見出し画像

組織というものへのつぶやき

久々のnote。しかも開いた時間は3時25分(超夜中)。これはそのうちお蔵入りになりそうな予感。(から、少し時間をおいて続きを書いている)

最近、某中学の同期と会ってその後もずっと考えている、その時の主な話題をここにも置いておこうと思う。

最近同期と会ったときは会社・仕事はどう?という話から始まる。しかし、某同期は休学を経て今、4年生なので、新卒で入る会社にインターンとしてコミットしているとのことだった。
インターン、という関わり方、その会社のメンバーに正式になるまで後数ヶ月。私も、来年から新たに会社という組織に属するので組織と自分との関係が論点に。

春から社会人、これにどんな想いを抱く人が多いのか?わたしは割とというか割とを超えてとてもワクワクしている。今の環境や所属先はとても好きでできれば一生手放したくないのに。
なぜ???
ずっとその会社の事業が面白そうだから、とか、上司がいい人で早くその人と仕事をしてみたいから〜ということなのだと思っていたのだけれど、
話をしていて
期限付きではないその組織の一員になることへの期待
であると気づいた。

某同期は学生時代にもバスケをずっと続けてきて、組織に属する、そして帰属意識を持つことも多かったとう。一方で、私は中学は文化部、高校はサッカー部のMGだった。もちろん、サッカー部は大好きでいまでも関わりがある。けれど、サッカーがMGがいなければ成立しないわけではない。FWがいないとサッカーはできないし、FWがいないサッカーチームは存在しないけれど、MGがいないサッカーチームはざらにある。ということ。

そんな私は某同期に比べて、組織への憧れがあったのだと気づきた。某同期は、組織に縛られたり、自分が望まない意思決定となることへの不安と自己の存在意義を意識すると組織はそういいものでもないよと言うのだけれど。。。

なんとなく属す場所がないから自らの意思決定の側面が強く、なかなか独特な23年の人生史になったと思う一方で、みんなで意思決定をして物事を動かしていく共同性のある組織は素晴らしいとも思う。
大学1・2年の頃は、多くの会社、時には省庁でインターンを経験したが、自分を尊重してくれ、その組織の一員になれたような気がしても、ふとした時に感じるのは、所詮インターン生だということだった。
期限付き、大学生の発想と起動力、学生という立場、比較的安い人件費という条件の自分は、その立場をうまく活用し、学生としては多くの経験を積んだ。しかし、常に自分はこの会社の責任を負わない・負えない立場というのは壁として感じていたきがする。そこには明確な境界線があった。

やはり、そんな自分にとって、自らに大きな責任と役割がある研究室というものは特別だったし、そのありがたみをより感じていたのだと思う。(ひとりでできることはそう多くないし大きくない。)

修士になり、組織の一線から退いた今。その組織がよいものであってほしいと願うものの、そこはわたしの手の中にはもうないのだと強く思う。
サッカー部のキャプテンが、絶対に後輩の練習に遊びにいかない。と言っているのを聞いて、別に行こうよ!行きなよ!と思っていたけれど、なんとなく今ではその気持もわかるようになった。
宙に浮いたような状態、親指だけはかろうじてまだ組織の境界線にあるような気持ちの中で、でも、自分としてなにができるのか、私に何を望み、何をすべきなのか。
「自分が全てをわかっているわけではない」、「自分が同じ時間を共有できるわけではない」「自分が何かを変えられるわけではない」
そんな状況の中で、それを整理してうまくやっていく、それがなんとも難しい。

そんな時、やはり、ふと、永久雇用の企業への憧れがはっきりとする。
そこがたとえ自分がいなくても成り立つものであったとしても、自分がいる価値を創出したいと強く思う。会社ってそんなうまい話でもないのかもしれないけれど、楽しみではある。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?