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予科連平和記念館に行ってきた。

亡き祖父が元予科練生ということもあり、前々から興味のあった予科練平和記念館に行ってきました。
※祖父は出撃前に終戦を迎えました。

記念館は茨城県・霞ヶ浦にあり、当時の訓練や日々の生活、練習生の遺書や遺品が展示されています。

〜予科練とは〜
航空機搭乗員の大量育成を目的として、1930年霞ヶ浦飛行場に開設。
太平洋戦争末期には特攻隊要員の訓練を行いました。
練習生は志願制で集められたが、第一期生の合格倍率はなんと73倍。
現在だと三菱商事の入社倍率が約60倍なので、いかに狭き門だったことか…!


展示は、「入隊」から「特攻」までを7つのテーマに分類し構成

当時の宿舎が再現されていて、タイムスリップしたような空間や海軍おきまりの「月月火水木金金」の時間割。
展示の前半は、練習生の一日、年間行事の紹介、また教官とのほっこりするエピソードなども知ることができます。

ですが、展示が進むにつれ練習生は次第に戦地に近づいていきます。

後半は重々しい雰囲気の展示が多くなっていきますが、私が1番胸をしめつけられたのは寄せ書きが書かれたぼろぼろの日章旗でした。
卒業時に練習生が仲間に宛てたものですが、その言葉たちは胸を打つものでした。

大きな日の丸を囲む形で、祖国への想いや戦果への決意が書き連ねてありましたが、端っこに小さく「同期の桜」の文字を見つけました。
勇ましい言葉に埋もれて、ひっそりと書かれたその言葉の中に練習生の絆を見たと思いました。その時は。

後日、軍歌「同期の桜」を聞き、その意味を知ると、これを書いた人の気持ちがそんな生易しいものではなかったのではないか、と思うようになりました。
歌詞はこちらから→ https://www.joysound.com/web/search/song/19021

この歌は、戦友の友情だけでなく、美化した戦死を歌う歌だからです。
戦争という渦に巻き込まれ、自分がどうしたいかを選べなかった当時の人たちにはこの歌が支えになったのかもしれません。
その言葉を書いた人の気持は正しくわかりませんが、自身や戦友の未来の死を覚悟していたのではないでしょうか。

他にも家族への手紙や遺言書が多数展示されています。
不謹慎ですが、思わず声に出して読みあげたくなるような洗練された日本語ばかりでした。

記念館の中に解説員の方がいらっしゃるのですが、少しお話する機会があり、祖父が予科練にいたことを伝えると、今でも遺族の方から遺品の相談などがちらほらあるとのこと。素朴な質問にも丁寧に答えてくれました。

記念館の外にはレプリカの零戦、人間魚雷・回天が展示されています。
また、平和記念館のすぐとなりに陸上自衛隊の土浦駐屯地がありますが、その敷地内に予科練戦没者の遺書・遺品を約1700点を収蔵した「雄翔館」があります。

情報量多く、また記念館よりも個人にフォーカスした内容になっています。併せて見学することをおすすめします。
(敷地の入り口で自衛官に敬礼されました…!)


余談ですが、周辺でランチの機会があれば、吾妻庵 総本店をおすすめします。中城通りにあり、記念館からは車で15分ほど。※駐車場あり

なんと創業明治6年。当時予科練の指定食堂になっていたので練習生も訓練の合間にここでおそばをすすっていたのです…!
お店のおばちゃん達もちゃきちゃきしていて素敵な雰囲気のお店でした。

グッズも購入
おじいちゃん
(戦後も車で軍歌流しておばあちゃんに怒られていたらしい...!)