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正義や正論が正しくない腐った世の中[INFJ]

mbtiの中でもINFJ-Tはトップクラスに生きづらいと思う。何故なら、正義のために悪に立ち向かうのにも関わらず、世界にとってはそれが正しいわけではないからだ。彼らは自己肯定感が低く、共感性が高い代わりに傷つきやすいと言う特性があり、何度もその壁にぶち当たるだろう。自分のもつ正義や信念のため、他人を救うために行動を起こしたのにも関わらず、世界から否定され、傷付けられ、殻に引きこもってしまうことだってある。

正義なんて綺麗事だ、などと他の人は言うかもしれない。間違っちゃいない。この腐った世の中では正義なんてものは綺麗事に過ぎず、1人が行動を起こしたところで何も変えられず、ただただ無意味だ。いや無意味ではない。INFJが行動を起こすのは、大抵の場合傷付けられている人や困っている人がいる場合だからだ。わかりやすいのはいじめで、彼らはいじめられてる人を放っておくことはできない。いじめが悪で、それを助けるのが正義なんて分かりきったことだ。だから正しいことだと確信して助け出す方法を考える。だけど、それが上手くいく場合といかない場合がある。後者の場合は自分が標的となり犠牲になったり、いらない気遣いだったと言われたり、先述したように綺麗事だと皮肉を言われる。INFJ-Tはそれにいちいち傷付き、疲弊する。だけど、行動を起こさずにはいられないのだ。だって、見て見ぬ振りをしている自分は理想の自分とはかけ離れていて到底許し難いのだから。

世の中にはいじめをする人、見て見ぬ振りをする人、助けようとする人の3種類がいる。見て見ぬ振りをする人の割合は非常に多く、それが客観的に見たら賢明だと言えるのだろう。友達などでもない限り、何も行動を起こさない人が多い。そのような人曰く、「自分に負担をかけてまで助けたくない」「被害を被るかもしれない」「お節介の可能性がある」かららしい。INFJ-Tの私はここで、「結局みんな自分のことしか考えてない…」と感じてしまうのだ。非情な人間の方が生きるのに向いていて賢いのはこれまでの経験上よくわかる。よくわかるけど、それをするのは無理だ。こういうところに頑固な面が出てしまっていると感じる。自分の目に見えていて自分の手で救える人がいるのに、どうして見て見ぬ振りができるのかと思ってしまう。班決めで余り物になった時に1人でも声をかけてくれる人がいたら救われることはよく知っている。現に、いじめを受けているクラスメイトに毎日普通に話しかけて普通に接していたら、私にとってはそれだけのことなのに、とても感謝されたことがある。そんな些細な行動が人を救えるなら喜んでやる。だけど、自分を犠牲にしてまで人を助けてしまうところに、思うところがある。

世の中は基本的に腐っている。国民的アイドルと言われ人々の救いとなり続けたグループのトップがあれだったんだから間違いない。私は20を超えてやっと気付いた。正義はこの世の中では通用しない。いくら自分が正しいと思う行動をしたって、報われないどころか自分が傷つき疲弊するだけだ。その人は助けて欲しいと思っていないかもしれないし、標的が自分になるかもしれない。そもそも、いじめをするような奴らは冷静な話し合いなどできず、正論をいくら振り翳しても通用しない。諦めるしかない。でも、救える人を救わない選択肢を取る自分のことも許せず自己嫌悪に陥る。ここに、どう折り合いをつければいいのだろうか。生きやすくなるのだろうか。もし今上手く生きられているINFJがいたら教えて欲しい。「人の気持ちを想像する/考える」ことすらしようとせず、人を次々に傷付けていく人たちとどう上手くやっていけばいいのだろうか。

※書き殴りなので駄文失礼しました。直近で傷付くことがあって本気で悩んでいるので感情的な部分があるかもしれません。ごめんなさい。生きづらいです。

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