2019/10/16

人の生ってのはきっと、意識できたりできなかったりする波の上にあって。

その波ってのは誰が作ったのか与えたのか知らないけれど、どうしようもなくその潮の満ち引きに人は動かされているのだろうと思う。

完璧な自分を追うことよりも、いまの自分にそっと寄添い、許し、認めてあげる方がよっぽど難しくて、苦しくて、暇で、刺激がなくて。それでもきっと幸せなのだろう。その先は。

そんなことは頭でわかっていたとしても、身体そのものもがノーを突きつけているから、どうしようもない。高ぶる心は、止まらない。落ち込む心もまた、止まらないのです。

そんな、誰かのイタズラなのか知らないけど、波の上に置かれてしまった人の生ってのは、どうしようもない。けどどうしようもなく、愛おしくもある。

幸せを追い求めるなんて、終わりはなくて。終わりのないゲームなんだと。ゲームの上にいることを承知で、承知なんだけど、でも追い求めてしまう。しまってる。

そのゲームから落っこちることができれば、どんなに楽なのだろうと、想像してみるけど、でもやっぱりそのゲームも波の上にあるから、波からは抜け出せないのか、と肩を落とす。

でもでも、そんな波も、全く非情なわけではなくて。酸いも甘いも、いろんなものを無限に載せている。

結局幸せってやつは、追い求めるよりは受け止めるものなのかもと、思うようになった。波が届けてくれる、いろんなものをいつでも思い切り受け取れる準備をしておくこと。ま、それが難しいのだけど。

人って、愛おしい。全く不器用で、それでいて傲慢で。

せっかく人に生まれ落ちたのだから、人として生きる自分の生で見ることのできる景色を隅から隅までまで味わって、「あー。」なんて言いながら、生きていきたい。というより生きていたい。と、思い直した2019/10/16でした。

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