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掌編小説/夏の終わりのブルース

 ふと気づくと、カーラジオから流れる懐メロを口ずさんでいた。休日の予定がなくなったことが、思いのほか自分を開放的な気分にさせたらしい。

 予定というのはたんに旧友とのランチだったのだが、夏の繁忙期はまともに休みがとれず、肉体も精神も疲れ果てていた。昨夜、友人から申し訳なさそうな声で断りの電話が入ったとき、密かに安堵したのだ。

 もう夏休みも終わりだからと、妻は一昨日から娘を連れて実家に帰っていた。二人の出掛けに「宿題は終わったのか」と聞くと、妻からはため息とともに「終わったし」とチクリと皮肉めいた口調で言われた。

 何はともあれ、そんな妻のおかげで今日は静かな休日を過ごすことができている。

 空は暴力的な青から郷愁の青へと色を変えていた。その寂しさは「夏休みの終わり」という体験に根差したものなのかもしれない。空に広がるうろこ雲は、夏ではなく運動会の記憶と結びついている。

 今朝は簡単に朝食をとったあと、庭先で洗車とワックスかけをした。すいすいとトンボが目の前を過ぎり、その姿を追ってふと目に留まったのは未だ鮮やかさを失わない百日紅の赤だった。

 街路に植わったその姿は、生家に一人住まう父のことを思い出させる。あの家にも見事な百日紅があった。

 車で四十分ほどの距離なのだが、つい父の世話は姉に任せきりで、何かしら男手がいる時しか顔を出さない。それはつまり田植えと稲刈りだ。もうそろそろ稲穂も頭を垂れはじめた頃で、呼び出しがかかるのも間もなくのはずだった。

 そんなことを考え、脳裏を掠めたのは生家の隣に住んでいたある男の子のことだ。

 名は佑《たすく》。近所では『たすくん』と呼ばれていた。

 七つ年下だった彼は、いつもおぼつかない足取りでうちの庭を駆け回っていた。青い半袖のTシャツを着たその後ろ姿がぼんやりと記憶にある。けれど、その彼の顔を私は覚えていなかった。

 ”覚えていなかった”という確信を得たのは、彼の通夜に参列した、今から一ヶ月ほど前のことだ。

 純白の胡蝶蘭の中で四角いフレームにおさめられて、彼はじっとこちらを見つめていた。

 すっと伸びた鼻筋と、切れ長の目と、笑みをこらえるような穏やかな口元。懐かしさなどわずかもなく、そこにいるのは知らぬ人だった。

 勝手に彼の生きざまを自分の中にを作り上げて泣くこともできず、私は自分のことをひどく薄情な人間だと思った。

 そんな私は、妻から時おり冷たいと言われる。一方、職場の同僚からは穏やか過ぎると同情の目を向けられる。

 どちらが正しいのかはわからないが、娘が小さい頃「パパはこれ」と渡してきた青色の何か分からない折り紙を見て、たしかに自分はそんなものかもしれないと思った記憶がある。その色は、幼い『たすくん』の着ていた青とは似ていない。

 父の所へと向かったのはほんの気まぐれだった。洗車したばかりの美しい艶を放つ愛車を、ただ気ままに走らせたかったのだ。

 それに、『たすくん』がいなくなったことが気にかかっていた。

 東京で働いていた『たすくん』は、三年ほど前から再び父の隣人となった。

 そんな噂を姉から聞いてはいたが、いつもすれ違いばかりで、私が『たすくん』と顔を合わせたことは一度もなかった。

 病気の療養中だとか、治って自宅で仕事をしているとか聞いたが、姉の話すことも父の話すことも曖昧だった。

「手術したらしくて坊主になっていた」と父が言っていた時にはある病名が頭を掠めたけれど、『たすくん』やその家族に問い質すわけにもいかない。

 癌かもねと姉と何度か話したことがあったが、結局その推測は当たっていた。だからどうだと言われても、私と『たすくん』の間にあるものは何も変わりはしない。けれど、父は何かしら思うところがあるはずだった。


 次のコンビニの角を曲がれば、その道は最近できたばかりのトンネルへと続いている。そのトンネルを通れば生家までの所要時間が十分ほど短縮できるらしいが、実際に利用するのは初めてだった。

 ウィンカーを出しかけて、ふと信号の向こうにある看板が目に入った。神社への案内板だ。県内では比較的大きなその神社には、小さい頃から毎年初詣に訪れていた。

 迷いがウィンカーを出す指を躊躇わせ、車は信号をまっすぐに進み、そして私は神社へと足を向けた。

 参拝に季節外れなどないのだからと、陽光を遮って鬱蒼と繁る木々を見上げながら、境内へと続く石段をのぼった。

 蝉の声にまじって、アァアァというのか、もっと濁った響きの鳴き声がひっきりなしに聞こえる。どうやら鷺のようだった。

 バサバサと羽音をさせるその鳥影は数羽などという可愛らしい数ではなく、足元には抜け落ちた羽がそこかしこに散らばっている。ゆらゆらと揺れる緑陰にその影が行き来した。

 落ちているのは羽だけではなく当然やつらの糞もある。小学校のときのチャボの餌やり当番を思い出し、鳥の匂いはどれも似たようなものかと思う。

 こうして幼い頃のことを懐かしむのは『たすくん』のせいなのか、それとも夏の終わりの空気がそうさせるのか。梢の合間に青空が見えた。

 石段をのぼり終えると、境内の端の木陰にベンチがおかれ、二組の老夫婦が涼んでいた。そのすぐ脇には軽自動車が停まっている。どうやら足が悪いのか、一人の老婆はしきりに膝をさすっていた。

