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世界一周に猛烈に行きたい話

今の思いはとりあえず、このnoteの題名に詰まってる。

世界一周になんで行きたいか。

最近授業が落ち着いて、旅にいけるようになって改めて考えた。

国内でしか旅ができなくて、なんとなくのもどかしさを感じながら旅をしていた時に、ふと思いついたから、忘れないうちにnoteにしておきます。


元々世界一周したいと思ったのは、好奇心旺盛すぎる自分には行きたい国も場所もたくさんあって、それを一番効率よく回れるのは、世界一周するのが費用も時間もかからないと思ったから。

世界一周」って言葉を、行きたい場所に行く手段だと思っていた。

歴史好きだし、世界史の教科書に出てきた場所に自分の足で行きたいし、肌で感じたいって思ってたから、なんとなくそんな感じの旅したいなぁって考えてた。あとは、地理も好きだから、農業の気候による違いを眺めたり、都市の開発とかも眺めたり、大好きな社会科に埋もれた旅がしたかった。


ただ、これまでに行ってきた国であった出来事とか、自分が興味を抱いたことのひとつに、「生きる」っていうことが大きかった。

この言葉の定義が自分の中でちょっと難しいんだけど、人が動物として生きるみたいな意味の生きるっていうことがすごく印象に残った。

自然の中で、その日にやりたいと思ったことを、縛られることなく実践するみたいな。

ブータンの人は、ブータンの人の幸せは緑に囲まれて生活することだって言ってた。
インドの人は、明日起きたら明日やることを考えるって言ってた。

これってもう、毎日、自分が思う方向に向かってるんじゃんって。

それがこの人たちにとっての「生きる」なんだって知った。

日本にいると、スケジュールたてて、調べた交通機関の時間に合わせて、ぴっりくる電車に乗って、スケジュールをこなすみたいな時間を過ごすことが多い。

ほぼ狂うことなく時間と出来事が過ぎていくから、どうでもいい時間みたいなのが発生しない。これも日本にいて社会生活をする日本人としての「生きる」のひとつ。

ただ、自分の感覚として、ぼーっとしながら考えごとしたり、なーんにも考えずただ景色を眺める時間とかが生きていく中ですごく大事だった。

海眺めるだけの時間とか、ちょっとバス停に早く行ってただバスを待つ時間とか、そういう時間が好きで、生産性のないって言われがちな時間をあえて作ってたんだけど、理解されることはなくて、ただ時間を無駄にする人みたいな感じだった。

でも、海外に行くと、バスも電車もこないし、仕事中にぼーっとしてる人いるし、ただ川沿いに座ってる人もいるし、気の向くままに生きてい人がたくさんいるように見えた。

たぶんそれがその国にいる人たちの「生きる」で、とりあえず最低限度の仕事をして、その日しのぎの生活をしてる。

日本で貯金しながら生活している人からみると、カツカツでギリギリの生活に見えるのに、その国では楽しそうにおしゃべりして生きてる。

まだまだ10カ国しか行っていないし、その大半がヨーロッパの自分には、その程度の「生きる」しか知らないけど、もっともっとたくさんの人に出会えば、もっとたくさんの「生きる」に触れられると思う。

同じ地球に生きていてもたくさんの生き方があって、たくさんの人生の楽しみ方がある。

たぶんこれを元に世界を旅したら、苦しいとかつらいと思うこともあるかもしれないけど、そういうところもちゃんと見つめられるようになりたいし、目を背けずに生きていける人になりたいな。


なんか全然まとまってないけど、そんなことを知る世界一周がしたい。

殴り書きぽいnoteでした。

サポートしてもらったことないから、してほしいな