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姉ちゃんは、いいなぁ

最初に、これはちょっと暗めのシスコン記録である。

ご存知の方も多いかもしれないが
私には姉がいる。

知らない方の為に少しだけ姉の説明する。
学年は2つ上、ただ誕生月が1月と6月なので実質1歳半しか違わない。
そして東京と岩手という離れて暮らしているにも関わらず、ほぼ毎日連絡を取り合っているシスコン姉妹である。
(半分はTwitter上な気がするけれども。)
ちなみに私のアイコンは姉の描いてくれた絵。
どんな写真屋さんが撮ってくれた写真よりも世界一だと思っている。

そんな私たち。
実は小さい頃から私は姉が羨ましくてしょうがなかった。

私が5歳(年長)の頃親が離婚。私たちは父に引き取られ父方の祖父母のもとで暮らすことになった。

祖母はリウマチの持病があり、手の骨が変形して家事をするのが大変だった。
自然と手伝いをするのが当たり前になっていた。
小学校から帰ってきて、洗濯物をたたみ16時頃から夕食作りの手伝い。揚げ物はいつからか私の担当だった。食べ終わったら自分の分の食器を洗い片付け。日によって風呂洗いも入ってくる。
遊びに行くこともあったが、門限は年中17時で16時半頃までに帰ってないと祖母の機嫌は悪くなった。

そんな中、姉は普通に遊びに出ていた。
私が祖母と夕食を作り終えた頃
「ただいまー!今日天ぷら!?おいしそう!いただきまーす!」
と食べ始めるのだ。

姉ちゃんは好きに遊びに出れていいなぁ。

姉が小学4〜5年生の頃
それまで共有で子供部屋を使っていたが
姉は窮屈になったのだろう
「自分の部屋が欲しい!」
と祖父母に訴えた。
祖父母は姉の部屋を増築した。
ロフトベッド付きの。
私の部屋は姉が家を出るまで
元々子供部屋だった年中日の当たらない部屋。
部屋の3分の2は私のもの以外の物置状態。

姉ちゃんは明るい綺麗な新しい部屋を作ってもらえていいなぁ。

姉の誕生日は1月3日。
言わずもがな正月三が日で
開いているケーキ屋さんは少ない。
父は何ヶ所も回ってホールのケーキを買ってくる。
対する私は6月12日。
平日のことも多いし覚えづらい。
父がその日家に居ることは少なかったし
私の誕生日はいつも祖母が気遣って買ってきてくれるショートケーキだった。

姉ちゃんはホールケーキでみんなにお祝いしてもらっていいなぁ。

小さい頃からひたすらに絵を描いていた姉
明けても暮れても絵を書いて
漫画家になりたい、というのも周知の事実。
家族もみんなそのつもりで姉を見ていた。
私は小学3年生の時舞台をみてから
女優になりたいとずっと思っていた。
口にはあまり出さなかった。
でも小学校の合唱部では年に一度のミュージカルがあることを知って入ったし、中学では「演劇には殺陣というものがある」と知って剣道部に入った。
自分なりに少しずつ練習しているつもりだった。
高校受験の時、試しに父に話してみた。
「私演劇やりたい。演劇が学べる学校に行きたい。」
答えはNO。
いきなりそんなこと言われても信用出来ない。高校の演劇部にでも入って実績を積みなさい。
それが父の返答だった。
私のやっていた事は実績ではなかった。
それから父に演劇がやりたいと言えなくなった。

姉ちゃんは自然に好きなものを追えていいなあ。

夜更かしも姉には許されていた
姉の言うことは聞き入れられるのに私の言うことは屁理屈だと聞き入れられなかった。

姉ちゃんは、いいなぁ。
いいなぁ。いいなぁ。いいなぁ。

それでも姉を嫌いになることはなかった。
暇さえあれば姉の部屋に入り浸っていたし
濃い恋愛話もすべて姉には話している。
祖父と衝突した時庇ってくれたのも姉だった。
高校の頃父から高校を辞めさせられそうになった時にも断固反対してくれた。
そして高校2年の頃二人暮しを開始。
姉がバイトをしながら家事全般を担ってくれていなかったら、私は高校を辞めなくてはならなかっただろう。

家族が姉を信頼していたように
私も姉に絶大な信頼をよせているのだ。

なぜか人を寄せ付ける才能がある。
なぜか嫌われてもおかしくないのに好かれる。
たくさん悩みながらもやっぱり夢に対して一途。

姉ちゃんは、いいなぁ。

・・・私の姉ちゃんだよ、いいでしょ。

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