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一本スジの通った人になりたい。

昨日、「50日毎日投稿を続けた私の気持ちの変化」というnoteで50日間を振り返りました。過去を振り返り、現在地がよりクッキリ見えてきました。サクちゃんこと桜林直子さんが『未来を見てすすむ人、過去を見てすすむ人』というnoteを書かれていましたが、私は過去を見てすすむ人だということがハッキリした。

で、これから先はどうしたいのよ?って話になってきます。

私は一本スジが通った人になりたい。それができれば、毎日更新は止めてもいい。

私はライターという仕事柄、色々な方のお話を聞く機会があります。みなさん、それぞれ素敵なお話を聞かせてくださるのですが「耳で聞く」のと「文字として読む」のでは少し違ってきます。

インタビューを記事にするときには、音声を一言一句たがわずに文字化する「文字お越し」という作業があります。文字お越しは非常に面倒くさい。大体、1時間のテープなら3倍~5倍の時間がかかると言われています。私は遅いので、5倍はかかります…。

文字にしてみると「おや?」と気づくことがあります。インタビューを聞いているだけでは何も引っかからなかったのに「前半と後半でこの人、意見の整合性がとれてなくない?」となることがあります。

きっと、ご本人の中でも「まだブレている部分」とか「はっきりとしていない部分」があるのでしょう。

こういう意見のブレている方のインタビューは記事にするのが大変。2つのかけ離れている意見を、こちらがつなぐ必要性が出てきます。これがむずかしい…。

逆に「一本スジが通っている方」は、どんな話題でも、急な質問への答えでも、矛盾しないのです。ご本人の中で、散々掘り返してみて「結局ここに行きつく」みたいな信念を見つけてらっしゃるのでしょう。こういう方は、見え方や切り口が違っても、土台が安定しています。

だからこそ、そういう方のお話はどの部分をどう切っても大丈夫。いわば切っても切っても同じ顔が出てくる「金太郎アメ」みたいなものです。一つの信念が見えてくる。

きっと「一つの信念」に辿り着くまでは紆余曲折あったのでしょうし、まちがえたり、体当たりで試してみたり、離れてみたり、迷ったりもしたのでしょう。たくさんの試練にさらされても残った考えが「一本スジ」になるんじゃないでしょうか。

人によって「ブランディング」と言ったり、「価値観」「信念」「理念」と呼ぶのかもしれません。

今の私の文章は、正直に言うと、まだブレています。自分の文章を見たときに「一本スジが通っているな」と感じられたら、毎日更新を止めてもいい。毎日更新することは手段であって、目的ではありません。

きっと毎日だとごまかす余裕がなくなる。素の自分を掘り下げるしかなくなる。スジが通っている人になりたい。

最後に「一本スジを通している」岡本太郎の言葉を引用しておわりにします。

いちばん大切なことは、自分の敵は自分自身だということ。それを知るべきだ。自分のスジをつらぬくことは、自分自身といかに戦い、勝つかってことだ。
しかし現実ではその自分をうまくごまかさないと食っていけない。これが現実の社会のなさけない状況だ。ごまかして生きていこうとする自分と闘い、その自分を殺すんだ。p.198『自分の運命に楯を突け』岡本太郎 2016年 青春文庫




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