「ザ・スクエア」を映画館で観て混乱し、帰路のタクシーで救われたはなし
小学生の時、地元のジャスコにあるゲームセンターのエアホッケーが大好きだった。
コインを入れたらフィールドの表面に空気が流れ、エアホッケーのパックがまるで魔法でもかけられたかのようにするすると浮遊しだす。
突然なんのことだろう?と思う話をしてごめんなさい。
でも、衝撃的な作品に出逢ったときはいつも、エアホッケーのフィールドの上に自分が立っているような、何もかもがとりとめもなく動いて定まらないような感覚におそわれる。
自分から発する言葉もどこか上滑りしているようで、何を言っても何も言えていない気がしてしまう。
その映画を劇場で観終わった私はまさにそんな心理状態で、ただただ、アホのひとつ覚えのように
「問題作だ」
とばかり口にしていた。
✳︎
「ザ・スクエア 思いやりの聖域」は、カンヌ国際映画祭の最高賞を勝ち取った作品。
日本では大々的に放映してるわけじゃないけれど、予告編を目にしてから、なんとなく「観ておいた方がいいかも」とずっと思っていた。
そして、せっかくだから映画評まがいのものを書いてみようと思いながら、劇場の席に腰を下ろした。
だけど…
上映開始から数分経つと、「せっかくだから書こうかな」じゃなく「書かないとモトが取れないな」と思い始めることになる。
文章にまとめて消化しようと試みないと、自分の中に何も残らないかもしれないと思った。いい作品なのに。
ということなので、もしよければ少々お付き合いください。
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主人公のクリスティアンは、スウェーデンを代表する現代美術館のチーフキュレーター。
地位と名声に加え、ビジュアルもイケているのでプライドも高い。
「こいつはモテるぞ」と思わざるをえないチャーミングな性格も魅力的だ。
本作では、そんなクリスティアンに降りかかる大小さまざまな事件を描いている。
中でもメインとなる出来事は2つ。
1:スリに遭ってスマホと財布を盗まれ、仕返しに犯人へ出した脅迫状によって二次災害が起きる
2:新たな作品としての試み「ザ・スクエア」のプロモーション動画が大炎上し、世間から批判を浴びる
だ。
しかし、彼に対して手放しに「哀れだ」と同情する気には、どうしてもなれない。
だって、どの不幸も少なからずクリスティアン自身に非があるし、「あーあ、そこでやめとけばいいのに」と思う場面も多いから。
だけどその一つひとつが、なんだか自分も同じことをやってしまいそう(もしくは過去に心当たりがある)できごとなので、彼を責めきれなくもあり…
例えば、前半のシーン。
美味しいワインを飲みながら部下と楽しい気分になったクリスティアンは、盗まれたスマホの位置情報を頼りに、「お手製の脅迫状」を投函するため、車を走らせる。
爆音で「ジャスティス」のナンバーをかけたテスラ社のスポーツカーの中、部下はクリスティアンに笑いかける。
「ボス、ぼくたち今、ジャスティスを流しながら悪いことしてるなんておかしいですね。」
「何を言ってるんだ。ぼくらがしてるのはそれこそ"正義"じゃないか!」
そんなの、落ち着いて考えれば誰だってわかるはずだ。
正 義 で は な い。
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ほんの出来心や遊び心が、後戻りできなくなる事態となりえること。
劇中では、大人に対してただただそれを言い聞かせているかのように、ストーリーが展開して行く。
そしてとうとう、不安な気持ちを助けてくれることはないまま、エンドロールが流れ出した。
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というわけで、エアホッケーのフィールドの上に立ったみたいな心情になってしまったのだ。
なんとか答えを見つけようと、助けを求めるように、劇場を出てすぐのところに貼ってある映画評をひたすら読んでいた。
そこでいちばん腹落ちしたのが、
「この映画自体が現代アートである」
という一節。
そうだ。対峙した時に「置いていかれている自分が悪い」と思ってしまうような、この感じ。
「分かりたいのに、分からない」。
このもどかしさは、現代アートの美術展に行った時とほぼ同じだった。
ここで、数年前にとある現代アーティストの女性にインタビューをした時のことを思い出す。
彼女は、強いメッセージ性を持ちながら、特異なインスタレーションをいくつも手掛けているアーティストだった。
「作品と向き合った時、うまく解釈できずにもどかしいのだが、どうしたらいいか」と尋ねた私に、彼女は優しく諭してくれた。
「全部わかってほしいなんて思っていません。ただ作品を通して一種の“畏怖”を感じてもらえたら、それでいいんです。」
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「ザ・スクエア」をみて感じたこの後味の悪さ。
それはまさに、
漠然とした畏怖だった。
そうやって、ぬぐいようのない負の感情に包まれながら、仲間と別れた。
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突然大きな通りで手を挙げた私に、不自然な体勢で止まってくれたタクシーが一台。
後部座席に乗り込むや否や、私はいつものように「山手通りに出て、ファミマのところで横の坂道を上ってください」と伝える。
なるべく運転手さんと言葉を交わさずに、静かに、車窓から真夜中の東京を眺めていたい気分だった。
それなのに、運転手さんがこんなことを言う。
「変な車の止め方をしてごめんなさい。実はまだこの仕事は新人なので、お客さまの指定してくださった場所が分からないんです。」
いつもだったら「面倒だな」と思ってしまったのかもしれない。
ただこんなに謙虚に、「分からなくて申し訳ない」と言う運転手さんは初めてで、そしてなんだか運命みたいなものを感じた。
この運転手さんの言葉でやっと、映画が完結してくれたような気持ちになったのだ。
後部座席から見えた運転手さんの後ろ姿が、映画のラストシーンと重なったからかもしれない。
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私たち大人は、「分からない」「自分が悪い」「誰かの助けを必要としている」をなかなか認めることができない。
そんなプライドなんてなければ、この世界はきっともっと優しいのに。
「ザ・スクエア」で起こる大きなトラブルも、全てはこれに起因していたように思う。
あのシーンでちょっとだけ素直に謝れていたら、あのシーンでは、クリスティアンの見栄が全ての発端だよな…
振り返れば、そんなんばっかりの映画だった。(しかしそれをユーモアたっぷりのおしゃれ映画に仕立て上げている監督はすごい)
私たちの日々だってそうだ。
素直でいれば、相手を慮ればうまく行くだろうに…
そんなんばっかりじゃないだろうか。
ありがとう、タクシーの運転手さん。
そんなこんなで、運転手さんと私は協力して、目的の場所までたどり着いたのでした。
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物事の解釈の仕方は、どうしたって過去の経験と結びついてしまう。
エアホッケーに過去のインタビュー、夜のタクシー
ただただ積み重ねてきた日常が、いつか何かの材料になったりもする。
その点、長く生きて、だんだん大人になるって楽しいことなのかもしれないなぁ。
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