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呪いによって作り上げられるモノとは何だ

「わたしって、○○な人なんで~」
「わたし、□□が苦手なんで~」

自分の事をこんな風に自己紹介する人によく出会う。

こんな事を言っている人を見るたびに、
いつも「こんな事を自分で言ってどうするんだろう?」と思う。

恐らく何かの予防線なんだろう。
自己申告した自分のキャラから外れるものを拒否しやすくする為の。
自己申告した自分のキャラを、何の労力も使わずに他人からそうであると認めてもらう為の。

でも、これは文字通り、自分による自分のためだけのキャラ付けだ。

例えばこれが仕事の場面だったら、こんなキャラ付けは何の意味も成さない場合がほとんどだ。
「○○な人なんで~」
「そうなんだ。でも、アレよろしくね」

「□□が苦手なんで」
「まあ苦手だとしてもやらないとだよね?」

こんな感じで仕事の場面ではこのキャラ付けは意味を成さない事が多々あるし、こういう場面をよく見かける。
それを見るたびに、「一体何のため?」と思うのだ。


このキャラ付け行動、
これは『呪い』以外の何物でも無い。

俺はそう思ってる。

”自分はこういう人間だ”
”自分はこういう特性がある”
それを自分で信じ込み、
何かが上手くいかなかった時の為の保険として、
何かが上手くいかなかった時に、
「だから、△△だって言ったのに」
そう言う為に、
こんな言葉を自分に向けるのだ。

そういう『呪い』や『呪縛』なのだ。

だから、自分自身に対してキャラ付けはしない事に決めた。

「◎◎がスキ」と言うのと、
「◎◎ズキ」と言うのは似ているようでちょっと違う。
前者は自分の好みの表明で、後者は自分のキャラ付けなんだろう。
だから、俺は「◎◎ズキ」というキャラ付けはしない事にした。

キャラ付け非推奨派宣言だ

俺のキャラは、俺以外の人が勝手に決めれば良い。
今の俺は、何のキャラ属性も持たない。

俺を見た人が、俺を知った人が、
「シオタってこんなヤツ」だと勝手に決めればいい。

俺は俺の好きなようにするだけだし、
それを見て他人がどう思うのかはその人の自由だ。

俺は俺。

俺の事は俺が決めるし、
俺の評価は他人が決める。

そして

誰にも俺の未来は決めさせない。

それだけだ。

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