同時に元恋人が好きだったオレンジスパイニクラブに執着していた。元恋人が好きだったからではなく単純にオレンジスパイニクラブが好きで執着していたのだ。

元恋人とは音楽の趣味が同じだった。
一口に「音楽が好き」と言ってもこの世に存在する音楽なんて系統様々だし今やいろんな音楽が増えていて追いつけない。ましてや同じ系統の音楽だとしてもその中にも派閥がある。同じグループ、同じアーティストを好きだとしても好きな曲の系統が違ったりするからややこしい。
私と元恋人は同じようなバンドが好きだったし、同じようなバンドの中の同じ曲が好きだったから私にとっては唯一無二の存在だった。

そんな元恋人がいなくなって、私の手元に残ったのがオレンジスパイニクラブという最高のバンドのCD。元々上位何曲かは知っていたが深みに嵌めてくれたのはその人だった。
ちなみに、私は元恋人のことが信じられないほど好きだった。もう20を超えてるというのに運命を信じてやまないほどに好きだった。だから別れた時のショックは途方もなく、向こう2ヶ月は引きずっていた。

単純に執着ではなく、寂しさを音楽で埋めたかったのかもしれない。「今同じ曲を聴いているかな」と高校生の恋愛もどきのような感情に浸っていたのかもしれない。執着はオレンジスパイニクラブにか?寂しさからか?元恋人へか?もう覚えていない。
藁にもすがる思いだったのだろう。元恋人がTwitterにいるかもしれないという微かな思いを抱き、オレンジスパイニクラブの最新ツイートのいいね欄を開いて1番上にその人がいた。今の恋人だ。
同じ趣味の人がいれば元恋人への思いも和らぐかな~、なんて軽い気持ちでその人のことツイートをいいねしたのがきっかけだった。

音楽はその人の感性全てだと私は思う。いや、言い過ぎかもしれない。でもそう思う。これは作詞側じゃなくて聴き手もそうだ。だって音楽、しかもインディーズのバンドが好きな若い私らなんて、共感できる歌詞、ふとした時に頭を流れるメロディが「良い」の基準だ。音楽にただ今の思いを乗せて聞いている。センチメンタルな自分に酔い「この曲の作詞者は理解者だ」と本気で思い難しい顔をして聴いている。自分の現状と心境が歌詞と合致していればその音楽を簡単に好きになってしまうのだ。どの曲とは言わないが今の若者の間で不貞な曲が流行っている理由もこれだろう。これに関しては今の日本は大丈夫かと思ってしまうが、音楽が流行る理由は大体こんなものだ。

その時はオレンジスパイニクラブという曲がまだ「元恋人の曲」という認識だったから、早く塗り替えてほしいなんて思っていた。
好きな音楽は「自己表現」なんだ。

脱線したけど、音楽の話をしたかったわけではない。そうこうしてるうちに私は彼と知り合い、メッセージや電話のやり取りをして、ついに会い付き合った。

彼の好きなところは誠実なところだ。
私がどうでもいいメッセージを5件送ったとする。そうすると全てのメッセージ1つ1つを丁寧に返信し、かたや彼のメッセージは8件になる。
そういうところが好きだった。
付き合って何ヶ月も経つけど今でもそれは変わらないし毎日愛を伝えてくれる。本当に良い彼氏だ、なんの非の打ちどころもない。
彼氏が私に大好きと伝えてくれるように、私も彼氏のことが大好きで紛れもなく相思相愛なんだろう。こんな事を書くのは恥ずかしいけれど、このまま生涯一緒にいれれば良いと思ってる。愛とはこのことなんだと本気で思う。

愛がどうこう言ったけれど私は別に愛されない人生を送ってきた訳じゃない。両親は健在しているし兄弟も私の他に4人いる。高校と専門学校を卒業し今では医療職についている。裕福な訳では無いけど、いわゆるごく一般的な家庭で育って特に大きく不自由ない生活を送ってきたのだろう。兄弟姉妹とも仲が良いし今でも友達はいる。親友だっている。先述したように大好きな恋人もいる。過去に元恋人がいなかった訳でもない。
でも、恥ずかしい話だがこんな生活でも不自由と感じてた。

事の発端は姉だ。
私には1つ上の姉がいる。姉とは歳が近いから仲が良いし、大人になった今でも頻繁に連絡をとっている。でも、昔は姉のことがあんまり好きじゃなかった。なぜなら、姉は可愛いのだ。私は自分で言うのも悲しくなるけどあまり良い容姿をしていない。それは多分親から見てもそうで、父親に自覚はなかったのだろうけれど私と姉は昔から比較されていた。可愛くて要領の良い姉と、不細工で要領の悪い私でどちらが贔屓されるかは誰にだってわかる。このために私はずっと自己肯定感が低かった。そうして高校に上がり、あろうことか不細工を理由に虐められはじめた。姉が可愛いことを理由に贔屓されていたから「可愛いってすごいんだな」としか思っていなかった私も、高校で様々な人間から「ブス」「うわ顔見ちゃったよ」等言われれば流石に「自分はブスなんだ」「ブスだと人前に出てはいけないんだ」と嫌でも思うようになる。そうして引きこもり気味になり世の中の人が言うメンヘラがするような行動は大体していたと思う。専門学生になってからは全ての行動は終わったけど。

私は今でもマスクをしなければ外出できない。コロナ禍は多少の不便はあれどラッキー、と思っていた。高校の時に言われた言葉が今でも染み付いていて囚われている。これが自分の常識になっている。
悲しいかな、彼氏と目を合わせる時もマスクをしていないと落ち着かないし食事中も絶対に片手で顔を隠してしまう。
さらには、普段は精神状態も安定しているがたまに可愛い顔の人を見ると5分前まで元気だったのが急に鬱になり引きこもり始めることもある。これが理由で外に出れなくなり仕事を休んだこともある。アホなんじゃないかと思われるかもしれないが、これが本当にキツイのだ。一種の躁鬱なんじゃないかと思うほど。

優しく理解ある恋人がいて、両親がいて、仲の良い兄弟姉妹もいる。趣味もある。でも私は幸せじゃない。幸せと感じられない。いつまでも顔面に囚われてる。整形しても同じだろう。
誰がどう見ても幸せな人のプロフィールかもしれないが、ルッキズムに殺されている。何に関しても不細工だから幸せになっては行けないと思ってる。どんなに環境に恵まれていても大事なのは自分の心なんだと実感する。周囲に申し訳ないと思うほどに私は幸せじゃない。
幸せじゃない理由は顔が可愛くないからというのもあるかもしれないけど、要するに自分の価値がわかっていないんだ。

幸いなことに私はゲラだ。
もう1つ、幸いなことにここで書ききれないほど嫌な経験をたくさんしてきたからこそ少しのことで幸せと感じられてしまう。
一時の幸せならたくさんある。

その一時一時に縋って生きるしか今は無い。

note初投稿なのに重たいうえに文が纏まってなくて申し訳ない。

過去に囚われているみんなが幸せでいられますように。

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