 私はひとり拝殿の前に立ち、財布にあった五円玉と五十円玉を賽銭箱投げ入れた。

 チャラン、チャランと軽い音がする。それがおさまったあと礼をし、手を打ち合わせた。

 目を閉じたまま、何か願うことがあるだろうかと自身に問いかけてみたけれど、家内安全くらいしか思いつかなかった。再び礼をして顔をあげた途端、人使いの荒い会社をどうにかしてくれるよう願えば良かったと少々後悔した。

 拝殿の脇には、絵馬と御神籤が置かれていた。御神籤掛けにはびっしりと紙が結われている。その隣にはずらりと絵馬が掛けられていた。

 私は一番安い五十円のおみくじを引こうとして財布に五十円がないことに気づき、ならばいっそと三百円の天然石付きのおみくじを選んだ。

 小さな袋を開けると、指先ほどの大きさのトルコ石と、石の意味を書いた紙、そして御神籤が折り畳まれて入っている。石の説明書きには「勇気と行動力を与えてくれる」とあった。そして、もう一枚の紙を開く。

 大吉。

 それはなかなか気分のいいものだった。引くも進むも、臆すも剛気も己次第。そんな言葉があったが、正直あまりピンとくるものではなく、そのまま御神籤掛けに結わえようと手を伸ばしたときだった。

『村田佑の病気が治りますように』

 すぐ脇にある絵馬掛けの、中段あたりの端に、その文字はあった。

 それが目に飛び込んできたのはちょうど見やすい場所にあったからなのか、それが『たすくん』の名だからか。それとも、その文字が目に馴染んだ父のものに似ていたからなのか。

 ジーワジーワと蝉の声が大きくなった。

 背後でブゥンと音がし、砂利を踏みしめるジャリジャリという音が続く。振り返ると老婆の姿はなく、軽自動車が境内から出ていくところだった。ベンチには一組の夫婦が残っている。

 空を仰ぐと漂う雲が白く滲み、羽を広げているように見えた。


 あの通夜の日、セレモニホールの駐車場は夏の暑さで満たされていた。

 散り散りに帰途につく参列者の何人かは目元を紅く腫らし、私は悲しむことも満足にできず空を見上げた。そこにあったのはうっすらとした白い半月。一緒に参列した父を送って家に着いた頃、ふと仰いだ月は明るく闇を照らしていた。

「たすくんは、立ち向かっていたんだ」

 父は帰りの車の中でポツリと呟いていた。けれど、泣いてはいなかった。

 葬儀場でもぐっと唇を引き結び、棺に青白い顔で横たわる『たすくん』に、背筋を伸ばして深く頭を下げていた。それはおそらく『たすくん』に対する父の敬意の表れだったのだろう。

「強い人だったんだ、たすくんは」

 父の言葉にそう返しながら、私はその強さを自分の内側には見つけられなかった。”立ち向かう”という言葉はどこか他人事のような響きをもって処理されていく。

「強さってのは、人それぞれだからな。お前のほうが、ワシよりもよほど強いだろうよ」

 あの時、父が何をもって私のことをそう評したのかは分からない。「まあこんな時だけじゃなく、たまには顔出せや」そう笑った父を、初めて小さく感じたのだった。

 手元の御神籤を元通りにたたみ、私は袋の中にそれを収めた。

 父が書いたであろう絵馬を見つめる。『村田佑』その文字に、今さらのように涙が込み上げてきた。それは喪失の悲しみではなかった。

 泣いてもいいのだろうか。

『たすくん』ではなく、父を想って泣いてもいいだろうか。父の叶うことのなかった願いを想って、彼の面影すら記憶になかった私が涙を流してもいいのだろうか。

 手の中には青いトルコ石があった。

 青に一滴の黄を混ぜればこんな色になるかもしれない。自分と『たすくん』との違いはその一滴の黄のように思えた。

 ちょこちょこと短い足を前後させて庭を駆け回る青いTシャツの後ろ姿。それは、この手の中の青に似ていたかもしれない。父の記憶には数え切れないほどの『たすくん』の姿があるだろう。

 カラ、カランと風で絵馬が音を立て、私はその絵馬に一礼した。

 父は身近にいた『たすくん』を私と重ねて見たことがあったかもしれない。私があの家を出たのはもうずいぶん前のことだ。そして、母が亡くなって五年が経つ。

『たすくん』はきっと、父の寂しさを埋めていたはずだ。でなければ、この絵馬があるはずがない。

 ふと、私はこの石を父に渡そうと思いついた。

「大吉だった」と、手土産にビールでも買って一緒に置いてくればそれでいい。その行動に何の意味があるのか自分でも分からないまま、そうしたいという想いだけがあった。


 車に戻りエンジンをかけたとき、スマートフォンにメールが届いた。

『今日の夜ごはんは米子のおばあちゃんにもらったよ!
 おじいちゃんにもおみやげあるからね~』

 妻からのメールの差出人は、どうやら娘のようだった。

 添付された写真に義母と手をつないで映る娘は、屈託ない笑顔をこちらに向けている。後ろには一面のひまわり畑と、その上には澄んだ空が広がっていた。

 車を走らせ、ウィンカーを出してトンネルへと続く道へ曲がる。

 ――どうせお土産持って行かなきゃいけないのに、今日もお義父さんのところに行ってきたの?

 そんな妻の言葉が頭に浮かび、ふっと笑みがこぼれた。トンネルを抜けた先に見えたのは、穏やかな青空だった。

end

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