思い出と紅茶

いつも一人だった。
家に帰ると、母はちょうど出勤する時間で、「ごめんね。」と言いながら出かけていった。
一人で夕食を食べて、テレビを見て、寝る。母が作り置きしてくれたご飯は、美味しいけれどいつも冷たかった。

朝目覚めると、母がコートを着たまま化粧も落とさずに、倒れこむようにしてベッドで寝ていることが時々あった。コートを脱がせると、酒と煙草と香水の匂いがむあっと漂って来る。わたしの嫌いな匂い。母をいじめる匂いたち。
母は目を覚ますとわたしの朝食を準備しようとするので、できるだけ起こさないように静かに毛布をかけてあげた。トーストを焼いて、物音を立てないようにそっと家を出た。

日曜日はいつもお休みで、母から酒や煙草の匂いはしなかった。お昼前に起きると遅めの朝食兼昼食をつくってくれて、家事を一通り済ませて、伸びをする。
午後三時頃、母はダージリンを飲みながらお気に入りの小説を読む。母にとっての週に一度の休憩時間はわたしにとっても幸せな時間だった。お母さんと一緒にいられる。お母さんが柔らかく笑っている。

そんな日々が毎週、毎週続いた。平日はいつも一人で、週末だけ二人だった。
わたしの学年が上がるにつれて母は少しづつやつれてしわが増えているような気もしたけど、アイシャドウと赤い口紅を塗った母はやっぱり綺麗だったし、すっぴんで紅茶を飲む時の母は素敵だった。母のような女性になりたいと思いながら、わたしは大人になった。


今もわたしは一人だ。
大学入学時に地元を離れ、今は家と職場を往復する日々を送っている。家に帰っても相変わらず誰もいないし、一人で夕食を食べて、スマートフォンを見て、眠りにつく。週末は友人とカフェに行ったり、一人で映画を観たりする。

年をとるにつれて日々は無味無臭になり、心にさざ波が立たなくなってきた。
あの頃はどうしようもなくただ寂しかったけど、今はなにも寂しくないことが寂しい。

何かが違う。
あの頃の母の年齢にだんだんと近づいているのに、今の自分が理想の自分に近づいているとは到底思えなかった。


週末に、ふと思い立って実家に帰った。母は相変わらずほっそりとしていて、しわは増えたのに年をとったと感じさせない。
笑顔でわたしを迎えてくれて、温かいダージリンを淹れてくれた。
母と一緒に紅茶を飲むと、わたしの心が少しだけ温まってほぐれるのがわかった。
母が笑うと、しわも一緒に柔らかく笑う。わたしはいろんな思考のぐるぐるを放り投げて、母とただ紅茶を飲んで話をすることにした。
雑談をした後、一呼吸おいて心の中で小さな声でありがとう、と言った。母には聞こえないように。

もうちょっとがんばってみようかな。もうちょっと、笑顔で。疲れたらお母さんみたいに紅茶を飲んで。


次の週から、わたしは化粧を少し濃くした。オレンジ系の口紅を、赤色に変えた。
だからどうということもないのだけど、こうした些細なことが人生を変えることに、そろそろ気づき始めていた。

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