少女の概念

大人になんかなりたくなかった。
と、子供の私が言っている。
大人になると責任が増える。大学でさえ、責任者になったら書類書かなきゃいけないし、何でもかんでも「リーダーなんだから」とやらなきゃいけないことが増える。もちろん、今思い返すといろんな人に助けてもらった。
それでもその時は、「ひとりでやらないといけないことだ」と思いこんでいた。
なんでだろうな、っていうと、やっぱり、舐められたくなかったからだと思う。男の人に。いつからそう思うようになったかはわからないけれど、概念的に「男」っていう、蓄積して生まれた怪物が私の中にいた。
いい人だっている。そういうひとは、「男」っていう怪物じゃなくて、ただの性別が男ってだけの、人間として好きな人たちだった。
女っていうことだけで、損も得も考えたことはなかった。私は創作と触れ合っているだけでよかった。それなのに大人になるにつれて、「結婚」とか「子供」とか「孫」とか、色んなことが言われるようになる。この言葉をかけられるのは、今に始まったことじゃない。女の子は昔からそうなるように呪いをかけられている。解ける人なんて本当に一握り。呪いではなく、願いだと思う人もいる。そう心の底から思えるなら幸せだと思う。
多くの人にとって願いであり、それが幸せな未来に通じることであると願いながら、残念ながら私は、私自身にそれを課せられるのは呪いだと思っている。
周りの視線なんかを気にして生きてきた私にはなおさら。そうならなければいけないという圧力、みたいなものを、感じていた。本当はそんなことないのかもしれないけれど。多分私がそう思いたいから思っているのだ、と、私を責めないと、この世はまるでおかしい。
私たちは全てを手に入れていい。その資格があるのに、そうしないのは、欲張りだと目立つからだ。目立つ勇気なんかない。だから選んで遠慮する。
少女って無敵だ。なんでも手に入るって思っていた。その「少女」の終わりはいつだったか、おぼえていない。まだ私の中に居座って、変わらないでよって叫んでる。そんな気もするし、そんな気がしたから、いま、この文を書いている。
黒歴史って言葉がある。変わりたいってもがいた、精一杯の叫びがそんな言葉で蓋をされてしまうのは悲しい。
大人になるということは、特別じゃなくなるということなのだろうか。
その他大勢のかけがえのない一人。
難しい概念だと思う。
特別な人になりたいって、まだ誰も彼も思っている。思っているのは寂しいからで、寂しさを埋めるのが他人だったら、その人から離れなれなくなる。そうなりたくなくて、だから私は誰かの埋めものになりたかった。
誰かのことを埋め続けたら、私はその人にとって特別なんだ。
そんなさみしい感情で親切なんかしたくない。
悲しくなる。
少女の私を分解したら、そんなエゴばかりだったろうと思う。
私ってただの、いいやつなんかじゃないって、誰かに話しておいて、そしていいやつなんだって思いたいんだ。思われたいんだ。
人間なんてみんなそうだ。さみしい生き物なんだ。男でも女でも。特別だって思いたいから、生きているんだ。いつ死ぬか、なんて話は、生きてみないとわからないんだ。
死んでみて初めて、特別なんかじゃないって、そんな呪いから解けるのだ。
死んでから、誰かの特別だったって、誰かに気づいてもらえる。そういう風に生きて、そういう思いのまま、ざまあみてくれ、って死ぬ。少女って概念は、そういう無常が、バッテリーみたいに備わってて、そんな反抗心がなくなってしまったら、きっともう私たちは健全で健康で、優しくて安心した世界を見つけたということなんだ。
そんな世界を願うから、私たちは、普通の幸せが、基準として置かれるんだろう。
そこに幸せがあるから。
お母さんたちも少女だったから、そうやって願うし呪うんじゃない。
そう思っているのだ。私の少女は。

#エッセイ

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