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ふと備忘録

ふと思い出していたというか、

自分を確かめるために花を束ねていたなというか、

自分が束ねるものが他人にどう評価されるのか、束ねるものを通して自分が他者にどう評価されるのかをやってきたんだなと。

しかし結局他者からの評価を信じる事が出来ず、何度やっても命削ってやればやるほど、とても虚しく感じてしまって、ただ自分を削り続けることになっていったんだな、と。

なぜそうなっていたのかは、そもそもが自分で自分自身を認める事が出来ていないから、自分を否定し続けている状態では他者がどう自分を評価しようと自分の中に入ってくるわけがない。

そして他者はあくまでもとても流動的だから、そもそも他者にそれほどの事を求めてはいけない。自分本位な言い方をすれば、他者に期待をしてはいけない。

他者が自分を見ること、選ぶことは瞬間のことなわけで、そこに確信を求めてはいけない。

その様に思うまでとても時間がかかったけれど、そもそも自分を確かめる術、他者と繋がる術を持ったのがここ最近なのだから仕方がないね。

他者と繋がる術とは、少なくとも他者に必要としてもらえる分かりやすい術としての花なのだろう。


それは同時に自分のものであった花が、他者のものとなることでもある。

好きを、仕事(他者に向けて提供し対価を貰うこと)とするというのは、そういうことなのだろう。

自分のものじゃないから。

そしたら、もう距離を置いておく様になった。

いつかの幸せを望むなら、少なくとも他者を通して自分を見ようとする事を辞めないと。

自分を知ることを辞めないようにしないと。

自分を肯定することは出来なくても、少しずつ否定することを減らしていけるように。

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