【紹介】やっぱり出家、憧れますね。(「ゆるす」)【ちびすけ】

ゆるす: 読むだけで心が晴れる仏教法話

ウ ジョーティカ (著), Sayadaw U Jotika (原著), 魚川 祐司 (翻訳)


仏教ものが続いてしまいますね。でも私の仏教好きは「なんでもかんでも話の最後に『諸行無常だしね!』でしめるのいい加減やめてください」って言われるくらい知人たちには知られてるから問題ないとおもってうりょ!

なにせ今日の話題は「ゆるす」ということですしね!みなさん寛大な心を持ってどうぞよろしくお願いします。

この本はウ・ジョーティカ氏の講演をつづった原著を魚川裕司さんことニー仏さんが日本語訳された本です。訳がとてもとても丁寧で、ニー仏さんは実際にウ・ジョーティカ氏と交流があるらしいですが、「ああ本当にこんな風に穏やかにお話されるんだろうなあ」というくらい、ウ・ジョーティカ氏の人柄が伝わってくるような訳文です。

ウ・ジョーティカ氏はミャンマーのテーラワーダ僧侶で、瞑想指導などをされている。ちなみに経歴はムスリム家庭に生まれ、ミッションスクールに通い、結婚して子供をもった後に出家されている。すごい。

今作でまとめられれている講演はアメリカでの瞑想センターでのお話。ただ内容は仏教的か?といわれたら、別に悟りがどうのとか縁起の法則がどうのとか、難しい話をしているわけではなくて、「この慌ただしい日常をどう過ごしていくか?」というような話です。

そしてそれはつまりは、マインドフルネスであれ、ということ。

結論から述べると、「ゆるす」とは、自分にとって許せない人やものもふくめ、自分自身もゆるす、ということだと。

怒りや不安や罪悪感にエネルギーを使うことは、とても効率的ではない、ということ。

ここら辺はぶっちゃけ二村ヒトシさんの本でも「まずは自分自身を認めること」アドラーの「自分をOKとすること」という話と同じだなと。なんなら三月のライオンのれいくんもようはそういうことだし少女ファイトの練もこういうことなんですよね。

面白かった点をいくつか。

1個目。「dosa(ドーサ)」の価値観。

神経質・怒り・憤怒・嫉妬・罪悪感・悲観的・絶望………さまざまな言葉あるけれど、ビルマ語ではそれは「dosa(ドーサ/瞋)」という一言だということ。

ここら辺は実感ができて、私は基本的に「負(ネガティブ)な感情」ってひとくくりに呼んでいたけれども、すごいしっくりくる。

実際、怒ったり悲しんだり憎んだりすることってめちゃくちゃエネルギーを使う。だからそれを発散させたら一種の「きもちよさ」があって、そのためにいっつも怒ってたりメンヘラ爆発させたりする人たちがいるんだろうなと。まあ私もそこら辺はすごくわかる。

でもそれはどうあれ、全く持って「健全」ではないし、決して満たされることのない欲、煩悩でしかない。

自分がどうなりたいか?ということを考えた時にそれに惑わされる自分でいいのか。

仏教の話の前提として、「苦」はないものではなくて、「ある」ものとしている。

だからゆるす、ということは、それを徹底的に見つめること。

もうなんならこれが仏教の一番きついところではないのではないだろうか。

よく「自己分析なんてものは血反吐はくほどやらなきゃなにも自己分析にならん」って言っているんですが、それはこのことで、自分を見つめること、自分の中の罪悪感・恥・失敗・不安・欠点を見つめること。これを本気でやろうとしたら血反吐どころじゃ済まないでしょう、と。

しかもそれを卑屈にならずに(なぜなら自己嫌悪もdosaだから!)やるってなると、これひとりでやるには結構辛いもんがありますね。そういうわけで瞑想センターへGOなのか。

「いやなことは真面目に向き合えないんだよ」って少女ファイトでもいってた。

2個目。応答とマインドフルネスの話。

マインドフルネスとはなにか?それは「気づき」をすること。

自分は歩いている、なにをしている、なにを感じているか、常に「気づき」をもつこと。

人は基本的になにかあったら「反射」してしまう。何かを感じた時、されたとき…気づきのないまま反射的に行動したりする。そうではなく「応答」をする。

確かに何でもかんでも反射で怒ったりなんだったりしちゃうよねえ、ということで、そこらへんを「気づいて」応答する。

そして、愛によって応答するのだと。

3個目。「参照項」という考え。

これは瞑想で穏やかな瞬間を得られたら、それを参照できる、あなたはまた穏やかな気分に慣れる(そしてもっと瞑想をし、穏やかな気持ちを持続させるという話)なんだけど、

これ私の遠征のそれと同じやん…!てようやくわかったよ…いくつかある、私の中での人生の転換のような経験をライブ等で経験してるんですが、それだなあと。なにかあっても「でもわたしはあの時あの境地にいたれた」と思い出すとなんとかなるもん。

そしてその参照項を増やすために瞑想をどんどん深めてく、行っていく、というのは納得いく考えです。確かに気軽にいきたい遠征いけるわけじゃないですしね!

ところで同じウ・ジョーティカ氏の本を魚川さんが訳された「自由への旅」はPDFで無料で見れるからみんな読むといいよ!!!私はうっかり会社の昼休みに開いてガチ泣きしそうになったよ!

とりあえずまとめとしては、「いやだなあと思うことをそのままにしていたら 魂がくさるから」って極東学園天国でもいってたけど、まあそういうことだよ!!!!

みんな日本橋ヨヲコ作品と三月のライオンを読めばいいよ!!!

【疑問点記録】

・マインドフルネスの「気づき」って「sati(サティ)」と一緒ってことでいいのかな?

・ウ・ジョーティカ氏の「スピリチュアル」ってどういう風に捉えればいいの?神秘(物質性/精神性も及ばない別の次元)と捉えればいいのか、徳性の上のレベル?のように捉えればいいのか。ここら辺はわからなかった。なので自由への旅を読み込んでもうちょっと理解を深めたい。

・「愛」を最後に語っているけれども、この部分だけだと「愛」が許すこと・肯定すること。というように捉えられるんだけど、そう言う理解でいいのかな?原文「love」なのかな…?ここら辺も仏教でいう愛と私たちの使う愛は乖離してると思うので、今後も気をつけていきたい。

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