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幸せを願うこと −28歳、夏−

28歳になりました。

もともと7月23日が予定日で「ナ(7)ツミ(23)」という名前になるはずだった私は、胎児のころからのんびり屋でなかなか産まれず、お父さんが慌てて別の名前を考える羽目になって、「栞」になった。
…っていう話を、毎年誕生日のときに思い出してる。

何だそりゃ、いろいろてきとうか!
と小さく憤ったこともあるけど、ここ最近は「栞」って名前がとてもしっくりきているのです。

この名前に恥じない人になりたいと思う。

名前の意味は、「人々が迷わぬよう、幸せへと導いてあげられる子になりますように」だそう。

電話口で名前の漢字を説明するときは、「本に挟む、一文字の栞です」って言えばほとんど通じる。とても便利。

でも多感な頃に抱いていた憤りとして、
「お父さん、なんで自分の子供の名前なのに”他者の幸せ”を願っちゃったのよ」
とも思っていた。

もっとさ、「美しい心を持った子になるように」とか「聡明で誠実な子になるように」とか、私自身に向けた願いを込めておくれよ。って。

それからずっと、「人はどうして人の幸せを願い、人のために行動しようとするのか」を考えてきたりした。

そんなこと言うと冷酷な感じがするけれど、やっぱり誰かのためになにかできたと思えると、心底嬉しい。
ちゃんと生きててよかったなぁと心から思う。

そしてなんだか、28歳になってやっと「これでいいのだ」としっくりきたのです。

人の幸せを自分の幸せだと思うことに理由なんていらないんだよなぁきっと。

そして、人を幸せにするために、幸せをもっと知りたいと思ったのが去年だった。

そんな去年はこんなことを書いていた。

27歳になるから、と決めた誓いそれは、「自分をとことん生きる1年にすること」でした。人の顔色を伺うんじゃなくて、下心でものを考えるんじゃなくて、どうしたら自分が一番楽しい気持ちでいられるかに、とことんわがままに生きること。そして、そのために妥協せず、きちんと努力すること。

やりきれたかどうかは分からないけれど、「今ある環境は全て自分が選んだもの」と忘れぬよう、「納得して生きる」ってスタンスを見つけた27歳でした。

日々抱く感情も、置かれた環境も全部、ほんとうは自分が選んでる。
そんな当たり前のことにちゃんと目を向けて過ごしたら、楽しいことや幸せなこと、大切な人がたくさんたくさん増えた。

恵まれすぎているような気がして怖くなっちゃったこともあったけど、その感情を抱くことすらも、自分の望んだ選択ではないから手放す勇気を持ってみたりして。

さて、そして28歳です。
少しずつ、自分を自分でかたちづくるすべを習得し始めた私は、ちゃんと「栞」になろうと思っています。

導く、までいけるかはわからないけど、幸せをひろげるくらいならがんばれる気がする。

再出発だよ、28歳のわたし。

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